韓国現代戯曲集Vol.7

韓国現代戯曲集7

プロフィール等は2015年時点のものです。
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掲載作品

木蘭姉さん

作=金垠成(キム・ウンソン)
翻訳=石川樹里

作=金垠成

1977年生。全羅南道、宝城出身。東国大学北朝鮮学科中退、韓国芸術総合学校演劇院演出科卒業。在学中に執筆した『シドン仕立て店』が韓国日報新春文芸(06年)に当選し、新人とは思えぬ確かな筆力で注目を集めた。彼は一貫して社会の底辺で暮らす人々や、韓国の近現代史の暗部をモチーフにした作品を書き続けている。社会に対する作家のストレートな問題意識をユーモアを交え、時に生活感・情感のこもった方言を駆使した台詞で舞台化する作家として定評がある。特に北朝鮮から韓国に渡った女性を主人公に、韓国の現代社会を捉えた『木蘭姉さん』(12年)は、数々の演劇賞を受賞。2011年には演出家ブ・セロムとともに劇団月の国椿の花(タルナラドンベッコ)を旗揚げした。作品に『死ぬほど死ぬほど』(07年)、『スンウ叔父さん』(10年)、『月の国連続ドラマ』(12年)、『干潟』(12年)、『ロ・プンチャン流浪劇場』(12年)、『ぐるぐるぐる』(14年)などがある。。

木蘭姉さん あらすじ

北から来た女、木蘭。平壌で音楽家としてのエリート教育を受けた彼女は、ある日突然事件に巻き込まれて韓国に渡るが、もう一度愛する家族と暮らすために、なんとしても祖国に帰りたい。
そしてもう一人の女、ソウルで水商売を手広く営み女手ひとつで三人の子供を育ててきたチョウ・デジャ。太山、太江、太陽と名付けた息子と娘と、木蘭が出会う時、南と北が出会う時、それぞれの愛と欲が絡み合い、現代の韓国社会の闇が浮き彫りになる。

2012年東亜演劇賞戯曲賞を受賞し、その年の演劇評論家の選ぶ今年のベスト3に選ばれた問題作。混沌とした社会に救いはあるのだろうか……。

 

五重奏

作=金潤美(キム・ユンミ)
翻訳=鬼頭典子

作=金潤美

1967年、慶尚北道奉化に生まれる。小説を書くために入学した中央大学文芸創作学科在学中にベケット、イヨネスコなどの影響を受け、劇作を開始。たちまち1988年、『列車を待ちながら』で東亜日報新春文芸戯曲部門に当選、登壇。卒業後、社報の記者をしながら順調に創作活動を重ね、数々の有名演出家と出会う。1993年、第1回大山文化財団創作支援に選定。延世大学大学院国語国文学科修士課程、博士課程終了。公演戯曲に『五重奏』『メディアファンタジー』『楽園での昼と夜』『結婚した女、結婚しなかった女』『チェア』『椅子』『ナクタプル』他、戯曲集に平民社『キム・ユンミ戯曲集1~4』がある。デビュー以来、自身の経験に基づいた激しく鮮烈な作品を生み出してきたが、近年は作風の幅を広げ、『京城スター』(演戯団コリぺ、イ・ユンテク演出、大学路芸術劇場大劇場)のような、韓国エンターテインメントを意識した作品も見られる。

五重奏 あらすじ

90年代中頃のある夏の日。韓国の田舎町にある古い家に集まった家族。この日、彼らの心の叫びが「五重奏」を奏でる。
一家の父キム・キプンは、利己主義で古い風習に囚われている70代の老男。後継ぎとしての息子を持つことを強く望み、妻以外の女性とも関係を持つが、何の因果か娘ばかりが生まれる。危篤を装い、バラバラに暮らす四人の娘を呼び寄せたキプン。数年ぶりに集まった腹違いの四姉妹。それぞれ人生に苦労と不満を抱える彼女たちは、互いを意識し衝突する。そこへキプンと関わりのあった女性たちの霊も集まってきて、蔓の絡まる古い家は、傾き地面に沈み込んでいく……。
血縁や因習、過去やトラウマ。登場人物は皆、何かに取り憑かれていて自由に歩くことが出来ずにいる。家族のアンビバレンスな思いは互いの人生と運命を浮かび上がらせて、新しい朝を迎える。

 

アリバイ年代記

作=金載曄(キム・ジェヨプ)
翻訳=浮島わたる

作=金載曄

1973年、大邱生まれ。演出家、劇作家。「劇団ドリームプレイ」代表。世宗大学映画芸術学科教授。延世大学国語国文学科を卒業後、漢陽大学大学院演劇学科に進み、博士課程修了。06年から10年まで恵化洞一番地四期同人として活動。1998年『九つの砂時計』で韓国演劇協会の創作劇公募に当選、02年『ペルソナ』が韓国日報の新春文芸戯曲部門に当選。「劇団パーク」の創立メンバーとして02年『チェックメイト』を作・演出し、演出家としてもデビュー。05年「劇団ドリームプレイ」を創立し、その創立公演『幽霊を待ちながら』は居昌演劇祭大賞および演出賞を受賞。「時間」「死」「待つこと」に関する哲学的寓話に土台を置いた才気はつらつとした初期の作品から、同時代の社会問題に対する積極的関与と変化を模索する作品に、関心を広げている。『まほろば』(蓬莱竜太作)、『背水の孤島』(中津留章仁作)など日本の戯曲も演出している。

