韓国現代戯曲集Vol.8

韓国現代戯曲集8

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狂った劇

作=崔緇言(チェ・チオン)
翻訳=上野紀子

崔緇言

1970年、全羅南道・霊巌に生まれる。軍除隊後に技術系の会社に入社し、政治運動、労働運動に関わるうちに文学に関心を持つようになり、ソウル科学技術大学文芸創作学科に入学。大学1年の1999年に東亜日報新春文芸詩部門に当選、3年の2001年に世界日報新春文芸小説部門に当選し、登壇する。2003年、長編戯曲『夜雨降る永渡橋をひとり歩くこの思い』でウジン創作賞を受賞して劇作家としても活動を開始。自身は詩人や小説家、劇作家という肩書きに縛られることなく「単に文章を書く文学人と呼んでほしい」と語り、多くのメディアは“ジャンルを行き来する文学人”と紹介。現実と幻想が交錯した劇空間、感覚的な台詞の妙味など、多層な劇構造が多くの観客を惹きつけ、大学路の実力派演出陣の手で舞台化されている。2009年に戯曲『姉さんたち』で大韓民国演劇大賞戯曲賞、2014年には『風変わりな話を読む趣味を持つ人たちへ』で大韓民国演劇大賞の大賞を受賞。昨年12月にはジャン・ジュネの『女中たち』をモチーフに、俳優と人形が共演する新たな形式の新作『女中パペン姉妹』が上演された。創作集団「想像頭目」代表としてテキスト重視の公演制作、演出にも携わる。

狂った劇 あらすじ

うだつのあがらない劇作家ドヨンは、妻チャンミのヒモであることに苦悩する……といった内容の戯曲を執筆中の演出家の前に、サラ金業者ハクスが現れる。借金返済をめぐるやり取りの果てに公演への投資を申し出たハクスは、戯曲に次々と口を出し、自分と同名の人物を登場させるよう命じる。だがある時、戯曲の中のハクスと現実の自分がまったく同じ状況に直面していることに気づき、愕然とする。いつしか劇世界に囚われ、抜け出せなくなっていたのだ。なんとか現実へ戻ろうとハクスは、血のついた斧を振り上げるが、時すでに遅く…。月の輝く夜、木の下で、虚と現実が回転する。

若い軟膏 ア・ラブ・ストーリー

作=尹美賢(ユン・ミヒョン)
翻訳=藤本春美

尹美賢

同徳女子大学文芸創作学科卒業。高麗大学一般大学院文芸創作学科修了。作家になったきっかけは特になく、高校時代に文学部に入部し詩を、その後大学で詩と小説を書き始め、戯曲に接したのは一番遅い。2012年『私達、面会しましょうか?』韓国戯曲作家協会新春文芸当選。2013年『若い軟膏―ア・ラブ・ストーリー』韓国文化芸術委員会、次世代芸術家公演芸術部門劇作家選定(AYAF)2015年『チョルスの乱』大田創作戯曲公募優秀賞当選。2016年『クリームパンを食べたかったヨンヒ』全国創作戯曲公募金賞当選、『オンドル床』第37回ソウル演劇祭戯曲賞受賞、『チョルスの乱』第1回大韓民国演劇大賞。

若い軟膏 あらすじ

若いオロナインと彼の両親、双子の弟妹が家賃を払って暮らしている地下室は、窓もなく雨漏りがする。滞納している家賃のせいで、毎日、高慢な大家にいびられている。双子は家を捨てて出て行く。母親は生活のため占い師になると宣言をして、客を取り始める。軟膏には家と土地を持った恋人が出来るがうまくいかない。大工を仕事にしている父親はギロチンを作り始める。一家はホームレスの住んでいた公園のあずまやに引っ越し、家を「テイクアウト」する事業を始めようとするが、都会で成功した双子が帰ってきて、一家の住むあずまやを取り壊して運び去る。

アメリカの怒れる父

作=張佑在(チャン・ウジェ)
翻訳=洪明花

張佑在

1971年生まれ。劇作家・演出家。
2014年~2016年、大眞大学文化芸術専門大学院公演映像制作修士。
1994年に『地上から20メートル(演出=金光甫)』で演劇デビュー。 2003年に『劇団2と3』を創立し、『借力士とアコーディオン』『その時各々』などを発表し注目される。しかし演劇界のあまりの窮乏に、2007年、映画界に一度身を移すが、ここで多くの挫折を経験し、2010年、再び演劇界に舞い戻る。精力的に作品を創出し、遅めの全盛期を迎える。
感覚的な筆力や鋭い人間洞察力、挑発的な想像力、時空間を自由に操る作風で、生まれながらの語り手と呼ばれ、現代の韓国演劇界をリードする作家兼演出家。社会構造を冷静に見直すことによって、“価値のある人生とは何か?”“私は誰なのか”を問いかけ、常に、観客が客観的に判断できる冷静さと余白を大切にする。2013年には『ここが家だ』で大韓民国演劇大賞と戯曲賞、2014年、『還都列車』で東亜演劇賞、2015年、『陽光シャワー』では車凡錫戯曲賞や金相烈演劇賞を連続で受賞するなど、数々の賞を総なめする。

アメリカの怒れる父 あらすじ

この戯曲は2004年5月にイスラム武装勢力によって斬首されたアメリカ兵、ニック・バーグの事件、そして彼の父親である、マイケル・バーグが英国の戦争阻止連合宛に書いた「一通の手紙」をモチーフにして描かれた作品。一人の人間の尊厳が損なわれたとき、連鎖していく信頼や敬意の損失、相手を思いやる想像力の欠如。そして促されるかのように奪われていく自尊心。この作品は戦争により構築されている現代の社会を「親子」や「家族」と言った最もミクロな社会から問い直すものである。

クミの五月

作=朴暁善(パク・ヒョソン)
翻訳=津川泉

朴暁善

1954年大田出身。全南大学国文科卒業。78年、「行動する作家」黄晳暎らと「民衆文化運動」に参加。労働者や貧しい市民のための「野火夜学」教師をしながら『咸平さつまいも』作・演出。79年、劇会「広大」を創立。80年5月の光州抗争で、劇団員と市民軍の広報活動に従事。最終決戦前夜に離脱し1年7ヵ月間の逃亡生活の末に自首。釈放後、83年劇団「トバギ(生粋・土地っ子)」創立。88年『クミの五月』、92年『彼らは潜水艦に乗った』、93年『牡丹花』、97年『青い糸赤い糸』など一連の五月劇を発表。94年、創作戯曲集『クミの五月』出版。97年第2回光州ビエンナーレ開・閉幕祭総演出。98年9月、肝臓癌で死去。

クミの五月 あらすじ

1988年初演。光州事件を描いた初の戯曲であり、1980年代の民衆劇(マダン劇)運動の記念碑的作品。女子高生クミの視線で描かれる光州事件。軍の弾圧に抵抗し最後まで県庁に立てこもって殺された兄。事件後、政府は遺族たちを要注意人物として弾圧する。貧しいが平凡で平和な家庭だったクミの家族は、兄の死後、真実解明と民主化運動に参加。ある日、警察に連行された母親を思い、光州事件を回想するクミ。マダン劇的なデフォルメや集団演技を取り入れた作品。

大漁

作=千勝世(チョン・スンセ)
翻訳=木村典子

千勝世

1939年、全羅南道、木浦生まれ。小説家・劇作家。成均館大学国文科を卒業後、新太陽社記者、文化放送専属作家、韓国日報記者を経て、第一文化興業常任作家、読書新聞勤務。大学在学中の1958年、東亜日報新春文芸に小説『チョムレと牛』が当選。一九六四年には京郷新聞新春文芸に戯曲『水路』が当選。同年、国立劇場懸賞文芸に戯曲『大漁』が当選し、翌年同作で韓国日報社第一回演劇映画芸術賞を受賞。2016年6月、大韓民国元老演劇祭で『神弓』が上演される。主要作品に、戯曲『明日』(58年)、『犬族』(59年)、『予備役』(59年)、『黄狗の悲鳴』(75年)、『神弓』(77年)、『惠慈の雪花』(78年)、中編小説集『落月島』、長編小説集『落果を拾うキリン』など。

大漁 あらすじ

韓国南部の小さな漁村を舞台に、貧しいが自分の仕事にプライドを持つ漁師とその家族を中心に、漁を通して味わう喜びと挫折、庶民の悲哀を描く。大漁で帰港した喜びのクライマックスで始まるこの劇は、獲った魚をすべて借金のかたに取られ、苦労して再び漁に出るが悪天候で二人の息子を失い、悲しみのあまり女房が発狂してしまうラストシーンまで、諧謔に富んだ全羅南道地方の方言を駆使して、生命力にあふれる庶民の暮らしぶりを生き生きとした台詞で描きだしている。

韓国現代戯曲集Vol.7

韓国現代戯曲集7

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掲載作品

木蘭姉さん

作=金垠成(キム・ウンソン)
翻訳=石川樹里

作=金垠成

1977年生。全羅南道、宝城出身。東国大学北朝鮮学科中退、韓国芸術総合学校演劇院演出科卒業。在学中に執筆した『シドン仕立て店』が韓国日報新春文芸(06年)に当選し、新人とは思えぬ確かな筆力で注目を集めた。彼は一貫して社会の底辺で暮らす人々や、韓国の近現代史の暗部をモチーフにした作品を書き続けている。社会に対する作家のストレートな問題意識をユーモアを交え、時に生活感・情感のこもった方言を駆使した台詞で舞台化する作家として定評がある。特に北朝鮮から韓国に渡った女性を主人公に、韓国の現代社会を捉えた『木蘭姉さん』(12年)は、数々の演劇賞を受賞。2011年には演出家ブ・セロムとともに劇団月の国椿の花(タルナラドンベッコ)を旗揚げした。作品に『死ぬほど死ぬほど』(07年)、『スンウ叔父さん』(10年)、『月の国連続ドラマ』(12年)、『干潟』(12年)、『ロ・プンチャン流浪劇場』(12年)、『ぐるぐるぐる』(14年)などがある。。

木蘭姉さん あらすじ

北から来た女、木蘭。平壌で音楽家としてのエリート教育を受けた彼女は、ある日突然事件に巻き込まれて韓国に渡るが、もう一度愛する家族と暮らすために、なんとしても祖国に帰りたい。
そしてもう一人の女、ソウルで水商売を手広く営み女手ひとつで三人の子供を育ててきたチョウ・デジャ。太山、太江、太陽と名付けた息子と娘と、木蘭が出会う時、南と北が出会う時、それぞれの愛と欲が絡み合い、現代の韓国社会の闇が浮き彫りになる。

2012年東亜演劇賞戯曲賞を受賞し、その年の演劇評論家の選ぶ今年のベスト3に選ばれた問題作。混沌とした社会に救いはあるのだろうか……。

 

五重奏

作=金潤美(キム・ユンミ)
翻訳=鬼頭典子

作=金潤美

1967年、慶尚北道奉化に生まれる。小説を書くために入学した中央大学文芸創作学科在学中にベケット、イヨネスコなどの影響を受け、劇作を開始。たちまち1988年、『列車を待ちながら』で東亜日報新春文芸戯曲部門に当選、登壇。卒業後、社報の記者をしながら順調に創作活動を重ね、数々の有名演出家と出会う。1993年、第1回大山文化財団創作支援に選定。延世大学大学院国語国文学科修士課程、博士課程終了。公演戯曲に『五重奏』『メディアファンタジー』『楽園での昼と夜』『結婚した女、結婚しなかった女』『チェア』『椅子』『ナクタプル』他、戯曲集に平民社『キム・ユンミ戯曲集1~4』がある。デビュー以来、自身の経験に基づいた激しく鮮烈な作品を生み出してきたが、近年は作風の幅を広げ、『京城スター』(演戯団コリぺ、イ・ユンテク演出、大学路芸術劇場大劇場)のような、韓国エンターテインメントを意識した作品も見られる。

