プロフィール等は2018年時点のものです。
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刺客列伝
作=朴祥鉉(박상현/パク・サンヒョン)
翻訳=木村典子
朴祥鉉
1961年ソウル生まれ。西江大学新聞放送学科に入学し、西江演劇会で活動。卒業後、大宇電子にコピーライターとして入社し、二年で退社。作家を目指し執筆活動に専念する。15歳から新春文芸に小説と詩を応募していたが、30歳の時、最後と思って出した戯曲『405号のおばさんは実に善良だ』も落選。その後、東崇アートセンター、映画社などを転々とし、92年に尹政善「夕暮」を脚色・演出し演劇界デビュー。『最後の手ぶり』『青い墓の息遣い』などを演出後、1998年、『4000日の夜』を作・演出し、作家デビューをはたす。2000年~02年、オハイオ州マイアミ大学院で演劇を専攻。04年、『刺客列伝』で金相烈演劇賞、『405号のおばさんは実に善良だ』で大山文学賞戯曲部門を受賞。2010年には代表作『刺客列伝』『サイコパス』など5作品を収めた「朴祥鉉戯曲集」(チアン出版社)を上梓。現在、韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。
刺客列伝 あらすじ
ときは1931年12月、ところは中国の上海フランス租界。ある食堂にて、独立運動家の金九(号は白凡)は、革命家としての心得とテクニックを李奉昌に伝授している。独立運動は順調には進まず、そこに食堂の店員や客人の思惑が交錯していく……。20世紀の朝鮮独立運動をメインストーリーとしながら、その登場人物によって、中国の『史記』、イスラムのアサシン教団、チェチェンの武装集団などの「刺客列伝」が挿入され、そのエピソードは未来の「刺客列伝」へと向かっていく。
2019.7.10更新
黄色い封筒
作=李羊九(이양구/イ・ヤング)
翻訳=石川樹里
李羊九
劇作家、演出家、劇団海印主宰。演劇実験室恵化洞一番地五期同人。1975年、江原道寧越生まれ、忠南大学法学部中退、中央大学演劇映画学部演出科、同大学院卒業。幼少期を山深い集落で過ごす。この時、多目的ダムの建設により、数年にわたり村人が強制移住させられ、集落が水没する過程を目撃する。後に、これが一種の国家暴力であることに気付き、創作の原点となったという。学生時代には学生運動、労働問題にも深くかかわった。2008年、水没した故郷の集落を舞台にした『ビョルバン』が新春文芸に当選して劇作家・演出家として活動をはじめる。米軍基地の町で働く売春女性たちを描いた『七軒峠』(ソウル演劇祭優秀作品賞、2013韓国演劇ベスト7選定)、高校生たちの不安な心理を描いた『廊下で』(2014評論家協会が選ぶベスト3選定)、労働問題を扱った『黄色い封筒』(レッドアワード受賞、2015韓国演劇ベスト7選定)など、社会や歴史の中の弱者に焦点をあてた作品や、人と人の絆について問いかける作品が観客の共感を呼ぶ。2017年第4回ユン・ヨンソン演劇賞受賞。執筆・演出活動だけでなく、パク・クネ政権における文化芸術界ブラックリスト事件を調査する「真相調査および制度改善委員会」の一員として、真相調査とブラックリスト白書編纂に積極的に取り組んだ。
黄色い封筒 あらすじ
エスエム器械労働組合事務所。組合は会社に対するストを暴力的に終えさせられた。組合員のビョンノもジホも、ストに参加したことで会社から多額の賠償金を負わされている。ガンホはストに参加せず、心に自責の念と深い後悔を抱える。 ヨンヒは子育てと運動の間で引き裂かれている。会社側は容赦なく労働者たちを分断し、運動は引き裂かれる。そこにセウォル号沈没の知らせが入る。当初は乗客は全員が無事という報告がなされるが、しかし……。 分断を乗り越えるために、労働者たちの団結は可能なのか。
少年Bが住む家
作=李ボラム(이보람/イ・ボラム)
翻訳=沈池娟
李ボラム
