『加害者探求―付録:謝罪文作成ガイド』 作家インタビュー ク・ジャへ

『加害者探求―付録:謝罪文作成ガイド』
作家インタビュー
ク・ジャへ(具滋慧)

『ここは当然、劇場』…劇団名にあるように、世の中の“当然”とされているものに対して疑問を投げかけ、演劇のあり方についても、再考し続けるクジャヘ氏。2014年のセウォル号沈没事件が彼女の劇作を大きく変えた。彼女と話していると印象的なワードが次々と飛び出してくる。彼女自身の中にどんな変化があったのか、頭の中を訪ねてみたいと思う。 

大学では国文学専攻ですね。哲学を熱心に勉強したとの記事を読んだのですが、学生生活はどうでしたか? 

 哲学を勉強したというよりも、国文学をちゃんと勉強しなかったという方が近いと思います。国文学は解釈の方法論が主で、一生懸命レポートを書きましたが、成績は良くなかったですね。哲学の授業では、思考の枠そのものを揺さぶられました。国文学より哲学を好んだ理由は、中世や近代まで遡り、いつの時代も人間が執着している世界観に触れることができた点です。在学中は、演劇を見たり、お酒を飲んだり、サークルでの演劇活動や恋愛、アルバイト、学校から処分警告を受けたりもしました。平凡な学生生活だったと思います。 

演劇の道を選んだ理由と劇団発足のきっかけは? 

 書くことはずっとやっていたのですが、演劇を選んだ特別なきっかけというのはないような気がします。卒業を前に、漠然と自分は就職できないと思いました。2012年に今の劇団名と同じ名前の作品を上演したのですが、演劇の既存の慣習について問いかける作品になりました。その後、同時代の社会的惨事を扱った作品を創作しながら、これまで通用した方法論では演劇を作れないという現実にぶつかり、これについて一緒に悩んだり、演劇の言語について共に考えてくれる仲間が必要だと思い、劇団を作りました。 

個人的な観念や美学を表現するウェルメイドな作品よりも、同時代の社会のうねりに身を任せなければと考えられたそうですが? 

 必ずそうでないといけないとは思っていません。人によって違うので。私の場合、セウォル号沈没事件の前までは、私個人の観念や美学を表現する作品への要求が強かった方だと思います。セウォル号沈没事件後、そういう作品を作るのが難しくなってきました。今、ここでやるにはふさわしくないのではないかという思いが脳裏から離れなくて。つまり、従来のやり方では作れないという意識が生まれたんです。作家は、長い時間をかけて熟成させ、戯曲を書き上げると思われていたとしたら、今は、時代の気流をいち早くキャッチし、短時間で戯曲を書きあげ、俳優と同時代の感覚で創作する方法論も意味があると思ったのです。同時代の社会という波に、ギリギリながらも乗るという考えです。 

風刺の対象は個人ではなく構造やシステム?

 はい。風刺の対象は常に構造やシステムと考えています。同時に、私自身も風刺の対象に含まなければならないと思っています。そして、そういった構造の中にいる限り抗えないと正当化する個人を扱わねばならないと。個人よりも集団の正体というものを取り上げて、加害者シリーズを作りました。社会のシステムや環境のせいで、どうしようもなかったということを前提に、自分を正当化する言葉を駆使する集団を取り上げました。その集団で得た利益を手放すまいとして、正当化する言葉が生まれ、進化してきたのだと思います。私は主に、言語演劇、議論演劇、概念演劇を創作しています。社会システムの中で起こる加害者集団の言葉を追求していくうちに、彼らを風刺の対象としたのだと思います。言い訳や偽善、集団の力を借りて免罪符を得ようとする人々の言葉について考えました。今は、加害者たちの言葉よりも、当事者たちや彼らの言葉、また、当事者をどのように対象化しようとしているのかということに注目しています。 

公的発話という言葉が印象的ですが、どういう意味ですか? 