五重奏 あらすじ

90年代中頃のある夏の日。韓国の田舎町にある古い家に集まった家族。この日、彼らの心の叫びが「五重奏」を奏でる。
一家の父キム・キプンは、利己主義で古い風習に囚われている70代の老男。後継ぎとしての息子を持つことを強く望み、妻以外の女性とも関係を持つが、何の因果か娘ばかりが生まれる。危篤を装い、バラバラに暮らす四人の娘を呼び寄せたキプン。数年ぶりに集まった腹違いの四姉妹。それぞれ人生に苦労と不満を抱える彼女たちは、互いを意識し衝突する。そこへキプンと関わりのあった女性たちの霊も集まってきて、蔓の絡まる古い家は、傾き地面に沈み込んでいく……。
血縁や因習、過去やトラウマ。登場人物は皆、何かに取り憑かれていて自由に歩くことが出来ずにいる。家族のアンビバレンスな思いは互いの人生と運命を浮かび上がらせて、新しい朝を迎える。

 

アリバイ年代記

作=金載曄(キム・ジェヨプ)
翻訳=浮島わたる

作=金載曄

1973年、大邱生まれ。演出家、劇作家。「劇団ドリームプレイ」代表。世宗大学映画芸術学科教授。延世大学国語国文学科を卒業後、漢陽大学大学院演劇学科に進み、博士課程修了。06年から10年まで恵化洞一番地四期同人として活動。1998年『九つの砂時計』で韓国演劇協会の創作劇公募に当選、02年『ペルソナ』が韓国日報の新春文芸戯曲部門に当選。「劇団パーク」の創立メンバーとして02年『チェックメイト』を作・演出し、演出家としてもデビュー。05年「劇団ドリームプレイ」を創立し、その創立公演『幽霊を待ちながら』は居昌演劇祭大賞および演出賞を受賞。「時間」「死」「待つこと」に関する哲学的寓話に土台を置いた才気はつらつとした初期の作品から、同時代の社会問題に対する積極的関与と変化を模索する作品に、関心を広げている。『まほろば』(蓬莱竜太作)、『背水の孤島』(中津留章仁作)など日本の戯曲も演出している。

アリバイ年代記 あらすじ

父の流した涙の理由とは…
2013年に東亜演劇賞(作品賞、戯曲賞)を受賞したこの作品は、作・演出のキム・ジェヨプ本人と父テヨン、兄ジェジンの年代記をドキュメンタリー的に綴った叙事的な物語である。
1930年植民地時代に大阪で生まれ育った父キム・テヨンは1946年、解放の翌年に祖国朝鮮の地へと戻り、その後1955年に定年を迎えるまで大邱中央高校で英語の教師を勤めた。2003年12月、その父が病床で、息子ジェヨプにある秘密を語り始める。
作者・演出のキム・ジェヨプは劇中でもジョエプ本人として登場する。父の背中を見つめながら過去を振り返り、語り、生き方を模索していくジェヨプ。終戦、朝鮮戦争、韓国民主化闘争、大統領選挙……混乱した時代の大きな流れに翻弄されながら生きた父とその二人の息子たちの年代記を、自己告白的にありのまま語ることで、彼らをとりまく社会の闇が暴き出されていく。

 

うぐいす

作=尹朝炳(ユン・ジョビョン)
翻訳=洪明花

尹朝炳

作家、演出家。1939年生れ。忠清南道鳥致院出身。
漢陽女子大学兼任教授、韓国芸術総合学校教授、ソウル芸術大学外来教授を歴任。1967年、『苔むす故郷に帰る』が国立劇場戯曲公募に当選し、劇作家としてデビュー。初期の作品では『すずめと機関車』(71年)など戦後の南北分断を描き、80年代に入ると『農土』(81年)など農村や炭坑の生活をリアリズムで描く。その時代の日の当たらない場所を自らの足で踏みしめ、その臨場感あふれる創作力が評価される。また『うぐいす』(84年)など20余作品を自身が演出し、庶民の喜怒哀楽を美しく溌剌と描く事で評価を得る。2000年代には『世界で一番小さいカエルの王子』(06年)など、子供から大人まで楽しめるファミリー演劇の存在を高める作品に力を注ぐ。
大韓民国演劇祭大賞(81年)、 東亜演劇賞(81年)、百想芸術賞戯曲賞・大賞(82年)、全国演劇祭最優秀賞(90年)、大統領表彰(98年)他、多数受賞。受賞戯曲集1・2』(図書出版演劇と人間、06年)など、七冊を出版。

うぐいす 解説

ある夏の午後、二人の男女が、平野の続く田舎道を彷徨い歩く場面から物語は始まる。結婚式の最中に、新婦を連れて式場を抜け出した新郎。どこに向かうのかもわからないまま、ただついて来るしかなかった若い新婦。きらびやかな結婚式に夢を抱いていた新婦には、新郎の行動が理解できない。新郎の求める地が未来なのか過去なのか最後まで明らかにされないが、文明のない田舎道を進みながら、自然とともに生きる人々に出会い、たった二人きりで、大宇宙の中での自身の小さな存在を再認識していく。
照りつける太陽、花蛇、人を飲み込む渦潮、勢いよく走り去る汽車、夜の雨、ウェディングドレスを利用して作った傘、蛍、ひぐま、かたつむりなど、自然との融合によって、適度な緊張を維持しながら、観客の想像力を刺激する。登場人物が語る謎めいた言葉や象徴的な単語の裏側には、観客自身が自由に解釈できるよう余白が充分に残されており、観客はいつの間にか、物質万能の世俗を離れて童心に返り、それぞれの原風景に誘われていく。また、簡潔な台詞の繰り返しによって、単調にならないよう、音楽や照明を適切に導入し、劇中人物の分身を登場させるなど、詩的で幻想的な空間を創造する。
主人公の二人は綺麗な婚礼衣装に身を包んでいるが、大自然の中では丸裸も同然である。視覚的にも、皮肉で美しいコントラストではないだろうか。生きることの本質に触れた若い新郎新婦は、一夜の経験を経て大きく成熟し、次に向かっていく。
出来事よりも雰囲気、対立や葛藤よりも、昔から伝わる素朴な遊びなど、自然や故郷に対する熱望から生まれる理解と調和に重点を置いたと、作家は語っている。
形式張った結婚式という通過儀礼に疑問を抱いていた作家は、若者たちが、出世と成功への道を走り始めている世の中の虚栄に流されないでほしいという願いを込めて、この作品を『祝祭』というタイトルで発表した。
この作品は、文芸誌からの執筆依頼によって、当初、短編劇として発表されたが、1982年に『ひと夏の夜の祝祭』と題名を変え、音楽劇として、劇団サヌリムによって上演された。その後、仁川劇友会の依頼によって本作は長編化され、題名を『うぐいす』とした。
第二回全国演劇祭では、作家自らの演出で、人間と自然のふれあいの意味を些細な日常から引き出し、想像力を拡大させる作品として評価され、大統領賞を受賞する。
最後に翻訳について付け加えておきたい。本作で新郎新婦以外の登場人物が語る言葉は、作家の故郷である忠清南道の方言である。韓半島の中西部に位置する忠清南道は、旧百済に位置し、百済の古都、扶余がある。山岳地帯の多い北道とは違って全体的に平野部が広がり、温和な気質で、言葉も比較的ゆったりしている。翻訳にあたり、未熟な知識での方言使用を避け、標準語に置き換えた。(洪明花)

ぼんくらと凡愚

作=金相烈(キム・サンヨル)
翻訳=津川泉

金相烈

1941年、京畿道開豊郡出身。1966年、中央大学演劇映画科卒。1967年、劇団架橋創立、常任演出と代表。1976年、李根三『流浪劇団』で韓国演劇映画芸術賞演出賞受賞。75年、『カササギ橋の寓話』(文化観光部公募戯曲当選)、77年、『道』(サムスン道義文化著作賞)。劇作家としての地位も確立。脚本家としてTV『捜査班長』を四年間執筆。78年、現代劇場常任演出家。81年、ニューヨーク「ラ・ママ」劇団で一年間研修。82年、『兎唇曲馬団』を発表する一方、ミュージカル演出にも主導的役割を果たした。84年、劇団「マダン」セシールに移籍。88年、劇団神市を創立、ソウルオリンピック開閉会式、大田エキスポなど国際的文化行事の構成台本と総演出担当。百想芸術大賞戯曲賞・演出賞はじめ数々の賞を受賞。98年すい臓癌で死亡。没後、金相烈演劇賞が設けられ、毎年優れた劇作家・演出家を顕彰している。

 

ぼんくらと凡愚 解説

金相烈は1960年代から演劇活動を開始、70年代の軍事政権下では上演が禁止されていたブレヒトに心酔、80年代にはミュージカル『エビータ』をはじめ、『ジーザス・クライスト・スーパースター』の演出で韓国ミュージカル界を主導、90年代末に亡くなるまで、パンソリのオペラともいうべき唱劇の現代化、社会風刺劇、楽劇、マダンノリなどの大衆劇に到るまで、多様なジャンルの開拓と発展に先駆的役割を果たした劇作家・演出家である。
『ぼんくらと凡愚』はブレヒトの叙事劇形式を導入した初期の代表作で80年初演。第4回大韓民国演劇祭文化観光部長官賞、81年百想芸術大賞戯曲賞。最近では2002年、2011年に再演された。この作品の生まれた契機となったのはMBC‐TV捜査実話劇『捜査班長』であった。78年から100本近く執筆にかかわったが、400回特集で『ぼんくらと凡愚』を書きあげ、多くの反響を呼んだ。その時、収集した膨大な資料によって、戯曲化された。
74年当時、新聞社会面トップを飾った希代の連続殺人犯2人の生と死を、事件担当の捜査官が再検証するという実録劇である。当局の捜査・追跡と併行して挿入される、凶悪犯の家族愛、母との再会などのバックストーリーが情感深く活写されている。
初演当初のタイトルは『あなたの言葉でいうならば』。ローマ総督ピラトの「あなたはユダヤの王か?」という審問に対するイエスの答えから来ている。「世の中には二つの言語がある。人の世を営むための日常言語と宇宙の摂理を貫く天の言語、すなわち真理の声である。あなたの言う王の概念と私の言う王の概念は違う」(「作者の言葉」)。審問の結果、イエスは十字架にかかり、極悪人のバラバが赦される。作者はラーゲルクヴィストの『バラバ』のように、極悪人とイエスとの心の交感を描こうとしたのだろうか?
いや、むしろ、作者は極悪人2人を「ドン・キホーテ」と「サンチョ」という滑稽な人物に擬し、キリスト教的倫理劇とは趣の違う「ぼんくらと凡愚」に改題したのだと思われる。

「銃を持って強盗する奴だけが罪人か? この世には、権力と派閥頼みに、合法的に強盗を働いている奴はいくらでもいる」

ぼんくらとは思えぬこのセリフ、個人倫理の堕落だけを問責するより、社会倫理の価値基準を見直すべきだという主張であり、単なる捜査推理劇や犯罪心理劇というより、現代資本主義社会の不合理な構造と矛盾を抉り出す社会風刺劇、告発劇といえよう。
ただ、リアリズムを追究する一方で、捜査官を舞台監督に仕立て、被害者を生き返らせ、犯人と一緒に実況検分させたり、劇中劇を演じさせるなど、卓抜なユーモア感覚を駆使し、おもしろい「メロドラマ」を作ろうという作者の意図も、いかんなく発揮されている。
初演から8年たった89年の公演パンフに、作者はこう記している。

「正義と真実の仮面をかぶった物の怪が白昼から百鬼夜行するこの時代に、野良犬のように生きた李鐘大と文度錫、そのすさまじい絶叫と銃声を聞くことによって『自分は果たしてこの世界と関係がないのか』と、しばらく自問する時間を設けたいだけのことだ」

(津川泉)

 