1986年韓国江原道東海生まれ。大学で心理学を専攻。卒業後、韓国芸術綜合学校演劇院劇作科の専門士学位を取得。カウンセリング、会社員または作家、それぞれの経験を活かして作品を書いている。2012年、再開発地域の強制撤去問題を取り扱った『皇帝漫画喫茶』がデビュー作。主な作品として、殺人事件の加害者とその家族を描いた『少年Bが住む家』(2013年度CJ文化財団CREATIVE MINDSに選定)、性的暴行の被害女性の生き方を描く『女性は泣かない』、性的少数者の少年の自殺とその後に触れる『きみがいた景色』(2015年度ソウル市劇団の創作プラットフォームに選定)、強制移住させられていた朝鮮人の跡が残るカザフスタン・ウシュトベを背景とした『記憶の跡』(2017年度ソウル演劇センターニュー・ステージに選定)、民主化運動家の夫が不審死した後の妻の生き方を描いた『二度目の時間』等。社会問題をベースとした斬新なストーリーで注目されている若手劇作家の一人。
少年Bが住む家 あらすじ
冬の寒い日、家族での朝食。そこに近所に引っ越してきたひとりの女が挨拶にやって来る。この家には父と母、そして息子のデファンが住んでいる。父と母はデファンを女の前から隠す。デファンは一四歳の時に殺人を犯し、七年の実刑判決を受けることになった。模範因だったデファンは保護観察処分になり自宅に戻っていた。自立を促す父、息子を外に出すことを恐れる母、デファンにだけ見える少年Bの存在。この朝から家族の日常が変化し始める。「僕が普通の人のように生きていけると思いますか?」午後から雪が降り始める。
老いた泥棒の話
作=李相宇(イ・サンウ)
翻訳=津川泉
李相宇
1951年3月12日ソウル出生。77年ソウル大学校美学科卒業。同年、ソウル大学演劇班出身者らと共に劇団演友舞台旗揚げ。呉鐘佑作『彫刻家と探偵』(1978)で演出活動スタート。呉鐘佑と改作、演出した『チルスとマンス』(1986)が東亜演劇賞演出賞、百想芸術大賞・演出賞受賞。『老いた泥棒の話』(1989)作・演出。90年~92年演友舞台代表。1995年劇団チャイム創立。呉泰栄作『統一エクスプレス』(1999)、2000年李康白作『乾いて磨り減るまで』演出。同時代を撃つ社会派風刺喜劇から、ミュージカル、歌劇、映画の脚本・監督まで幅広く手掛けている。韓国芸術総合学校演劇院教授(2002~2016)。
老いた泥棒の話 あらすじ
窃盗常習犯の老泥棒と初老のペテン師が獄舎で出会い、大統領就任特赦によって手に手を取って仮出所。娑婆に出てさまよううちに、どうせなら大きなヤマを踏もうと、向こう見ずにも大富豪の「あの方」の現代美術館の金庫破りを目論んだ。 ところが忍び込んだものの、そこは、何ひとつない空っぽの「仮想空間」だった。 李相宇作品のなかでも最も多く、最も長く公演されてきた本作品は一九八九年東崇アートセンター開館記念第一回東崇演劇祭招請作として初演された。
護身術
作=宋影(ソン・ヨン)
翻訳=洪明花
宋影
1903年ソウル生まれ。培材高等普通学校在学中に三・一独立運動に参加。学校を中退し、1922年渡日。日本大学芸術科夜間部に通いながら、ガラス工場で六ヵ月程働き、在日朝鮮労総を通して社会主義思想に触れる。帰国後、劇団「焰群」を組織し活動。1925年 、朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)に加担。1934年に収監される。出所後は劇作家として活動。1946年、朝鮮文学同盟結成を契機に越北。北朝鮮文学芸術同盟常務委員、北朝鮮演劇同盟委員長を歴任。抗日武装闘争を素材にした歌曲台本『密林よ、語れ』は、国際的に上演された。1959年、北朝鮮で文人最初の『人民賞』を受け、1977年の死後、平壌愛国歴史楼に埋葬される。
護身術 あらすじ
1930年代のある昼下がり。工場をいくつか経営する悪徳資本家・金相龍(キム・サンリョン)が、労働者たちのストライキに備え、護身術を学ぼうと家族全員を集めるシーンから物語は始まる。彼に寄生する体育家や弁護士、更には、万が一に備えて医者まで呼びつけ、必死で護身術を学ぼうとする姿に、人間の愚かな性質が顕在化され、物語が進むにつれ滑稽さを増していく。身の安全だけを考え暴徒を危惧しながらも、どこか富裕層の悠長さを感じずにはいられない資本家たちを戯画化。労働者たちが声高に歌いながら家に押し寄せるラストシーンで、ようやく緊張の極に達した資本家たちは、冷静さを失い始める。