 演劇は、いくら現実に基づいていると言っても、劇場では、物語性やイリュージョン、そして観客の感情が生まれ、言葉との距離を保つことの難しいジャンルだと思います。目の前で、生きている人間が演じているのに、観客が物語に入り込んでいく現象を不思議に思いました。更にそこに創作者側の美学や演劇的表現が加わり、 “それっぽい芸術”が生まれてしまいます。“公的発話”は、劇中での言葉が、劇場だけに留まらないようにと考えて作られました。簡単に発言したことが大きな意味を持つ可能性もあります。人物の感情の噴出のためではなく、彼らの発した言葉が、劇場の外まで越えていくための戦略です。例えば、二人の人間が会話をする時、それが二人の間に起こる私的な次元の会話にならないように気をつけます。そのためには、目標が必要です。例えば、二人の人間の会話を通じて、これまで否定され続けてきた少数者たちの権利に対する社会的合意を宣言するとか、人物の正当性を持たせるとか、その事件がなぜ起こったかを伝えるなど、目標を明確にして会話します。これが“公的発話”です。演劇で大切なことは会話と言いますよね。物語の中で、表面的には二人の人物の会話のようだけれども、その会話を通じて、問題点を見つめるようになる。人物を演じている俳優の意識の比重を高める方法です。

作品作りで意識していることや舞台で演じる俳優を守るための具体的な方法とは? 

 最近公演した作品、〈ただ観客だけのためのトゥサンアートセンターストリーミングサービス公演〉では、表面的にはパンデミック時代の演劇をストリーミングで配信することに対する問題定義をしています。しかしそこには、 “自分が演じている人物は、この世界のどこかに存在している”ということが内包されています。これは幻想的な次元の話ではなく、同時代演劇では、人物が作家の想像で創作されたものではないという前提のもと、社会的惨事や被害事実、その被害者を念頭に、演じている俳優の思考を考慮します。基本的に加害の再現シーンは作りません。もし加害や暴力的言葉を使わなければ場合は、その目標が何なのかを俳優と共有して尊重し、そのための仕掛けを考えます。 “これは演劇であり、俳優の発話にはどんな目的があるのか”ということを伝えるための装置やセットなどです。 

世界で Metoo運動が広がり、日本でも暴力被害の告発等はありましたが、そこまで大きなうねりにはなりませんでした。残念ながら日本は2020年、ジェンダーギャップ指数121位です。「加害者探求—付録:謝罪文作成ガイド」が日本で上演されることに対してどう思いますか? 

 まず、とても嬉しく思います。『加害者探求—付録:謝罪文作成ガイド』は、2017年、韓国の演劇界でミートゥー問題が浮上する前に上演されました。当時、韓国演劇界では大きな反響はありませんでした。ただ、私は、何年も見続けてきた、芸術家たちの根本的な自意識や欺瞞、知的虚栄心を取り上げた作品を作りたいと思っていました。純粋芸術だと言って自分たちの暴力を正当化し、自分が属している世界の暴力を黙認し、階級的構造が慢性化した、知的な男性芸術家たちの世界を、“言葉”を駆使して描きました。この“言葉”が、2021年の日本へ大きく働きかけられればと願います。

 韓国で、女性として、また女性演劇人として生きてきた私は、韓国のジェンダーに対する意識に、毎日のように失望しています。日本も韓国と同じように男性中心の社会で、階級制が強いと聞いています。この戯曲は、ドラマ的構成ではありませんが、芸術界の周辺で、自分の存在を求めて頑張っている者が芸術界の仲間入りをするという構造を含んでいます。その世界で権力の味を占めた人間が、その世界を拒否することができず、その世界に安住しようとする瞬間を、最も強烈なシーンとして描きました。年配の先生方を問い詰めるというよりも、問題意識を感じながらも、権力の味を知った時の快感や喜び、言葉の暴力、また、それがどのように繰り返されてきたのかに焦点をあてています。これが日本の芸術界にどのように働きかけるのか、問いかけてみたいと思います。

(聞き手=洪明花)

『椅子は悪くない』作家インタビュー ソン・ウッキョン

『椅子は悪くない』作家インタビュー
ソン・ウッキョン(宣旭炫)