韓国現代戯曲集Vol.6

韓国現代戯曲集6

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掲載作品

海霧

作=金旼貞(キム・ミンジョン)
翻訳=宋美幸

金旼貞

1974年、忠清南道唐津(タンジン)生まれ。幼い頃から作家になる夢を抱き、檀国(タングク)大学国語国文学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院にて劇作科(芸術専門士課程)を専攻する。在学時に執筆したデビュー作『家族ワルツ』が、第7回国立劇場新作戯曲フェスティバルで当選。実話を基にして書かれた『海霧』は、2007年に劇団演友舞台で公演され、その年の韓国演劇ベスト7に選ばれる。
他の主な作品に『十年後』(劇団小さな神話戯曲公募当選)、『私、ここにいる!』(ソウル演劇祭新作戯曲公募当選)、『吉三峰伝』(ソウル文化財団公演芸術作品公募創作支援事業選定)、『その道で君に会う』、『ミリネ(天の川)』、『君の左手』など。また、国立劇団『オイディプス』、大田文化芸術の殿堂 『人形の家』の脚色も手掛け、2011年の秋には代表作を収録した戯曲集が発刊された。

『海霧』あらすじ

大海原に浮かぶ、一隻の船。その名は、前進号。サヨリ漁を営む前進号の男たちにとって、今日の決断はとても重要だ。度重なる不漁が、彼らをどん底まで追い込んだのだ。次に失敗すれば、船は廃業となる。最後の望みを抱き、前進号は出航する。
船上という閉ざされた空間の中で、男たちは感情を爆発させる。苦楽を共にしてきた仲間。しかし、彼らが起死回生に狙うのは、大漁の夢ではない。船に朝鮮族を乗せ、韓国まで密航させる裏の仕事だ。深まる乗員たちの対立の溝。窮地から抜け出すためとはいえ、これは危ない橋なのだ。不安と葛藤が、際限なく膨らんでいく。
ひっそりと闇の中を進む船を、いつしか、波と風が囲んでいた。雨足が強くなり、そして、濃い霧。海で出会う濃い霧を海霧という。何よりも怖いのはこの霧だ。波にも道があり、風にも道があるが、霧には道がないからだ。やがて、一つの事件が起こり、それさえも霧の中に飲み込まれていく……

白い桜桃

作=裵三植(ペ・サムシク)
翻訳=木村典子

裵三植

1970年、全羅道全州生まれ。ソウル大学人類学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し学ぶ。98年、演劇院在学中に、ブレヒト作『コーカサスの白墨の輪』を翻案し、劇団美醜によって芸術の殿堂で公演される。これを契機に劇作家の道へと進み、99年、『十一月』(ソウル公演芸術祭招聘作)で本格的にデビュー。作と演出を兼ねる劇作家が多いなか、独歩的な作家の道を歩んでいる。07年、大山文学賞戯曲部門、東亜演劇賞戯曲賞(『熱河日記漫歩』)、09年、東亜演劇賞戯曲賞(『白い桜桃』)を受賞。近年の代表作として『銀世界』(10)、『蜂』(11)、『三月の雪』(11)などがある。この他、マダン劇、野田秀樹『赤鬼』、福田善之『壁の中の妖精』、井上ひさし『天保十二年のシェイクスピア』を脚色。現在、同徳女子大学文芸創作科教授。

『白い桜桃』あらすじ

ソウルから東南に150キロ離れた町、ヨンウォル。静かな山里に住み始めた三人の家族と犬。庭園住宅の庭は、土壌を均したばかり。隅っこにレンギョウの古木がひっそりと佇んでいる。世間から忘れられた小説家アサンは大病後、何も書けずにいる。妻であり舞台俳優のヨンランは、ソウルの稽古で忙しい。高校生の娘ジヨンは、林檎ばかり齧っている。秋のある日、寝てばかりの老犬ウォンベクがいなくなってしまう。死の近い老犬がとった行動を契機に、死んだように生きていた人たちの魂に色が灯り始める。
劇作家のペ・サムシクは、十人の登場人物のひとりひとりを花に例えている。私も花好きなので、彼がこの舞台にどんな花を咲かせたいのか、想像することができる。大陸の更地にすっくと立てる俳優たちが集まった。
どうにもならないことに人々が地団駄を踏めば踏む程、地は固まってゆく。
そうして実りは、花を愛でる間もなく訪れようとしていた。

朝鮮刑事ホン・ユンシク

作=成耆雄
翻訳=浮島わたる

成耆雄

劇団「第12言語演劇スタジオ」代表。演出家、劇作家。
1974年、大邱生まれ。延世大学国語国文学科在学中、東京外国語大学に交換留学生として来日。延世大学卒業後、韓国芸術総合学校演劇院演出科に進学、2006年芸術専門士(M・F・A)課程卒業。
2004年『三等兵』(作・演出)を水原・華城演劇祭などで上演して以降、劇作家兼演出家として劇団「第12言語演劇スタジオ」を主宰する。作、演出のかたわら、多数の日本の戯曲を翻訳、演出し、日本の演出家との共同演出による合同公演を行うなど、日本の演劇界との交流にも精力的である。また、日本支配時代を素材とした戯曲も数多く手がけ、人気を博している。
2010年『カガクするココロ―森の奥編』(平田オリザ原作)の脚色、演出にて第四回大韓民国演劇大賞作品賞受賞。

『朝鮮刑事ホン・ユンシク』あらすじ

日本支配下の京城(現ソウル)で実際に起こった事件に着想を得て書かれた戯曲。韓国人と日本人、韓国語と日本語、科学と迷信、現実と幻想が入り乱れて展開される奇怪な事件の顛末記。昭和8年、京城の西大門警察署管内で前代未聞の奇怪極まりない乳児切断頭部遺棄事件が発生した。内地から新たに赴任してきたホン・ユンシクを加え、西大門警察の面々は事件解決に向け動き出す。いったい犯人は誰なのか? 赤ん坊の首を切り落とした目的は何なのか? 上層部の方針で失踪児童を当たっていくが、解決に向かうどころか、事件は連続殺人の様相まで呈してくる。容疑者たちは皆、それぞれに怪しいが決め手を欠き、捜査線上にはついにトッカビ(韓国の妖怪)まで浮かぶ始末……。やがて捜査方法を巡って警察内部の対立は頂点を極め、ついに二手に分かれて赤ん坊の体を探しに墓を暴きに出かけることになる。そして、事件は驚きの終結を迎える……。

無衣島紀行

作=咸世徳(ハム・セドク)
翻訳=石川樹里

咸世徳

1915年、西海岸に面した港町・仁川に生まれ、父親の転勤に伴い、幼少時をやはり港町である木浦で過ごす。仁川商業高等学校在学中から演劇をはじめ、卒業後はソウルの書店で働きながら、劇作家柳致真に師事し、劇作を学ぶ。1936年、「朝鮮文学」誌に『サンホグリ』を発表し登壇。初期は叙情豊かな写実主義戯曲『海燕』、『童僧』、『舞衣島紀行』などを執筆したが、日本の殖民統治下で次第に親日的な作品を書くようになり、日本のアジア侵略を美化した『酋長イザベラ』などを発表した。解放後は一変して社会主義に傾倒し、朝鮮文学家同盟のメンバーとして活動するとともに、『三月一日』、『太白山脈』など、社会主義思想を反映した作品を執筆した。その後、北朝鮮に渡り、朝鮮戦争の際に北朝鮮人民軍の従軍記者として南下、1950年にソウルで戦死したと伝えられる。短い生涯に、翻案・脚色を含め二十余作の戯曲を執筆した。北に渡った作家として韓国では長らく出版が禁止されていたが、1988年に全作品が解禁され、戯曲の完成度の高さが注目を集めるようになった。代表作として『童僧』、『舞衣島紀行』、『太白山脈』などがある。

『舞衣島紀行』解説
石川樹里

日本の植民統治の真っ只中に生まれ、そして朝鮮戦争で北の従軍記者として戦死した劇作家咸世德は、1930年代中盤から1940年代中盤まで、わずか十年余りの活動期間に、柳致真らとともに韓国近代演劇史に大きな足跡を残した。初期は柳致真の影響を受け、リアリズムを基盤とした現実告発劇を執筆した。それらは主に自身の故郷である海辺の町や島を舞台とし、貧しさ故に常に死と直面しなければならない漁民の暮らしを生き生きとした言葉で捉え、浪漫主義的リアリズムの土台を築いたと評価されている。
1940年代に入ると、次第に朝鮮半島の芸術は厳しい検閲と弾圧のもとに置かれるようになり、演劇界では日本の植民政策を美化する作品が盛んに奨励されるようになった。この時期を境に彼の作風は次第に現実描写から、ある意味でセンチメンタルな叙情的リアリズムの色彩を濃くしていく。『海燕』(1940)、『落花岩』(1940)、『エミレエの鐘』(1942)などの作品がこれに属す。また、この時期に書かれた作品の多くが親日的な内容を含み、後日、親日文学人として厳しく糾弾された。
『舞衣島紀行』は咸世德の初期の代表作の一つである。これは1940年9月に文芸誌『朝光』に未完の状態で一幕のみが掲載された『冬漁の終わり』を改題し、翌年四月、『人文評論』誌に掲載された。西海岸に浮かぶ小島の貧しい漁村を舞台に、漁師になって海に出ることを拒む聡明な少年と、息子を漁に出さざるを得ない逼迫した家庭の状況、少年の聡明さを見込んで婿養子にしようとする韓方医の葛藤が描かれる。
この作品の題名には「紀行」とあるが、劇は第三者の目を通して描かれてはおらず、これが「紀行」であると分かるのは、以前、少年の担任であった小学校の教師が久しぶりに舞衣島を訪れ、少年の母に再会し、少年が漁に出て亡くなったことを知ったという内容が語られる幕切れのナレーションによってである。このように荒削りな面も見られるが、登場人物たちの個性や心理が繊細に造形されているだけでなく、近代化を余儀なくされる漁業、日朝修好条規によって1883年に開港した仁川港の様子や日本人が経営する蒲鉾商店、西洋医学の普及により伝統医学が次第に廃れはじめた状況など、植民統治下の当時の世相が垣間見える一方、近海漁業の黄金期だったこの時代の漁場の活気、漁の安全を祈願する巫女の儀式や、神木の前の祠に水を供えて息子の無事を祈る母親の素朴な土着信仰などが描かれているところも興味深い。
執筆当時、この作品が上演されたという記録はなく、1942年から約一年間、日本の前進座に留学していた咸世德は、帰国直後に『舞衣島紀行』を『黄海』という題名で改作し、1943年11月に京城の府民館で開催された第2回国民演劇競演大会に参加した。ここでいう国民演劇とは、内鮮一体のスローガンに基づき、大日本帝国の臣民としてお国のために己を犠牲にする国民意識を植え付けることを目的とした演劇のことである。
二幕劇である『舞衣島紀行』は、天命が船に乗ることを決意するところで終わり、ナレーションによって天命の死が明かされるのに対し、四幕で構成された『黄海』では、天命が実際に船に乗り、嵐に遭遇する場面も登場する。が、死なずに島に戻った天命は、日本海軍に志願兵として入隊することを決意し、彼の決意を称える万歳三唱で劇は幕を閉じるのである。しかもこれが海軍特別志願兵制度が導入された1943年に上演されたのだから、まさしく「国民演劇」である。記録では柳致真の演出となっているが、実際に演出したのは咸世德本人らしい。『舞衣島紀行』から改作された『黄海』を読むと、作家に自分の作品をここまで改作させてしまう日本の植民政策の凄まじさと、そういう時代にめぐり合わせた芸術家の不遇を思わずにはいられない。
そして1945年に第二次世界大戦が終結し、朝鮮半島が植民地統治から解放されると、彼は朝鮮演劇同盟に加入し、社会主義を標榜する作品を書きはじめた。1947年に出版された戯曲集『童僧』の前書きで、彼は「この戯曲集は作家咸世徳の前時代の遺物として保存することにのみ意味がある。私は8月15日を境にこれらの作品世界から完全に脱皮した」と宣言している。この時期の代表作と言われる『古木』(1947年)は、悪徳地主の没落を通して、封建制の残存勢力、日本帝国主義の残存勢力を打破し、新たな民族国家の建設を謳う代表的な社会主義リアリズム劇である。
急速に社会主義に傾倒した咸世徳は、1947年後半に演劇仲間と共に北に渡り、李承晩大統領を米帝国主義の傀儡として批判した『大統領』(1949年)、済州島四・三事件を人民に対する反動的な大弾圧として描いた『山の人々』(1949年)などを発表した。だが、1950年に朝鮮戦争が勃発し人民軍が南下した際、従軍記者として同行し、手榴弾の爆発によって死亡したと伝えられている。
咸世徳は北に渡った社会主義作家という理由で、韓国内では研究・出版が禁止され、長らく評価されなかった。しかし1988年に越北作家たちに対する研究・出版が解禁され、劇団演友舞台が1991年に「韓国演劇の再発見シリーズ」と銘打ち『童僧』が上演されたのを機に、戯曲の完成度の高さに関心が高まった。特に『舞衣島紀行』は1999年6月、越北作家の戯曲として初めて国立劇団によって上演(金錫満=演出)された。      (石川樹里)