アリバイ年代記 あらすじ

父の流した涙の理由とは…
2013年に東亜演劇賞(作品賞、戯曲賞)を受賞したこの作品は、作・演出のキム・ジェヨプ本人と父テヨン、兄ジェジンの年代記をドキュメンタリー的に綴った叙事的な物語である。
1930年植民地時代に大阪で生まれ育った父キム・テヨンは1946年、解放の翌年に祖国朝鮮の地へと戻り、その後1955年に定年を迎えるまで大邱中央高校で英語の教師を勤めた。2003年12月、その父が病床で、息子ジェヨプにある秘密を語り始める。
作者・演出のキム・ジェヨプは劇中でもジョエプ本人として登場する。父の背中を見つめながら過去を振り返り、語り、生き方を模索していくジェヨプ。終戦、朝鮮戦争、韓国民主化闘争、大統領選挙……混乱した時代の大きな流れに翻弄されながら生きた父とその二人の息子たちの年代記を、自己告白的にありのまま語ることで、彼らをとりまく社会の闇が暴き出されていく。

 

うぐいす

作=尹朝炳(ユン・ジョビョン)
翻訳=洪明花

尹朝炳

作家、演出家。1939年生れ。忠清南道鳥致院出身。
漢陽女子大学兼任教授、韓国芸術総合学校教授、ソウル芸術大学外来教授を歴任。1967年、『苔むす故郷に帰る』が国立劇場戯曲公募に当選し、劇作家としてデビュー。初期の作品では『すずめと機関車』(71年)など戦後の南北分断を描き、80年代に入ると『農土』(81年)など農村や炭坑の生活をリアリズムで描く。その時代の日の当たらない場所を自らの足で踏みしめ、その臨場感あふれる創作力が評価される。また『うぐいす』(84年)など20余作品を自身が演出し、庶民の喜怒哀楽を美しく溌剌と描く事で評価を得る。2000年代には『世界で一番小さいカエルの王子』(06年)など、子供から大人まで楽しめるファミリー演劇の存在を高める作品に力を注ぐ。
大韓民国演劇祭大賞(81年)、 東亜演劇賞(81年)、百想芸術賞戯曲賞・大賞(82年)、全国演劇祭最優秀賞(90年)、大統領表彰(98年)他、多数受賞。受賞戯曲集1・2』(図書出版演劇と人間、06年)など、七冊を出版。

うぐいす 解説

ある夏の午後、二人の男女が、平野の続く田舎道を彷徨い歩く場面から物語は始まる。結婚式の最中に、新婦を連れて式場を抜け出した新郎。どこに向かうのかもわからないまま、ただついて来るしかなかった若い新婦。きらびやかな結婚式に夢を抱いていた新婦には、新郎の行動が理解できない。新郎の求める地が未来なのか過去なのか最後まで明らかにされないが、文明のない田舎道を進みながら、自然とともに生きる人々に出会い、たった二人きりで、大宇宙の中での自身の小さな存在を再認識していく。
照りつける太陽、花蛇、人を飲み込む渦潮、勢いよく走り去る汽車、夜の雨、ウェディングドレスを利用して作った傘、蛍、ひぐま、かたつむりなど、自然との融合によって、適度な緊張を維持しながら、観客の想像力を刺激する。登場人物が語る謎めいた言葉や象徴的な単語の裏側には、観客自身が自由に解釈できるよう余白が充分に残されており、観客はいつの間にか、物質万能の世俗を離れて童心に返り、それぞれの原風景に誘われていく。また、簡潔な台詞の繰り返しによって、単調にならないよう、音楽や照明を適切に導入し、劇中人物の分身を登場させるなど、詩的で幻想的な空間を創造する。
主人公の二人は綺麗な婚礼衣装に身を包んでいるが、大自然の中では丸裸も同然である。視覚的にも、皮肉で美しいコントラストではないだろうか。生きることの本質に触れた若い新郎新婦は、一夜の経験を経て大きく成熟し、次に向かっていく。
出来事よりも雰囲気、対立や葛藤よりも、昔から伝わる素朴な遊びなど、自然や故郷に対する熱望から生まれる理解と調和に重点を置いたと、作家は語っている。
形式張った結婚式という通過儀礼に疑問を抱いていた作家は、若者たちが、出世と成功への道を走り始めている世の中の虚栄に流されないでほしいという願いを込めて、この作品を『祝祭』というタイトルで発表した。
この作品は、文芸誌からの執筆依頼によって、当初、短編劇として発表されたが、1982年に『ひと夏の夜の祝祭』と題名を変え、音楽劇として、劇団サヌリムによって上演された。その後、仁川劇友会の依頼によって本作は長編化され、題名を『うぐいす』とした。
第二回全国演劇祭では、作家自らの演出で、人間と自然のふれあいの意味を些細な日常から引き出し、想像力を拡大させる作品として評価され、大統領賞を受賞する。
最後に翻訳について付け加えておきたい。本作で新郎新婦以外の登場人物が語る言葉は、作家の故郷である忠清南道の方言である。韓半島の中西部に位置する忠清南道は、旧百済に位置し、百済の古都、扶余がある。山岳地帯の多い北道とは違って全体的に平野部が広がり、温和な気質で、言葉も比較的ゆったりしている。翻訳にあたり、未熟な知識での方言使用を避け、標準語に置き換えた。(洪明花)