現実社会を逞しく、したたかに生き抜く人間たちが巻き起こす、スリリングかつ愉快な珍騒動。ソン・ウッキョンが描き出す劇空間では、情にあふれた人間臭さと幻想の匂いが交錯し、思いもよらない展開が待ち受ける。劇作のみならず、俳優として映画やドラマでも活躍中。さらに韓国劇作家協会理事長を務めるなど多忙を極めながら、問いへの返答は素早く、丁寧。誠実であたたかい人柄がうかがえた。 

劇作家であり、俳優としても活躍されています。この道に進んだ理由、また影響を受けた作家や作品について教えてください。

 小学校では戦争ごっこをする時も私が台本を書き、遠足に行って友達と一緒に特技自慢をやる時も、私が短いコントを構成してやっていました。それを思うと、子供の頃から劇を組み立てて構成することが好きだったようです。演技は本能的にとても好きですね。他人の人生を生きる、その快感は一生手放せないです。でも私は自分の顔にも不満があるし、演技もそれほど上手くないと思っています。それで、どうにも物を書くほうに流れていったのかもしれません。でも、物語を作ることも私の本能です。おそらく死ぬまで私は物語を組み立てて、俳優たちが演じ、それを客席から見る楽しみを堪能するだろうと思います。

 大学時代に文学や劇作を専攻したわけではなく、独学で始めました。劇作術の本と作家さんたちの戯曲集を読み、そして自ら演劇をやってその文法を学びました。それで同時代のいろんな劇作家先生の影響を一様に受けました。イ・ガンベク先生の寓意あふれる演劇的な面白さ、イ・マニ先生のセリフの味わい、オ・テソク先生の韓国的な演劇味、チェ・インフン先生の文学的な演劇味、ユン・デソン、パク・チョヨル、オ・テヨン、ユン・ジョビョン、イ・ヒョンファ…、そういった多くの先生たちの長所を少しずつ真似たいと思いました。

『椅子は悪くない』を書いたきっかけは?「小道具ひとつで全国を回れる芝居を書きたかった」と書かれた記事を読みましたが…。

 20代では“何かになりたい”と考えるじゃないですか。30代になって、何かを“持ちたい”と考えていることを自覚したんですね。何かを所有したいと思う、その感情に集中して作品を書いてみたいと思うようになりました。何かを“持っている”とは、はたして何なのか。そこを掘り下げて調べたかった。ここに椅子一つを置いて、作った人(ムン・ソンミ)、売りたい人(ムン・ドクス)、欲しい人(カン・ミョンギュ)、それに反対する人(ソン・ジエ)…、こうして四人の人物が構成されたのです。

 新人作家だった当初、主に20人以上が出てくる大劇場作品をたくさん書きました。大学時代の演劇グループは主に大劇場で公演をしていたので、演劇といえば人がたくさん出てくる大劇場作品だと自然に思っていました。演劇の街、ソウルの大学路に来てみたら大部分が小劇場です。そして皆、予算が少ないからか、いつも私に小さな作品を要求しました。結果、私もいつしか小さな小道具一つで、少ない出演者でできる演劇があるかな?と思うようになり、この『椅子は悪くない』を書くことになったんです。この作品を出してすぐに、大学路の劇団の代表たちに「ソン作家、とうとう大学路に適応したね」と言われましたね(笑)。

社会の現実を描いたようにも、ファンタジーのようにも、不条理劇のようにも読み取れる作品です。この作品で描きたかったこととは?