昔々フォーイフォイ

作=崔仁勳(チェ・イヌン)
翻訳=李應壽(イ・ウンス)

崔仁勳

1936年、咸鏡北道會寧生まれ。朝鮮戦争が勃発した50年に家族全員で越南。木浦高校からソウル大学法学部に入学するが4年で中退し、軍隊に入隊。軍服務中の59年に『自由文学』誌に『グレー倶楽部顛末記』を発表し文壇に登場。李承晩政権の倒れた60年に、それまでタブーとされていた南北分断問題を扱った長編『広場』を発表し脚光を浴びる。その後、『灰色人』、『九雲夢』、『小説家仇甫氏の一日』などの独歩的な作品を発表し、「戦後最大の作家」と評された。70年代後半以降は『昔々フォーイフォイ』(76)、『春が来れば、山に野に』(77)、『どんどん、楽浪どん』(78)、『月よ月よ、明るい月よ』(78)、『ハンスとグレーテル』(81)など、主に説話や伝説に題材をとった戯曲の創作に専念し、「劇詩人」とも称された。その後20年近く創作活動を中断していたが、長い沈黙を破って94年に自伝的小説『話題』を発表し、現在も小説家として活動している。2011年には第1回朴景利文学賞を受賞。ソウル芸術大学文芸創作学科名誉教授。

『昔々フォーイフォイ』解説
李應壽

この作品は、1976年の『世界の文学』創刊号に発表された。初演は、劇団「山河」が、ソウルのセシール劇場で、1976年11月5日から11日まで、第35回公演として上演した。当時としては珍しく1819名もの観客を集めたので、作者の崔仁勳(1936〜)には、翌年、韓国日報戯曲賞が授与された。
加えて、この作品は、韓国の全国に広く伝わる子供将軍説話の中で、平安北道のものを参照して書かれている。作者のドラマツルギーを検討するうえで貴重な資料なので、原話を、『平安北道道誌』から引用しておく。

「将帥を亡くした龍馬のいななき」
—博川「元帥峰・馬嘶岩」の故事—

昔々、博川の元帥峰の麓にあばら屋が一軒あった。ある日、この家のかみさんが玉のような男の子を産んだ。貧しいばかりではなく、近所に人家もなかったので、かみさんは自ら臍の緒を切り、お産の後の飯の仕度も自ら用意する有様であった。
お産の翌日のこと、かみさんが台所の仕事をしていると、部屋から赤ん坊の泣き声ではない、片言を話す声が聞こえてきた。かみさんは不思議に思って隙間から部屋を覗いてみた。ぎょっ! 生まれたばかりの子供が一人で壁をつたってよちよち歩きをしながら何かをしゃべっているではないか。かみさんはびっくりして部屋に飛び込み、子供を抱いて体のあちこちを調べてみた。そして再度驚いた。脇の下に翼が生えつつあるではないか。将帥である。
平凡な人間ではないことを悟った瞬間、上さんの脳裏には喜びより不安が先立った。万が一、役所にこのことが知られたら、家中皆殺しにあうのではないか。かみさんは考えたあげく、人に知れる前にこの子を殺そうと決心し、子供の腹の上に小豆袋をのせておいた。すぐ死ぬだろうと思っていた小豆袋の下の子供は、三日経っても死ななかった。小豆袋をもう一つのせて押えつけた。子供は堪えきれず、やがて息を止めた。
その日の夜から暫くの間、元帥峰の絶壁のうえから、ゆえなき馬のいななきが悲しげに聞こえてきて村人たちを驚かせた。これはほかならぬ将帥を亡くした龍馬の鳴き声であった。その後、村人たちはこの岩を馬嘶岩と名づけたと言われる。

 最後に、この作品は、両国の演劇史から考えるに、木下順二の一連の民話劇、なかでも『夕鶴』と類似していることが指摘できる。それは、説話から素材を取っている点、科白がいわば詩的言語でできている点などが、敗戦後の日本人の、そして韓国戦争(Korean War)後の韓国人のやりきれない気持ちにある種の郷愁を与え、心を癒す役割を果たしていたからである。

韓国現代戯曲集Vol.5

韓国現代戯曲集5

プロフィール等は2011年時点のものです。
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『道の上の家族』

作=張誠希(チャン・ソンヒ)
翻訳=石川樹里

張誠希

1965年、江原道寧越生まれ。中央大学文芸創作科卒業、同大学院演劇学科修士。劇作家、演劇評論家。ソウル芸術大学兼任教授。1992年より演劇評論家として活動し、1996年に『青山に暮らさん』で国立劇場脚本公募創作部門受賞、さらに1997年には『パンドラの箱』が韓国日報新春文芸戯曲部門に当選し、劇作家としてデビュー。現在まで演劇評論と劇作活動を並行している。1998年大山文化財団文学人創作支援対象者選定。2001年文芸振興院新進文学人支援対象者選定。2007年文化芸術委員会芸術創作および表現活動支援戯曲部門選定。2008年『夢の中の夢』でソウル演劇祭大賞、戯曲賞受賞。
主な作品に、『夢の中の夢』(08)、『柊擬の森の思い出』(08)、『アンチ・アンティゴーネ』(07)、『水の中の家』(07)、『転生区域』(01)、『月光の中に進む』(00)、『A.D.2031、第三の日々』(99)、『この俗世の歌』(98)などがある。最新作は2010年秋に上演された『三人姉妹山荘』。1960年代に実際にあったスパイ団摘発事件をチェーホフの『三人姉妹』を下敷きにして劇化した作品。戯曲集に『張誠希戯曲集』(99)、『夢の中の夢』(09)がある。

『道の上の家族』あらすじ

舞台は晩秋のキャンプ場。妙に大きな荷物を抱えて一組の家族がやってくる。
一家は父母、老父母、少年の五人。痴呆症の老母、反抗的な少年…。
それなりに問題は抱えているようだが、何年ぶりかの家族旅行で幸福そうに振舞う一家。
だが幼い次男の不在が、不安の影のように家族に付きまとう。
劇が進行するにつれ、父親の失職と生活苦、一家の足手まといになっている老父母の存在が浮かび上がってくる。
一家の肩の荷を減らそうと、老妻とともに心中を計ろうとするが、そのタイミングさえ逃してしまう老父。
リフトから飛び降りるが、安全ネットにひっかかり、キャンプ場の管理人に連れ戻される少年。
裕福な家庭に養子にやったと家族を偽り、実は幼い次男を地下鉄の駅に置き去りにしてきた父もまた自殺を計るが失敗する。
死ぬことすらできず、希望のない明日を生きていかなければならない家族が闇に包まれていく。

『爾―王の男』

作/金泰雄(キム・テウン)
翻訳=木村典子

金泰雄

1965年、京畿道南楊州生まれ。劇作家、演出家。現在、劇団「優人」代表、韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。
ソウル大学哲学科在学中から俳優として演劇サークルで活動。卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し、 M.F.A(Master of Fine Arts)過程を終了。1997年、劇団「演友舞台」20周年新鋭作家発掘シリーズで『蠅たちの曲芸』を作・演出し、本格的なデビューをはたす。99年、東亜日報の新春文芸戯曲部門に『月光遊戯』が当選。2000年、劇団「演友舞台」で『爾』を公演し、東亜演劇賞など数々の賞を受賞し、代表作となる。この作品は05年に公開された映画『王の男』(イ・ジュニク監督)の原作としても話題となった。『門』(00)、『風船交響曲』(01)、『プルティナ』(01)を発表後、02年に『花をもつ男』で劇団「優人」を旗揚げ。『楽しい人生』(04)、『反省』(07)、『リンリンリンリン』(09)などを上演している。現在、『爾』(05年初版、10年再版/平民社)、『反省』(06/平民社)、『リンリンリンリン』(10/平民社)の四冊の戯曲集が出版されている。

『爾 王の男』あらすじ

俺の名は長生。孔吉とは無二の親友だ。二人で一座を率いて、旅回り。どこでも大人気だった。大道芸だよ、そんな上等なものじゃない。権力を笑い飛ばし、卑猥な話で客をわかせる。下ネタ満載だよ。しかも、歌舞音曲もにぎやかに、体を張った空中曲芸をやりながら!
そんな俺たちが、今や、王様お抱えの宮廷芸人だ。「戯楽院」直属の「京中優人」様だ。笑っちゃうね。孔吉の奴が、ふとしたはずみで、王様のご寵愛を受けて大出世。今や大臣。その幸運のお裾分けだってさ!
王様ってのは、燕山だよ、あの! 知らないのか?! とんでもないろくでなしだよ。いずれ、李氏朝鮮最悪の暴君なんて呼ばれるのさ。間違いないね!
しかも、べったりくっついてる愛人が、これまたとんでもない性悪女だ。元は妓生……売春婦。
俺は、王には多少は同情する。性格が捻じ曲ったのも無理ないかって思える。だけど、緑水は虫が好かない。いつか俺たちの命取りになる。
孔吉、調子に乗るな。芸人が権力なんか欲しがってどうする??!
だけど、孔吉は、王の寵愛は絶対だと信じてる。緑水と張合って、宮廷を、好き勝手に玩具にする気だ。
孔吉、俺は宮廷を出る。
王の悪政を覆す同志を集める。
革命だ。反乱軍を組織する。
気をつけろ。緑水は何でもするぞ、王の愛を、お前から奪い返すためならば! 孔吉、目をさませ。王は普通じゃない。母親の恨みを晴らす、仇を討つ。それだけで凝り固まって、目が見えない。
怪しい儀式で、母を苦しめた奴らを呪う。ふん。呪われているのはお前だ、燕山!!(青井陽治作成)

※〈爾〉とは、李氏朝鮮時代に王が臣下を敬い呼んだ呼称。劇中では燕山が孔吉を呼ぶ呼称。孔吉は賤民の身でありながら、王から〈爾〉と呼ばれた実在の人物。

『月の家 タルチプ』

作=盧炅植(ノ・ギョンシク)
翻訳=宋美幸

盧炅植

1938年、全羅北道南原生まれ。南原農業高校から慶煕大学経済学部に進学、在学中に書いた随筆が国文科の教授の目に留まり、文章を書くことを勧められる。卒業後、ドラマセンター演劇アカデミーを修了。1965年に『渡り鳥』でソウル新聞新春文芸戯曲に当選。その後、出版社に勤めながら執筆活動を続ける。
代表作に『月の家(タルチプ)』(71)、『懲毖録』(75)、『小作地』(79)、『塔』(79)、『鼓』(81)、『井邑詩』(82)、『空ほど遠い国』(85)、『踊るミツバチ』(92)、『ソウルへ行く道』(95)、『千年の風』(99)、『燦爛たる悲しみ』(02)、『反民特委(ソウルの霧)』(05)、『二人の英雄』(07)、『圃隱 鄭夢周』(08)などがある。
2003年には大邱で「盧炅植演劇祭」が開催された。また、「盧炅植戯曲集」も刊行されている。南北問題に関心を持ち、「ソウル平壌演劇祭」推進委員長を務める。著書として歴史小説も書いている。
受賞歴は「百想芸術大賞」戯曲賞(71、82、86)、「韓国演劇芸術賞」(83)、「ソウル演劇祭」大賞(85)、「東亜演劇賞」作品賞(89)、「大山文学賞」(99)、「行願文化賞」(00)、「東朗・柳致眞演劇賞」(03)、「韓国戯曲文学賞」大賞(05)、「ソウル特別市文化賞」(06)、「韓国芸総芸術文化賞」大賞(09)など多数。