ぼんくらと凡愚

作=金相烈(キム・サンヨル)
翻訳=津川泉

金相烈

1941年、京畿道開豊郡出身。1966年、中央大学演劇映画科卒。1967年、劇団架橋創立、常任演出と代表。1976年、李根三『流浪劇団』で韓国演劇映画芸術賞演出賞受賞。75年、『カササギ橋の寓話』(文化観光部公募戯曲当選)、77年、『道』(サムスン道義文化著作賞)。劇作家としての地位も確立。脚本家としてTV『捜査班長』を四年間執筆。78年、現代劇場常任演出家。81年、ニューヨーク「ラ・ママ」劇団で一年間研修。82年、『兎唇曲馬団』を発表する一方、ミュージカル演出にも主導的役割を果たした。84年、劇団「マダン」セシールに移籍。88年、劇団神市を創立、ソウルオリンピック開閉会式、大田エキスポなど国際的文化行事の構成台本と総演出担当。百想芸術大賞戯曲賞・演出賞はじめ数々の賞を受賞。98年すい臓癌で死亡。没後、金相烈演劇賞が設けられ、毎年優れた劇作家・演出家を顕彰している。

 

ぼんくらと凡愚 解説

金相烈は1960年代から演劇活動を開始、70年代の軍事政権下では上演が禁止されていたブレヒトに心酔、80年代にはミュージカル『エビータ』をはじめ、『ジーザス・クライスト・スーパースター』の演出で韓国ミュージカル界を主導、90年代末に亡くなるまで、パンソリのオペラともいうべき唱劇の現代化、社会風刺劇、楽劇、マダンノリなどの大衆劇に到るまで、多様なジャンルの開拓と発展に先駆的役割を果たした劇作家・演出家である。
『ぼんくらと凡愚』はブレヒトの叙事劇形式を導入した初期の代表作で80年初演。第4回大韓民国演劇祭文化観光部長官賞、81年百想芸術大賞戯曲賞。最近では2002年、2011年に再演された。この作品の生まれた契機となったのはMBC‐TV捜査実話劇『捜査班長』であった。78年から100本近く執筆にかかわったが、400回特集で『ぼんくらと凡愚』を書きあげ、多くの反響を呼んだ。その時、収集した膨大な資料によって、戯曲化された。
74年当時、新聞社会面トップを飾った希代の連続殺人犯2人の生と死を、事件担当の捜査官が再検証するという実録劇である。当局の捜査・追跡と併行して挿入される、凶悪犯の家族愛、母との再会などのバックストーリーが情感深く活写されている。
初演当初のタイトルは『あなたの言葉でいうならば』。ローマ総督ピラトの「あなたはユダヤの王か?」という審問に対するイエスの答えから来ている。「世の中には二つの言語がある。人の世を営むための日常言語と宇宙の摂理を貫く天の言語、すなわち真理の声である。あなたの言う王の概念と私の言う王の概念は違う」(「作者の言葉」)。審問の結果、イエスは十字架にかかり、極悪人のバラバが赦される。作者はラーゲルクヴィストの『バラバ』のように、極悪人とイエスとの心の交感を描こうとしたのだろうか?
いや、むしろ、作者は極悪人2人を「ドン・キホーテ」と「サンチョ」という滑稽な人物に擬し、キリスト教的倫理劇とは趣の違う「ぼんくらと凡愚」に改題したのだと思われる。

「銃を持って強盗する奴だけが罪人か? この世には、権力と派閥頼みに、合法的に強盗を働いている奴はいくらでもいる」

ぼんくらとは思えぬこのセリフ、個人倫理の堕落だけを問責するより、社会倫理の価値基準を見直すべきだという主張であり、単なる捜査推理劇や犯罪心理劇というより、現代資本主義社会の不合理な構造と矛盾を抉り出す社会風刺劇、告発劇といえよう。
ただ、リアリズムを追究する一方で、捜査官を舞台監督に仕立て、被害者を生き返らせ、犯人と一緒に実況検分させたり、劇中劇を演じさせるなど、卓抜なユーモア感覚を駆使し、おもしろい「メロドラマ」を作ろうという作者の意図も、いかんなく発揮されている。
初演から8年たった89年の公演パンフに、作者はこう記している。

「正義と真実の仮面をかぶった物の怪が白昼から百鬼夜行するこの時代に、野良犬のように生きた李鐘大と文度錫、そのすさまじい絶叫と銃声を聞くことによって『自分は果たしてこの世界と関係がないのか』と、しばらく自問する時間を設けたいだけのことだ」

(津川泉)