 先にお話しましたが、所有の問題ですね。形式から抜け出し、私たちが資本主義社会で金を払い、何かを買うということ、そうして所有すること、それは何で、その本質は何だろうか…という問いを観客たちが抱いたらいいなと思います。今、私が生きているこの時代は、資本主義の悪しき特性が多く現れている時代です。所有欲はどんどん拡張され、それによって多くの傷と被害が起きます。私たちの所有欲求を振り返らなければいけません。私たちが何かを持つということは、誰かの犠牲のうえにあるのかもしれない。劇中では様々な事情を繰り返すたびに、誰かが被害者になります。すなわち、そうしたいろいろな地点を見せたかった。それでカン・ミョンギュはその事実を確認し、結局は放棄することになります。若干、宗教的な結論でもあるかと思います。

カン・ミョンギュは、なぜこんなにも椅子に執着したのでしょうか。そして、最後はなぜ椅子を諦めることができたのでしょうか。

 韓国でもこの質問をたくさん受けました。椅子は実は…、人間が強く所有したがる何か、欲望の象徴というだけです。誰かにとっては帽子であり、カバンであり、靴である、そういうことです。私は作家だから主に座っている職業で、一番近くにある家具でもあるので、自然と椅子に執着したようです。実際に私の家にも、あっちこっちに椅子だけで8個以上あります。どうも椅子が好きなようです。

 椅子を放棄したのは、結局、ほかの人々をすべて幸せにしつつ、自分が椅子を持つ方法はないのだな…という結論に至り、ならばいっそのこと椅子を放棄しようという、若干宗教的な選択をしたのです。他人を傷つけてまで、自らの欲望を満たせるでしょうか?

ムン・ソンミは、最後に椅子が戻ってきたことをどう受け止めたのでしょうか。

 彼女に自覚が芽生えることを期待します。彼女は、自身の存在を世の中に認めてもらいたい欲望があります。椅子が誰かに愛されることが目標です。しかし、その椅子は結局自分のところへ戻って来てしまいました。まだ準備が整っていないようです。彼女は椅子をもっと一生懸命に、上手く作らなければいけません。この程度に作れば愛されるのでは?と思うことは傲慢であり、上手に作ればタダではなく自身の値打ちを授かることができると知ることも、社会を生きていく成熟した姿です。ムン・ソンミは身体は大人だけれど、精神はただ愛されたい赤ん坊の状態です。彼女が大人としてちゃんと成熟することを期待します。

クライマックスでの武侠の場面が痛快です。突然このように時代と空間を変化させた意図を教えてください。

 この質問もたくさん受けました。前世か?という質問もありましたが、それは違います。この作品のあらすじを言うなら、椅子を手に入れるための主人公カン・ミョンギュの思考、幾多のシチュエーションを想像し、その選択の終わりまで行ってみる…といった話です。現実において、ああしたりこうしたりと試してみて全部ダメだったから、考えの果てに…、このような原始時代に戻って、「俺が刀を持ってすべてを切り払ってしまえば、この椅子を手に入れることができるのか?」とふと思いついたと。それで武侠シーンを作ることになりました。

今回のリーディング公演では、演出の解釈によりムン・ソンミを娘ではなく、息子に替えて上演することになりました。許可いただき、感謝します。率直なご意見をお聞かせください。

 ムン・ソンミ役を男にすることは、初演から20余年に近い『椅子は悪くない』公演の歴史において初めてのことです。替えたいという演出家の言葉に少し驚き、戸惑いました。しかし、演出家の変更についての意見を読んで、納得することができました。そして鄭義信さんへの尊敬とさらなる信頼とともに、公演への期待を持つことにしました。

 劇中の四人の人物はおそらく私の心のあちらこちらに隠れている考え、または本能の破片たちだと思います。劇中のムン・ソンミは…、私の若い日々、幼い芸術家として世の中に認められたかった、内気で愚かな自我だと思います。劇中のセリフのように、世の中の端っこだけでもつかみたかった、欲望の出発点に立つ夢多い幼い芸術家。しかし、自信満々には出られず、隠れていて、まだ実力も検証されていない…、臆病者であるだけでした。彼は実力を磨かねばならず、もう少し大人にならねばなりませんでした。自尊…、自分を愛するからこそ、努力して、耐えて、待つことができるのでしょう。大人になるということは、自分を愛することに慣れることかもしれません。