『月の家 タルチプ』あらすじ

1951年、小正月の二日前。山里のとある村。ここでは老婆、ソン・ガンナンが次男のチャンボと、孫嫁のスンドク、曾孫の少年と一緒に暮らしている。ガンナンは、軍隊に行った孫のウォンシク(スンドクの夫)が、無事に家へ帰って来ることと、アカになり山に入ってしまったウォンシクの弟、マンシクが早く戻って来ることを願い待っている。しかしチャンボは村長から、甥っ子のマンシクがパルチザンと共に隣村を襲い、警察隊から追撃されたかも知れないという事実を知らされる。
小正月の夕暮れ。ガンナンが二人の孫の健康を祈っている。チャンボはマンシクの亡骸を確認していたが、このことは隠し通そうと心に決める。その夜、ガンナンの家もパルチザンに襲われ、家畜と食糧を奪われた上、チャンボとスンドクは山に連れて行かれる。翌日の明け方、二人は帰って来るが、スンドクは辱めを受けていた。ガンナンは彼女に家を出ることを命ずるが、チャンボはこれを頑なに反対し大喧嘩する。そして堪えきれずに三·一事件の時、ガンナンが侮辱を受けた秘密を暴露し、家を飛び出す。
それから数時間後、ウォンシクが除隊して家に帰って来るが、彼の目は見えなくなっていた。翌朝、打ち明けられるはずのないスンドクは、木の枝に首を吊って自殺する。ガンナンは何があっても揺るがず、急がなくてはならない畑仕事のことを思い、その日に限って朝寝坊した曾孫の名前を、ただ闇雲に呼び続ける。

『旅路』

作=尹泳先(ユン・ヨンソン)
翻訳=津川泉

尹泳先

1954年全羅南道、海南生まれ。檀国大学校英語英文学科を出て、米国ニューヨーク州立大演劇学科卒業。1993年帰国。翌年『斜視の人禅問答』で演劇界に新しい活力を吹き込む。劇団演友舞台で公演活動。97年プロジェクト・グループ「パーティー」を結成し、10編余りの戯曲を発表。日常的な事件や人物に取材し、詩的言語を駆使した劇世界を構築。韓国芸術総合学校演劇院演出科教授として、多くの弟子を育てた。06年『賃借人』演出を最後に、07年8月24日肝臓癌で亡くなった。
代表作
『旅路』06年韓国評論家協会今年の演劇ベスト3、『キス』97年韓国評論家協会ベスト3受賞

著書
『俳優の存在』(ジョセフ・チェイキン著・翻訳)95年現代美学社
『尹泳先戯曲集1』01年平民社
『尹泳先戯曲集』08年チアン出版社

『旅路』あらすじ

ソウル駅から列車で小学校同窓だった友の葬儀へ向かう五人の中年男。列車内で互いの消息を話す内に、社会的地位の差もあり、ぎこちない雰囲気に。話は失踪したキテクに移る。彼は家具工場を火事で焼失、海で行方不明になっていた。
友の葬式場所は馴染みのない土地。しめやかな通夜、突然、失踪したキテクが現れる。キテクのふてぶてしい態度に、仲間の一人が腹をたてる。
一夜明け、火葬場。火葬せず故郷に埋めてやりたかったとヤンフン。しかし、故郷はリゾート開発に収奪されている。故郷も友人も変わった。望郷の思いがそれぞれの胸によぎる。ヤンフンは故人の遺灰を触りたいと焼場に突入して騒ぎを起こす。
火葬を終えて帰るバスの中、憂さを晴らすかのようにどんちゃん騒ぎする。ソウル高速バスのターミナルでそれぞれの日常に戻ろうとする中で、ヤンフンは「また今夜、おれが死ぬかも」と動こうとしない d。久しぶりの再会がもたらした望郷の想いや追憶……。それぞれの心に生じた微妙な亀裂を縫うように、孤独な魂が寄り添う。

『流浪劇団』

作=李根三(イ・グンサム)
翻訳=洪明花

李根三

1929年、平壌生まれ。平壌師範学校、東国大学英文科、ノースカロライナ大学院卒業後、1966年ニューヨーク大学大学院修了。東国大学専任講師、中央大学副教授を経て、国際ペン倶楽部・韓国本部副会長、西江大学社会科学大学長、大韓民国芸術院会員を歴任。1958年、アメリカ・カロライナ劇会で英文戯曲『果てしなき糸口』で劇作家として登壇、1960年、『原稿用紙』で韓国デビュー。61年『大王は死を拒否した』、63年『偉大なる失踪』、65年『第十八共和国』、71年『流浪劇団』、93年『李成桂の不動産』、98年『老優の最後の演技』、01年『華麗なる家出』等、40作以上の戯曲を執筆。シェイクスピアやオニールの翻訳、西洋演劇史や演劇論の出版など、英米演劇の紹介に尽力。大韓民国芸術院賞(92)、玉冠文化勲章(94)、国民勲章牡丹章(94)、大山文学賞・戯曲部門(01) など、数々の賞を受賞。

『流浪劇団』あらすじ

日本の植民地政策が強化される中、ある劇場が閉館となる。劇団員たちは劇場からも、宿泊していた旅館からも追い出され、流浪の生活が始まる。そこで、愛を主題にした新派劇を公演するが、この公演が思想劇であるとして、団長は日本の警察に逮捕され、作家は拷問を受け、大黒柱を失った劇団は解散の危機を迎える。しかし、それぞれの思惑を抱えながらも残った劇団員たちは再び心を一つにし、新団長を中心に全国津々浦々をまわり、公演を続ける。そんな中、作家のオ・ソゴンは、村の農楽隊から新たな演劇のアイディアを得てマダン劇を行う。マダン劇の成功は劇団に活力をもたらしたが、拷問で持病を患っていたオ・ソゴンは死を迎え、劇団は再び解散の危機に。それぞれがバラバラになっていく中、後から劇団に入団した二人の若者、マンサクとセシルによって、劇団の命脈は引き継がれていく……

韓国現代戯曲集Vol.4

韓国現代戯曲集4

入手は日韓演劇交流センターへお問い合わせください。

以下プロフィール等は2009年当時のものです。

『凶家』

作=李ヘジェ
翻訳=木村典子

李ヘジェ

1971年、慶尚南道釜山生まれ。釜山南高等学校を卒業し東国大学に進学するが、演劇を志し故郷・釜山のカマゴル小劇場で演劇活動を始める。93年、再びソウルに行き、〈ウリ演劇研究所〉に所属、作家としてカントルの『死の教室』などの再構成に関わるが、94年からフリーとなり本格的な作家活動に入る。95年、初戯曲『曲馬団物語』を発表、その後、『花畑』(96)、『詩劇 凶家(原題・凶家に光よ射せ)』(99)などを経て、00年に同郷の俳優たちと劇団〈蜃気楼万華鏡〉を旗揚げ、活動領域を演出にも広げる。01年~06年は演劇実験室〈恵化洞一番地〉の第三期同人となり、独自の演劇的世界を構築するとともに、『風の国』(01)、『ロミオとジュリエット』(02)、『マジック・カーペット・ライド』(05)など、ミュージカル脚本も手がける。また、02年の〈日韓舞台芸術コラボレーションフェスティバル〉に『水漬く屍』で参加し、『出撃』(作=鐘下辰男、演出=鵜山仁)と競演。08年には三谷幸喜『笑の大学』を演出。00年〈明日を開く作家〉(韓国文化芸術振興院)に選定、05年〈今年の若い芸術家賞〉受賞。他の代表作に、『世紀初期怪奇伝記』(00)、『薛公瓚傳』(03)、『ストーリーキング捜索本部』(04)、『津波』(05)、『六分の戮』(05)、『象とわたし』(07)、『タリフォーン・モダンガール』(07)などがある。

『凶家』あらすじ

ある夜パブクスンは、自身も知らぬ間にふらふらと、三〇年前に住み込み奉公をしていた南長者の家を訪れる。荒れ果て、今は誰も住む者もない凶家となったこの家で、パブクスンはひどい過去を回想し、自殺を試みる。その時、大門鬼神となった南長者があらわれる。南長者はどうして家が没落したのか、その理由をパブクスンに問いただし、二人は賭けをする。賭けは、家神のふりをして家にとりつく雑神たちに、彼らがすでに死んでいることを教えてやること。しかも条件が三つ。言葉で死んだことは教えてはいけない、南長者を巻き込んではいけない、朝まで生きていなければならない。この賭けに負ければ、パブクスンを生きる屍にしてやるというのだ。まもなく、次々にあらわれる雑鬼たち。よく見るとかつて一緒にこの家で暮らした人々だ。三〇年前のある日、その日とまったく同じに行動する彼らを見て、驚くパブクスン。そして、奇妙にもつれ合う事情で死んでいった彼らのあの夜が再び繰り広げられる。

『こんな歌』

作=鄭福根(チョン・ボックン)
翻訳=石川樹里

鄭福根

1946年、忠清北道清州市生まれ。中央大学国文学科四年中退。1974年より劇団架橋の座付作家として本格的に劇作を始め、同劇団の先輩作家であった李康白の勧めで新人劇作家の登竜門である日刊紙の新春文芸に応募し、1976年に東亜日報新春文芸に『キツネ』が当選。以来三十余作の戯曲を執筆し、現在まで創作活動を続けている、韓国を代表する女性劇作家である。主に歴史の荒波に翻弄される人間の苦悩を女性の視点から捉え、過去と現在が混在する濃密な時空間を凝縮された文体で表現している。1994年以降、女性演出家ハン・テスクとコンビを組んで数々の話題作を発表した。
代表作に『台風』(78)、『チッキミ(守り神)』(87)、『毒杯』(88)、『失碑銘』(89)、『隠れた水』(92)、『こんな歌』(94)、『チェロ』(94)、『徳恵翁主』(95) 、『世宗32年』(96)、『私、キム・スイム』(97)、『羅雲奎―夢のアリラン』(99)、『ベ・ジャンファ、べ・ホンリョン』(01)、『荷』(07)などがある。1989年『失碑銘』で韓国百想芸術大賞戯曲賞、1994年『こんな歌』でソウル演劇祭戯曲賞を受賞、1997年ヨンヒ演劇賞、2008年『荷』で大山文学賞戯曲部門を受賞。

『こんな歌』あらすじ

ヨンオクは韓国の伝統衣装であるチマ・チョゴリの仕立て職人である。彼女は作業場で、一人ミシンの前に座り、チマ・チョゴリを仕立てている。彼女は幻聴に苦しめられ、過去を回想する。彼女の家は、代々裕福だった。しかし日本の植民地時代に親日家だった彼女の父親が、北朝鮮の人民軍に殺されて以来、家運が傾いてしまった。俗に言う裕福な暮らしを夢みていたヨンオクは、一流大学出身であるにもかかわらず、田舎で教師生活を送る夫に不満を持つ。彼女は、あらゆる方法を使って、夫のインスを国会議員にしようとする。結局、進歩政党に入党したインスは、でっちあげのスパイ容疑で逮捕される。夫を釈放させるために、ヨンオクは警察の口車に乗せられ、インスをスパイとして密告する。しかし検察は彼女との約束を裏切り、インスは死刑にされる。夫を告発し、死に至らせたヨンオクと息子ギョンフンは村を追われ、苦しい生活を強いられる なんとか大学院を出たギョンフンは、工場に就職し、労働組合に入って賃金闘争をはじめる。息子を労働組合から脱退させるため、ヨンオクは労組のアジトを警察に密告する。ところが、これを知ったギョンフンは、その場所に駆けつけ、焼身自殺をしてしまう。自分の愚かさに気付き、絶望に陥ったヨンオクは、夫と息子の幻影に苦しみ、部屋に火を放つ。

『統一エクスプレス』

作=呉泰栄(オ・テヨン)
翻訳=津川泉

呉泰栄

1948年ソウル生まれ。1974年ソウル芸大演劇科卒業。同年『歩行練習』が中央日報新春文芸戯曲部門当選。1979年韓国戯曲作家協会賞、1980年代は劇団76で活動。1987年戯曲集『風の前に灯をかかげ』出版。同年「戦争」で第32回現代文学戯曲部門受賞。アウトサイダー的視点から数々の社会諷刺劇を発表。88年『売春』は公演倫理委員会の公演不可判定が出たが敢行。公演事前審議制度廃止の端緒となった。以来、10年近く断筆。久々に発表したのが1999年『統一エクスプレス』。2000年『豚の脂身』、01年『燃えるソファ』、02年『きな粉』と立て続けに統一演劇シリーズ4本を発表、作風の大きな転換点となった。03年『車輪』、04年『ホテル フェニクスで眠りたい』、06年『禅』、08年創作戯曲活性化支援事業選定作品『おだやかな埋葬』は、ピンターの初期作品に触発され「従来の劇作法から脱皮、新しい変化を試みた」作品だという。

『統一エクスプレス』あらすじ

舞台は軍事境界線近くにある飲食店。店を偽装経営するウボと北側の行動隊員カプサンは越境する人々を南北往来秘密通路に案内し通行料を取って大金を儲けている。ウボはオッカという娘を利用している。秘密通路を通り、脱北した彼女はこの秘密通路こそ全国統一の道だと信じ、国境守備隊員たちに体を売って、地雷を掘りだし、秘密通路の安全を確保している。
そんなある日、某財閥会長が牛の群れを追い立てて北朝鮮を訪問し、政府がウボの飲食店のそばに公式往来窓口を開設したため、彼らの商売は閑散となる。ところが、分離体制固着を狙う機関員と武器販売業の財閥が、統一を阻止するために潜水艦などを使って局地戦を挑発しようと陰謀をたくらむ。その結果、商売は再び活気を帯び、彼らは喜々として祝杯を上げる。無邪気に「私たちの願いは統一」という歌を歌うオッカ。公式往来を待ち望む失郷民の老人は、夢に描いた故郷を踏むことができずに死ぬ。

『旅立つ家族』

作=金義卿(キム・ウィギョン)
翻訳=李惠貞

金義卿

1936年生まれ。1960年ソウル大学文理学部哲学科卒業後、同年劇団「実験劇場」創立メンバーとして演劇活動を始め、1968年より1970年までアメリカのBrandeis大学院演劇学科修士課程にて演劇学を研究、修了。その後1976年、 劇団「現代劇場」を創立し、代表を務め、現在に至る。韓国演劇協会理事長(1986~88年)、ITI韓国本部会長(1994~99年)韓国BeSeTo 委員会の初代委員長(1994~2000年)を務めた。1962年戯曲『新兵候補生』で劇作家としてデビュー。主な戯曲に、『南漢山城』(74)、『植民地から来たアナーキスト』(84)、『失われた歴史を探して』(85)、『大韓国人安重根』(98)、『八萬大蔵経』(99)、および本作品『旅立つ家族』があり、このうち『南漢山城』は第11回百想芸術賞戯曲賞(1975年)、『失われた歴史を探して』は第22回百想芸術賞戯曲賞(1986年)、『旅立つ家族』は第15回ソウル演劇祭戯曲賞(1991年)、大韓民国文化芸術賞(2001年)を受賞した。戯曲以外に、翻訳書『鈴木演技論』(1993年)、『演劇経営』(2002年)、『二〇世紀の日本演劇』(2005年、共訳)などがある。

『旅立つ家族』あらすじ

この戯曲は韓国現代美術界を代表する国民的画家、李仲變(イ・ジュンソプ)(1915~1956)の半生を描いた作品である。李仲變は主に牛や子供の絵を描いた、韓国人なら誰でも知っている画家である。李仲變は、絵画を勉強するため、日本の文化学院に留学中に、後に妻となる山本方子と運命的に出会う。しかし、その後の彼の生涯は、常に時代に翻弄されることになる。動乱のため、故郷を離れ、母、兄弟とも別れて南方に逃れる。済洲島そして釜山で避難生活を送るが、度重なる生活苦と方子の病気のため、 仲變は韓国に、方子と二人の子供は日本に離れ離れに住むことになる。その後、仲變は妻と子供たちに会いに日本に行くが、自らの芸術を追究するため、絵を描く場を故郷韓国に定めて戻ってくる。一時は個展を開くほどの成功を収めるが、やがて貧困のうちに精神を病み、40歳の若さでこの世を去る。

 『自鳴鼓』

作=柳致眞(ユ・チヂン)
翻訳=山野内扶

柳致眞(ユ・チジン)

1905年~1974年。慶尚南道統営生まれ。号・東朗。統営公立普通学校を卒業後、釜山郵便局付属の通信技員養成所に通い統営郵便局に一時勤務するが、20年に日本に渡り、立教大学英文科に入学。31年、卒業と同時に帰国し、築地小劇場で活動していた洪海星らと〈演劇映画同好会〉を結成。その後、この団体を発展させ〈劇芸術研究会〉を旗揚げし、初期作『土幕』(33)、『牛』(34)などを発表。劇団解散後、39年に〈劇研座〉を旗揚げするが内部問題と日帝の強制解散命令によって再び解散。41年、朝鮮演劇協会傘下の劇団〈現代劇場〉を旗揚げ。この活動が親日派問題として後々柳致眞への評価についてまわる。50年に開館した国立中央劇場の設立に大きな役割をはたし国立劇場館長に就任、『元述郎』を公演。62年、ロックフェラー財産の支援を受けて、ドラマセンターを南山に建設。64年には演劇学校を併設し、突出した現代演劇の人材を多数輩出する実験的な空間となった。現在はソウル芸術大学と改められ、韓国を代表する演劇学校として高い評価を受けている。他の代表作に『柳の立つ村の風景』(33)、『貧民街』(34)、『麻衣太子』(34)、『自鳴鼓』(47)、『處容の歌』(53)、『青春は祖国とともに』(55)、『論介』(57)、『漢江は流れる』(58)など。また、百作品以上の演出を手がけた韓国を代表する演出家でもある。

『自鳴鼓』あらすじ

三国時代の朝鮮半島。弱小国の楽浪は中国・漢の力を借り、他国の脅威から身を守っていた。ある日、山深い国境に石碑を立てるために出向いた王たち一行の前に、高句麗の暴れ王子ホドンが現れる。彼の目的は楽浪の至宝「自鳴鼓」の破壊。この太鼓は、わずかにでも他国の侵攻があると勝手に鳴り出し、危機を知らせるという神器であった。大立ち回りのすえ、漢の若き将軍チャンチョと楽浪兵たちに捕らえられるホドン。「漢の力など借りず、朝鮮民族は一つになり、誇りをもって独立するべきだ」という彼の言葉に胸を打たれた楽浪の王女は、処刑からホドンを救い出し、自鳴鼓の破壊を決意する。

韓国現代戯曲集Vol.3

韓国現代戯曲集3

戯曲集の入手については日韓演劇交流センターへお問い合わせください。
下記プロフィール等は2007年当時のものです。

 

『山火(やまび)』

作=車凡錫(チャ・ボムソク)
翻訳=木村典子

作=車凡錫(チャ・ボムソク)

1924年、全羅南道木浦生まれ。光州師範学校(1945年)ならびに延世大学英語英文科(1966年)を卒業。55年、朝鮮日報新春文芸に戯曲『密酒』が佳作入選、翌年『帰郷』が当選し文壇デビュー。戦後文学の第一世代として、韓国リアリズム演劇の確立に貢献。戦後文学世代ならではの風刺と批判意識の強い作品群は、戦争とその傷痕という問題にとどまることなく、変遷する社会を多様な角度からみつめている。60年代には代表作『山火』をはじめ『鷗の群』『青瓦家』など17作品、70年代には『王教授の職業』『虐殺の森』など21作品、80年代以降は『鶴よ、愛なのだろう』『夢の空』『オクダン』などを発表。また、56年に劇団製作劇会を旗揚げし、小劇場運動を主導。63年、劇団山河創団。清州大学、ソウル芸術専門大学で教鞭をとりながら、大韓民国芸術院会長、韓国文化芸術振興院長を歴任。2006年6月6日、82歳で他界。

『山火』あらすじ

朝鮮戦争休戦会談が行われた冬から翌春にかけての、慶尚道と全羅道を隔てる山脈の山あいにある集落。
里長の梁(ヤン)氏のところへ女たちが集まっている。ほとんどの男たちは殺されたのだ。梁氏の息子で点禮(チョムレ)の夫は、人民軍に捕まる前に逃げたとされ、反動の札をつけられている。いらだつ女たちは、穀物のことや梁氏の息子のことで口論となる。貧しさで生活は荒んでいた。そこへ夜警勤務の命令が下る。この村にアカが逃げ込んだらすぐ通報せよと。もし匿えば連帯責任で村が処罰されることになる。梁氏が夜警当番の晩、点禮の前に怪我をした圭福(ギュボク)が現れる。アカではないという圭福を点禮は竹林に匿う。
3週間後、点禮は竹林に食料を運んでいた。圭福と密会を重ね親密な関係になっている。圭福はアカの友人に連れ回され、いつのまにかアカの札をつけられていた。自首を勧める点禮だが圭福の決心はつかない。村では山にアカが逃げ込んだと噂されていた。竹林から下りてきた点禮を四月(サウォル)が見つける。詰め寄る四月にこっそり圭福のことを告げると、四月は一日交代で圭福の面倒を見ることを提案、点禮は仕方なく承諾する。
早春、四月が寝込んでいる。圭福との子を身籠もったらしい。亭主もいないのに子どもが出来るはずがないと母の崔(チェ)氏は思っている。四月の様子を見に行く点禮。アカを一掃するために山に火を放つという噂もあり、二人は追い詰められる。四月の子どものことは村でも噂になっていた。
竹林を燃やすためにやってきた兵士を必死に止める点禮だが、願いも空しく火が放たれる。やがて圭福が引きずり出され、女たちは四月の家へ押し寄せる。家の中から聞こえた崔氏の悲鳴は、やがて泣き声に変わっていく。その声を聞きつつ、点禮が圭福の手足を揃えてやる。

『人類最初のキス』

作=高蓮玉(コ・ヨノク)
翻訳=山野内扶

作=高蓮玉(コ・ヨノク)

1971年ソウル生まれ。94年、釜山東亜大学卒業。同年、釜山MBC児童文学大賞少年小説部門に入賞。時事雑誌記者ならびに放送作家として活動中の96年、釜山日報新春文芸戯曲部門に入賞し、劇作家としてデビュー。99年、釜山市立劇団主催の小劇場フェスティバルで『夢ならいいのに』、埠頭演劇団で『芝居のような人生』(原作=『ヴォイツェック』)など、釜山での活動が中心だったが、01年に金洸甫(キム・カンボ)演出で『人類最初のキス』をソウルで上演。この作品が2001年演劇評論家協会が選ぶベスト3に選ばれ一躍脚光をあびる。03年、再び金洸甫とのコンビで『笑え、墓よ』を上演し、04年の芸術賞演劇部門優秀賞、浦項国際演劇祭最優秀作品賞。06年、『一週間』(演出=朴根亨(パク・グニョン))、『白下士官物語』(演出=ムン・サムファ)を発表、ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の脚色も手がけるなど、旺盛な創作活動をつづけている。