 女ではない、男の姿でこの世に現れる“ムン・ソンミくん”に期待をかけてみます。

最後に現在のコロナ禍において、演劇人としてあらためて感じたことがあれば教えてください。

 とても驚き、不安になりました。観客のいない演劇は未完成です。映像で代替しようという動きが多く見られますが、私は強く反対します。ウイルスを避けた安全な劇場を作ることが、よりよい代案と考えます。演劇は観客に出会い、お互いに影響を与え合って進んでいくものです。そうやって一編、一編、毎日違うものとして演劇は完成されていきます。

(聞き手=上野紀子)

『激情万里』作家インタビュー  キム・ミョンゴン

『激情万里』作家インタビュー
キム・ミョンゴン(金明坤)

芸術家として、文化行政の専門家として、幅広く活躍してきたキム・ミョンゴンさん。日本では1994年に公開されたパンソリ映画『風の丘を越えて〜西便制』で父親役を演じた俳優と言えば、「ああ!」と思われる方も多いのではないだろうか。今も現役で活躍する彼に、演劇との出会いから、韓国の伝統芸術を現代的に取り入れることを目標にした劇団アリランの旗揚げ、そして『激情万里』に込めた思いなどを聞いた。 

演劇の道へ

 とにかくものを書くのが好きで、文学者になりたかった。大学ではドイツ語教育を専攻して、ゲーテやシラーなどの古典戯曲を耽読しました。演劇を始めたのは大学の劇研に入ってから。大学2年の時、はじめて演出助手につきました。民主化デモへの弾圧を批判する内容で、当時は台本の事前検閲があったから、当然上演禁止。それじゃ許可なしでやろうということになって…。ところが公演当日、機動隊が押しかけてきて建物入口のシャッターを下ろし、劇研の顧問や幹部は警察に連行されてしまいました。数時間後、劇研の幹部たちが戻ってきて、みんなで建物の前の階段に座って飲み明かした。これが人生最初の演劇体験です。

 大学3年生の時、劇研の部長になって、さらに演劇にのめりこみ、一生懸命やりすぎて体を壊してしまいました。でもその時、全羅道(チョンラド)の実家に戻って療養しながらパンソリを習いはじめた。ゲーテはファウストを書くためにドイツの神話や伝説、昔話などを研究したというでしょう。それなら僕は韓国の伝統を学んで、そこから再創作しよう、そう考えるきっかけになりました。

 大学卒業後は小さな出版社に就職しました。その当時『根の深い木』という月刊誌に、失われつつある昔の職業や伝統文化の担い手たちを探して聞き書きするシリーズを連載していたんです。その取材でさまざまな芸人や職人に直接話を聞き、韓国の伝統について学ぶことができました。(訳注=このシリーズは、『アリラン峠の旅人たち』というタイトルで日本語の翻訳書が出ている。)ところが会社勤めがよっぽど合ってなかったんでしょうね、うつ病になっちゃった。それで出版社は辞めて、高校でドイツ語を教えながら教師劇団状況に入って芝居を始めました。その劇団は政治的なごたごたで、じきに解散してしまいましたが。

劇団アリランを旗揚げ

 その後、本格的に演劇の世界に飛び込み、ハンドゥレや演友舞台など、民族劇(マダン劇)系列の劇団で伝統演戯を現代化する作業に取り組みました。そして1986年、ついに劇団アリランを旗揚げしたんです。翌年には民族劇フェスティバル「民族劇ハンマダン」も立ち上げました。全国で活動している民族劇団体が一堂に会し、一般の観客を対象に上演する初の試みです。

 当時、民族劇は一般の「演劇界」から距離があり、演劇と見なされていませんでした。民族劇は学生運動や労働運動と連帯し、主に工場や労働争議の現場、教会などで上演されていましたから。でも民族劇は社会性や教育的な機能が強いだけで、やっぱり演劇なんです。それが演劇として認められないのはおかしい。しかし一方で民族劇には、政治性や啓蒙などを重視するあまり、芸術的側面が軽視されやすい面もある。だからこそ「演劇界」と繋がりを持ちながら民族劇の芸術性を高めていきたいと思いました。そういう思いがあって劇団アリランは韓国演劇協会に加入したんです。その時、演劇協会の会長からは「とうとう我々の側につくのか?」と言われたし、逆に民族劇の仲間たちからは「俺たちを裏切る気か?」なんて言われました。

 『激情万里』をやろうと思ったのは、演劇界の中のそういう対立にもやもやを感じていたからです。そして、実はそれが日本の植民地時代から地続きではないかという疑問もありました。韓国は日本から解放された後、南北に分断されイデオロギーもまっぷたつに引き裂かれてしまったので、北と南では歴史の解釈がまったく違います。それは演劇史についても同じです。たとえば朝鮮の伝統的な広大(クァンデ=芸人)たちは学歴もない民衆だけど、彼らこそ歌、踊り、演技という総合的な芸術家だった。ところが日帝時代になって広大は蔑まれ迫害された。新派劇も同じです。逆に地主や財産家の息子たちが日本に留学して西洋の近代劇を学び、韓国に戻ってきて「これぞ演劇であり、芸術だ」と言って威張りはじめる。そういった歴史をもう一度とらえ直したかった。

『激情万里』とソウル演劇祭での論争

 『激情万里』は1991年にソウル演劇祭の自由参加作に選ばれました。対立や葛藤を克服するという作品のテーマに合わせて、主役級のキャストは劇団員ではなく、演劇界から実力のある俳優を客演として招きました。劇団のメンバーからは文句も出ましたよ。ところが公演の間際になって、ソウル演劇祭の事務局から「共産主義を擁護するような内容が問題だから演劇祭の参加を取り消す」という連絡がきたんです。紆余曲折はありましたが、結局、演劇祭に参加できなくても定期公演として上演し、観客の目で直接判断してもらうために、公開討論会を開くことにしました。討論会に出てきた韓国演劇協会の会長は、「1930年代のプロレタリア演劇から北朝鮮の社会主義演劇を経て、今日の民族劇につながっていると主張する半面、現在主流になっている演劇界の基盤を作った演劇人たちを、まるで親日・親米の反動分子のように描写するとはけしからん」と言いました。僕はただ1920年代以降の韓国演劇史をとらえなおし、北に渡った作家など、これまで評価されてこなかった演劇人たちに光を当てたかっただけで、特定の人物を断罪するつもりはありません。

 そんな状況でしたが、『激情万里』に対する観客の反応は良く、翌月に延長公演もしました。延長公演では僕が演出し、主人公のジョンミンも演じました。

 この作品には1920年代から1950年代までのさまざまな台本が劇中劇として挿入されています。映像資料は残っていないので、1913年生まれの老俳優、高雪峰(コ・ソルボン)さんに、当時の演劇の様式や演技術、台詞の言い回しなどについて、いろいろ教えてもらいました。彼は一流俳優じゃなかったけど、1930年代から驚くほど多くの舞台に端役で出演して、昔の演劇にとても詳しかった。『激情万里』の劇中劇に出てくる『アリラン』にも端役で出演していたんですよ。あとは1928年生まれの申出(シン・チュル)さんという無声映画の活弁をやっていた方からも台詞術を教わりました。新派劇の劇中劇は日本からの影響を強調するために、歌舞伎的なメーキャップや演技を取り入れたりしました。

再演時の変化

 劇団アリランの創立20周年記念公演として、2006年4月、大学路アルコ大劇場で『激情万里』を再演しました。初演から15年が経ち、政治や社会の状況がかなり変わっていたので、政治的なメッセージを前面に出すより、舞台作品としての完成度を高めようと判断しました。初演時には、演劇史を俯瞰する第三者の視点として解説者を置き、叙事的演劇の効果を狙いましたが、少し説明的になりすぎる面もあったので、再演時には舞台転換に歌を入れて、歌手を解説者の代わりにしました。僕は政治的な主張を観客に押し付けたり、難解な芸術性を強調したりするより、一般の観客が泣いたり笑ったりして楽しみながら、見た後に何か考えさせられる、そんな芸術を理想としています。言ってみれば、広大の精神ですね。