『人類最初のキス』あらすじ

人里はなれた山奥にある青松(チョンソン)監護所の一般房に、元タクシー運転手のハクス、この部屋の班長トンパル、イエス信者のソンマン、入所間もないやくざのサンベクが暮らしている。
ハクスの仮釈放の決定を下す社会保護委員会が開かれ、判事・検事・心理学者・精神科医の審査が始まる。反省を述べるハクスに対し、検事は危険な男だと言い、心理学者は極悪非道な犯罪者の典型的な顔だと説明しつづけている。医師はそれに対し時代錯誤と反論するも、結局保護観察延長3年が言い渡される。判決を聞き狂いだしていくハクスを興味深くみながら判事は5年、7年とさらに延長する。ハクスから理性の色が消えはじめる。ある日の早朝、ハクスが食べていたものは自分の糞だった。
ソンマンの懺悔文が評価され、仮釈放の社会保護委員会が特別に開かれた。ソンマンはまるで救世主イエスのような神々しい姿で、逆に危険人物とみなされ、仮釈放は棄却される。暴れたソンマンは教導官に銃殺される。残された三人の前に亡霊となって現れ、こちらは幸せな場所だと死の世界に誘う。ハクスは静かに息絶える。
サンベクのところへ教導官が来る。長い間の顔見知りだ。教導官は一生を塀の中で暮らす俺たちは似たり寄ったりだと言い、サンベクもそれに同意する一方で、私は人殺しの悪人だと言い、教導官を絶望させる。
トンパルの社会保護委員会が開かれた。外へ出る意思がないトンパルを理解できない判事たち。その時、外が騒がしくなる。一人の受刑者がトイレで首をくくったことが知らされる。トンパルはサンベクだと直感する。判事は満65歳以上は無条件仮釈放となる判決を出すが、トンパルはそれを拒む。空に向かって話すトンパル。「俺も連れて行けよな。いっしょに行こうぜ。」

『0・917』

作=李鉉和(イ・ヒョナ)
翻訳=鄭大成

作=李鉉和(イ・ヒョナ)

1943年、黄海道載寧生まれ。67年、延世大学英文科卒業。93年、延世大学言論情報大学院新聞放送高位課程修了。70~01年までKBSテレビに勤務。70年、「中央日報」新春文芸に『ヨハネを捜します』で入選し、76年、「中央日報」創刊10周年記念公募に『シーシーシーッ』が入賞、金正鈺(キム・ジョンオク)演出で自由劇場が上演。77年「文学思想」新人作品賞、78年ソウル劇評家グループ賞、韓国演劇映画芸術賞、79年「現代文学」賞、84年大韓民国文学賞、87年大韓民国演劇祭戯曲賞、88年東亜演劇賞、百想芸術大賞、98年キリスト教文化大賞など受賞多数。
75~80年、民衆劇場『どなたですか?』がロングラン。『カデンツァ』(78)、『0.917』(81)で劇作家としての地歩を固め、『サンシッキム』(81)、『不可不可』(82年)などで、抑圧された人間存在の悩める魂の深奥をさらに追及した。〈残酷演劇〉という面ではアントナン・アルトーとの、風刺的想像力の楽しみ・不条理劇という面では朴祚烈(パク・ジョヨル)やピンターとの共通性で語られることもあり、現代韓国におけるポストモダン劇の急先鋒である。

『0.917』あらすじ

ある雨のふる夜、中年の男が一人、宿直室で無聊な時を過ごしている。
そこに、雨にびっしょり濡れた一人の少女が飛びこんでくる。男は少女を家に帰そうとする。が、少女は男の言うことをきかず、体で男を誘惑し、中年になるまで、何をし、何のために生きてきたのかと、男を厳しく問い詰める。50代後半での惨めな定年退職を考えたら、挫折して当然ではないかと。
そこに、夜食のサンドウィッチを持って、男の妻が現れる。男はあわてて少女をソファの後ろに隠す。しかし、これまでのことはすべて男の幻想だった。いつの間にか現実の世界に戻った男の耳に、少女の笑い声が響く。汽笛よりも大きく、その笑い声は男をあざ笑う。
さて、所かわって、さっきの男の妻か。たしかに話は繋がっているのだが、違う女だという設定で女A。マンションに帰って明かりをつけると、闇の中で少年がうずくまっていたので驚く。
家に帰そうとするが、黙ってばかりいて、なかなか帰らない。そのうち女Aは少年に同情してしまう。亭主の食べなかったサンドイッチを少年に食べさせた後、だんだん気を許してしまう。
少年は顔色を窺いながら、いつのまにか女Aの乳房に手をやっている。そして彼女にワインを勧める。しらずしらず彼女は興奮してくる。その瞬間、少年ははじめて声を発し、肉体派サディストに変身。ワインを胸にたらして女Aに飲ませ始める……。
そして最後の場所は、少年A・少女Aの登場するアジト。帰ってきた彼らの謎めいた会話。あたかも妖怪人間のごとく、「早く成人になりたい」という彼らは何を表しているのか。
「幕」という語を廃し、登場人物につけられる「A」という記号。物語を拒否しつつ、無数に累乗されるストーリー。

『離婚の条件』

作=尹大星(ユン・デソン)
翻訳=津川泉

作=尹大星(ユン・デソン)

1939年咸鏡北道會寧生まれ。61年延世大学校法学科卒業。64年ドラマセンター演劇アカデミー修了(現・ソウル芸術大学)。67年東亜日報新春文芸戯曲部門に『出発』が当選。銀行員生活をしながら戯曲を書いていたが、70年銀行を辞め、本格的作家活動開始。73~80年劇作の傍らMBC専属作家として『捜査班長』などテレビドラマを執筆。80年からソウル芸大劇作科で教鞭をとり、04年退官。同年『尹大星戯曲選集』全4巻刊行。
2000年23回東朗・柳致眞演劇賞、韓国演劇映画芸術賞(2回)、東亜演劇賞、現代文学賞、大韓民国演劇祭戯曲賞、大韓民国放送大賞脚本賞、韓国演劇芸術賞、大統領表彰、国民褒章などを受賞。
主な作品に『マンナニ(ならず者)』『奴婢文書』『出世記』『男寺党の空』『SARS家族』『明洞ブルース』『清渓川(チョンゲチョン)』。韓国の伝統的仮面劇などの民俗的要素を加味した作品や、青少年のための作品、『離婚の条件』に代表されるアクチュアルで社会性濃厚な写実主義的作品がある。

『離婚の条件』あらすじ

90年代半ば頃から20年以上連れ添った中高年の「熟年離婚」が韓国でも増え、「黄昏離婚」という名でマスコミ報道されるようになった。『離婚の条件』は、熟年夫婦の危機と波紋をリアルに描く。
コピーライターの夫は、アイディアの創出に四苦八苦していた。コーヒーの宣伝コピーがままならないのだ。そんなある日CF撮影現場で在日同胞出身のモデル、30代初めのユミに出会い、互いに惹かれあう。
娘の結婚の3日前、妻が夫に突然離婚を宣言。実は25年の間、着々と離婚準備を進めてきた。ことあるごとにアドバイスしてきた主治医崔博士も困惑するばかり。その晩、婚約者ハンが娘エラを訪ねて突然、婚約破棄を申し出る。夫は婚約破棄に賛成する。泥酔したハンはエラの部屋に泊まり、枕を共にする。深夜、エラと愛しあって自信を取り戻したハンは破棄を撤回。ハンが帰っていくと、夫人が恋人がいると告白。夫は家を出て行く。
数ヶ月後、夫は散らかり放題の部屋で腰痛に苦しんでいた。訪ねてきたユミが、いつものように腰に脚を絡ませて抱きついた拍子に腰痛が奇跡的に治る。二人は一緒に暮らしはじめる。
ひと月後。部屋からユミがかばんを持って出ていこうとする。と、夫が帰ってくる。夫の言い訳もむなしく、ユミは出て行く。夫ははじめて、「生きるとは何か?」という人生の意味に対する根源的問いに直面する。そして妻に電話する。だが、妻の名が思い出せない。世界が壊れた彼の眼前には、幻影のように現れる夫人、博士、娘夫婦、ユミ。
夫の子供を妊娠したユミは自立して子供を育てるという。「残った人生でオレの役割は?」とつぶやく夫。崔博士が答える。「死の安息が待っている」と。その時、ようやく人生の真実に開眼した彼に、行き詰まっていた広告コピーのアイディアが閃く。

『呉将軍の足の爪』

作=朴祚烈(パク・ジョヨル)
翻訳=石川樹里

作=朴祚烈(パク・ジョヨル)

1930年、咸鏡南道咸州郡生まれ。咸興高級中学校卒業後、北朝鮮で一年半あまり中学校の文学教員を勤める。1950年、朝鮮戦争のさなかに南に渡る。その後12年間、韓国陸軍服務。63年、ドラマセンター演劇アカデミー研究課程(現ソウル芸術大学)に入学し、戯曲・ドラマ脚本の執筆を始め、63年10月、処女作『観光地帯』を発表。65年、『ウサギと猟師』で東亜演劇賞受賞。66年、劇団自由の旗揚げに参加。73年、呂石基(ヨ・ソッキ)教授とともに、韓国劇作ワークショップを開設。81年、ドラマドキュメンタリー『大地の息子』で大韓民国放送大賞受賞。86年以後、創作活動を中断し、演劇上演に対する事前検閲制度の廃止運動を主導。88年、『呉将軍の足の爪』で百想芸術大賞受賞。現在、韓国芸術総合学校演劇院客員教授。大韓民国芸術院(アカデミー)会員。ほかの代表作に『首の長い二人の対話』、『シロの訪問』、『曺晩植は生きているか』ほか。ラジオドラマ・テレビドラマ多数。

『呉将軍の足の爪』あらすじ

貧しい小作人の一人息子として生まれた呉将軍は、おっ母とモクセ(牛)と日々のどかに暮らしていた。ある日、将軍のもとに召集令状が届く。将軍は恋人コップンに知らせに行き、入隊する前にと結ばれる二人。
訓練所に入った呉将軍二等兵は、訓練中に腰が抜けたり、隊から無断離脱したりと、問題ばかり起こしている。しかし戦況は厳しく、訓練期間を短縮して前線に送られることになる。前線に送られる前夜、遺体が見つからない場合に備え、髪の毛と爪を切るよう命じられる。
一方、村にもしょっちゅう戦闘機が飛んでくるようになった頃、おっ母のもとに再び召集令状が届く。同じ村に「呉将軍」という同姓同名の青年が二人いて、前に受け取った召集令状は他人のものだったのだ。おっ母とコップンは慌てて郵政省や軍に嘆願に行くが、たらい回しにされるばかり。そんなことはつゆ知らず、前線に向かう呉将軍。
一方、前線では軍事会議が開かれている。司令官は敵の攻撃をかわすため、敵軍にニセの情報を流す逆情報工作を企む。司令官は、肩を揉みにきた呉将軍の純粋無垢な態度に目をつけ、彼にニセ情報を与え、敵の捕虜になるように仕向ける。
前線に置き去りにされた将軍は、敵に見つかり捕虜にされる。まさにその時、逮捕状を持った憲兵が現れ、他人の召集令状で入隊した呉将軍の引渡しを司令官に要求する。しかし、すでに遅し。
敵軍の捕虜となった将軍は拷問され、ニセの情報を敵軍に漏らす。ニセの情報を信じ、攻撃のチャンスを逃した敵軍は、将軍が逆情報の工作員であったことを知り、処刑を執行する。将軍は最期まで何も知らぬまま、ただ一言「おっ母、コップン、モクセ」と叫び、銃殺される。敵軍の司令官は最期まで無知な百姓を演じ通した将軍の“名演技”に感嘆する。
おっ母、コップン、モクセのもとに、前線に行く前に切った髪の毛と爪が入った箱が届けられ、将軍の勇壮な戦死が伝えられる。
本作品は1974年に執筆されたが、軍を風刺した内容のため上演禁止処分を受け、1988年に初演された。

韓国現代戯曲集Vol.2

韓国現代戯曲集22005年2月18日発行

入手は日韓演劇交流センターへお問い合わせください。

下記プロフィール等は2005年当時のものです。

自転車

作=呉泰錫(オ・テソク)
翻訳=木村典子

作=呉 泰錫(オ・テソク)

1940年生。64年、延世大学哲学科卒業。劇作家として68年『換節記』、73年『草墳』、74年『胎』、80年『山茱萸』、83年『自転車』などを韓国演劇史に残る演出家たちが競って上演。84年に劇団木花を旗揚げして以来、演出家として自身の作品を上演している。代表作に『春風の妻』『父子有情』『白馬河の月の夜に』『コソボ、そして流浪』『I LOVE DMZ』他。現在、ソウル芸術大学劇作科教授を務めながら、専用劇場アルングジで一年の半分以上公演をおこなう。

『自転車』あらすじ

朝鮮戦争の時代に焼き殺された村人127名の命日に、村役場に務めるユン書記は理由もなく意識不明となり、42日間職場を欠勤する。欠勤届けを書こうにもその理由がわからない。彼は同僚のク書記と共に、その日の足取りを追う。……農高の同窓生を無免許医療で告発し、帰宅途中に酒を飲む。自転車を押しながら深夜の帰り道、ガチョウの家と呼ばれるハン家の前で、次女が家出したと主人がうろついている。妹を追い出したのは自分だと長女は言うが、その理由が釈然としない。どうもこの家の子供たちは、ソルメのハンセン病患者の家から養子に出されたらしい。彼はソルメに自転車を向ける。しかしそこでは何もわからない。しばらく行くと水死した祖父の友人の漢方医と会う。この漢方医も焼死した一人だ。石橋の下の蟹捕りの所では、醸造所のファン氏があばれ牛にやられたとやって来る。シントルメのコルチェンイまで来た時、ハン氏の次女が自転車に飛び乗った。墓地に隠れていたという。自転車の前にロウソクを立て、ハン氏の家に連れ帰ろうとした時、女の声が聞こえる。とっさにロウソクの灯りを消す。すると闇の中から牛が突進してくる。そして、意識を失う。……すっぽり記憶から抜けていた事件があった。ソルメの夫婦の家に炎が上がり、その現場に向っていたのだ。そこで彼が見たのは、炎の中のソルメの妻、それに重なるように、かつて死んでいった村人たちの姿だった。

 

鳥たちは横断歩道を渡らない

作=金明和(キム・ミョンファ)
翻訳=石川樹里

作=金 明和(キム・ミョンファ)

1966年生。88年梨花女子大学教育心理学科卒業。94年、評論家としてデビュー。劇作では97年に『鳥たちは横断歩道を渡らない』で三星文学賞戯曲部門を受賞。00年『オイディプス、それは人間』、01年『チェロとケチャップ』と連続で韓国演劇協会選定のベスト5となる。01年『トルナル(一歳の誕生日)』では韓国演劇評論家協会「今年のベスト3」と東亜演劇賞を受賞。02年、平田オリザとの合作『その河をこえて、五月』で第二回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。

『鳥たちは横断歩道を渡らない』あらすじ

交通事故で怪我をしたスンジェの代わりに演出をしてくれないかと演劇部の後輩に頼まれたジファン。はじめは断るが、結局演出を引き受ける。久しぶりのサークルルームに、仲間たちと過ごした日々が甦る。学生時代を送った80年代は軍事政権下、学生運動が盛んだった。仲間たちもデモや学習会にのめり込み、誰もが未来を信じて戦った。現役の後輩たちは、政治や社会には無関心、個人の欲望や快楽に率直でジファンは戸惑いを覚える。公演の演目は決まったが、反抗的なソンテやゲイのヒスなどはジファンに敵意があり、稽古はうまくいかない。そんなある日、連絡もなく稽古に遅れてきたソンテと衝突し、ソンテは稽古に来なくなる。入院中のスンジェを見舞ったジファンは、ソンテが演劇部の仲間だったギュテの弟だと知る。ジファンの恋人は民主化を訴えるために焼身自殺を計画、知りながら止めなかったギュテをジファンはいまだに許せない。しかし、ギュテ自身も警察の拷問で発狂し、今は精神病院に入院中だ。ギュテの弟であるソンテを見放すなとスンジェは忠告する。ソンテの居場所を突き止めたジファンは、欲望渦巻くいかがわしい酒場に足を踏み入れて連れ戻し稽古を再開する。しかし、ヒスが吃りで、稽古は進展しないし、ソンテは相変らず反抗的だ。朝、ヒスが一人で稽古をしていた。ヒスは、自分が同性愛者であることを父に告白できる日が来るだろうかと打ち明ける。

豚とオートバイ

作=李萬喜(イ・マニ)
翻訳=熊谷対世志

作=李 萬喜(イ・マニ)

1954年生。78年東國大学印度哲学科卒業。光州市内で小劇場を始め、処女戯曲『処女飛行』発表。90年『それは木魚の穴の底の小さな闇でした』で三星文芸賞、ソウル演劇祭大賞、戯曲賞、白想芸術大賞戯曲賞受賞。92年開始の『電気、チョッと消して下さい』は1000回を越えるロングランとなった。96年『治ってから出て行け』で東亜演劇賞戯曲賞。97年発表『辰年の上に戌年』は現在までロングランを続けている。

『豚とオートバイ』あらすじ

孤児ながら、苦労して英語教師になった黄載奎は結婚して幸せに生活していたが、一つ目で額に口がある奇形児が生まれ、苦悶の末、その子を殺してしまう。やがて下獄した彼を待っていたのは、妻が、病身の母を抱えつつ不倫に走り、その事に耐え切れず自殺したという報せだった。彼女は詩ともつかない走り書きを遺していた。「何日か前に初めて悟りました。始まりというのは、我々が何気なく口にした言葉と行動から始められたという事を。言葉の大切さを思い知って行きました。」
出獄後、予備校講師となった載奎は、かつての教え子である慶淑と暮らしている。高校教師だった載奎に猛烈なアタックを仕掛けた向こう見ずな少女だった慶淑は、今は医大を出て専門医の道を進む立派の大人の女性であり、犯罪者であった載奎を、昔と変わらずに、あるいはそれ以上に愛しており、年の離れた「元犯罪者」との結婚に反対する親と三年も闘い続けている。人生の全てにとまどっている載奎は、慶淑との結婚話にも迷う。それどころかこの結婚話が、彼に自分の来し方を思い巡らせてしまう。観客、或いは死んだ妻に語りかける載奎。それは彼の苦行のような人生を回想させ、それが彼を更に悩ませる。獄中、子殺し、裁判、慶淑との出会いといった様々な回想の中で、載奎はようやく「始めの一歩」を踏み出す覚悟ができてくる。

エビ大王

作=洪元基(ホン・ウォンギ)
翻訳=馬政熙

作=洪元基(ホン・ウォンギ)

1959年生。ソウル芸術専門大学を卒業。84年呉泰錫率いる劇団木花に入団し、俳優兼作家として活躍。89年『アスファルト』で韓国日報新春文芸に当選。02年発表の『エビ大王』でソウル公演芸術祭の戯曲賞・作品賞他を独占。代表作に『本物の新派劇』『高句麗ブルース』『スフィンクス—ソウル版オイディプス—』『イシモチは美味い』等がある。

『エビ大王』あらすじ

時代は古朝鮮のある時、青銅器から鉄器に移ろうとしている時代、神話と歴史が共存していた時期、政治と宗教が分離されていく時期。世継ぎとなる息子を欲していたエビ大王は、女ばかりしか生まれない事に業を煮やし、最後に生まれた娘を川に捨ててしまう。ある日、来世からの二人の使者が現れ、寿命が尽きたことをエビ大王に告げる。しかし大王は息子をもうけるまで死ねないと懇願する。使者たちは猶予の時間を大王に与えるが、そのかわり一日三十人の民を殺さなければならぬ事を彼に告げる。大王は多少の動揺を見せるが承諾する。息子を作るため三千人の宮女たちと産土神宮に籠り、長女の夫と次女の夫に政務を任せるが、派閥を形成して対立していく。使者たちは王にこう告げる。「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられる運命の女があなたの息子を産める」と。早速、娘の捜索を部下に命じる。捨てられた娘・パリデギは無事に成長していたが、育ての母が病気のため、わずか三俵の米で身を売る事になる。売られて嫁にいったパルド(八道)の家は焼かれ、パルドの八番目の息子と結ばれたパリデギは男を産む。予言は成就されるが、パリデギは自分の六番目の姉に夫を奪われ、息子にも去られてしまう。パリデギは産土神宮に招き入れられ、危うく父王と関係を結びそうになる。親子は再会するが、王は自らの罪の重さを悟り、「私を殺せ」と部下に命じる。

 

真如極楽―こころとかたち―

作=李康白(イ・カンベク)
翻訳=津川泉

作=李康白(イ・ガンベク)

1947年生。71年東亜日報新春文芸に戯曲『五』当選登壇。ヨンヒ演劇賞(75)、東亜演劇賞(82)、ソウル劇評家グループ賞(83)、韓国演劇芸術賞(94)、大山(テサン)文学賞(96)ソウル演劇祭戯曲賞(98)百想芸術大賞戯曲賞(01)等受賞多数。98年~02年韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。現在、ソウル芸術大学劇作科教授。代表作に『野原にて』(中学国定教科書所収)『七山里』『春の日』ほか。

『真如極楽 こころとかたち』あらすじ

名仏師ハム・ミョジンには二人の高弟がいた。仏像の完璧な「かたち」を追究するトンヨン。仏の「こころ」が入らなければ無意味と考えるソヨン。そして二人を兄のように慕って育ったハム・ミョジンの一人娘ハム・イジョン。ソヨンは煩悶の末、「かたち」に懐疑を抱き、仏のこころを探す旅に出る。その間、トンヨンはハム・イジョンの体を奪い結婚する。ハム・ミョジンは老いて体調が悪化、トンヨンを後継者に選ぶ。やがて、息子誕生。たまたま工房に立ち寄ったソヨンは二人の結婚を知り、再び遍歴放浪の旅に出る。十数年後、あれこれ小言を言う車椅子のハム・ミョジンを出入禁止にするトンヨン。ある日、ハム・ミョジンは倒れた仏像の下敷きとなって死ぬ。娘のハム・イジョンは父の幻影を見るほど動揺する。トンヨンは妻に自分の作った仏像に三千回礼拝することを命じる。彼女はそれを途中で投げ出し、ソヨンを探しに家を出る。そして野末で乞食のような姿をしたソヨンに出会う。ソヨンがつくる「かたち」にこだわらない石仏が近隣の人々の信仰を集めているのを知り、彼女も行を共にする。精神的な父ソヨンと実父トンヨンがいつも胸中で争い葛藤していた息子チョ・スンインは、仏師となることを願う父の希望に抗い音楽家となり、二人の「父」の不協和音を音楽で調和させようと決心する。音と沈黙、「かたち」と「こころ」が調和した境地、「極楽」という世界観が明らかにされる。

 

韓国現代戯曲集Vol.1

韓国現代戯曲集12003年10月11日発行
在庫は日韓演劇交流センターへお問い合わせください。

『代代孫孫』

作=朴根亨(パク・グニョン)
翻訳=熊谷対世志

『狂ったキッス』

作=曺廣華(チョ・ガンファ)
翻訳=木村典子

『パボカクシ』

作=李潤澤(イ・ユンテク)
翻訳=金成輸

『無駄骨』

作=張鎭(チャン・ヂン)
翻訳=青木謙介

『愛を探して』

作=金光林(キム・カンリム)
翻訳=石川樹里