今後の予定

 書きたい素材は30〜40くらい頭の中にあるので、たぶん死ぬまで困ることはないと思いますよ。(笑)これはひとつの夢、ライフワークですが、ドイツの『ニーベルングの指環』のように、韓国の神話や伝説をもとにした三部作を書きたいと思ってます。形式はオペラになるか、唱劇(訳注=パンソリを取り入れたオペラ)になるか…?とにかく音楽劇にしたいですね。僕はパンソリもやりますが、最近は声楽をやっていて、音楽的な要素は欠かせません。

最後に日本の観客に一言

 『激情万里』は背景に日韓の歴史的な部分が描かれているので、日本の観客の反応が気になります。しかし韓国に限らず、どこの国でも起こりうる状況で、芸術家がどう生きるかという普遍的な問題を描いた作品だと思っています。客観的な目で見ていただけると嬉しいです。

(聞き手=石川樹里)

韓国現代戯曲ドラマリーディングX


2021/1/20追加:
紹介作家インタビューをHPに公開しました。

01 キム・ミョンゴンさんインタビュー(聞き手=石川樹里)
02 ソン・ウッキョンさんインタビュー(聞き手=上野紀子)
03 ク・ジャへさんインタビュー(聞き手=洪明花)

韓国現代戯曲ドラマリーディングⅩ
2021年1月27日(水)~31日(日)
座・高円寺1


『韓国現代戯曲ドラマリーディングⅩ』についてのお知らせ

1月7日、政府より緊急事態宣言が発出されたことを受け、日韓演劇交流センターでは、公演につきまして、今後の対応を検討させていただきました。

内閣官房より各都道府県に通達された1月7日付の事務連絡にのっとり、「1月11日までに販売済のチケットについては、収容定員制限を適用せず、キャンセルも不要」という内容を受け、下記の対応を行ったうえで、上演させていただきます。

日韓演劇交流センターは長きにわたり韓国の演劇人たちと交流を深めてきました。お互いの国で、10回ずつを目標に2002年から始まった交流は20年目となりました。その間、日韓の政治的な軋轢が何度もありましたが、この交流の火は消えることなく、むしろ徐々に燃え上がってきたと言えるのではないでしょうか。

しかしながら、現在のコロナ禍は未曽有の状況を生み出し、日韓だけでなく、世界中がパンデミックの渦の中にあり、韓国の演劇人たちも日本同様に厳しい状況の中で活動を続けていると聞いています。私たちはその最中で、10回目まではと約束した、いったん一区切りの、最後の日本でのリーディング公演を準備してまいりました。何とか韓国からゲストをお招きできないかと、ぎりぎりまで模索してきましたが、今回は残念ながら韓国からお招きすることを断念し、リモートで実施することに決定いたしました。そうした時に7日の緊急事態宣言が発令されました。

日韓演劇交流センターは、とても脆弱な団体です。一般社団法人ではありますが、メンバーの所属団体はばらばらで、それぞれ別の仕事を持っている中で、力を寄せ合いながら組織を維持しています。今回の緊急事態宣言によって、場合によっては、中止・延期も覚悟していましたが、「1月11日までに販売済のチケットについては、収容定員制限を適用せず、キャンセルも不要」という通達が来ました。そのうえで、「一区切り」の後を見据え、どうしたらこの演劇交流を継続できるのか、という話をしました。

今、韓国も、公共劇場は閉鎖されたままです。一方で、民間の劇場では、上演が続いています。こういう状況下でも日韓の演劇人たちがそれぞれ仕事を継続していることは、お互いの励みになり、こうした厳しい状況を共有することにより、いつかお互いの国を訪れ、再び出会える日を夢見ることができるのではと思います。

今回の交流は、実際に対面することなく、終えることになりますが、戯曲の上演を通じて出会うことができるのが演劇の魅力であり、そのような交流により、最後の最後まで、お互いを感じあうリーディング公演になればと思っています。

万全の感染症対策をしたうえで、お客様をお迎えしたいと思います。

ご来場を心よりお待ちしております。

◆公演日程
1月30日(土)19時開演の公演を除き、すべて予定通り実施
1月30日(土)19時 → 18時開演
3作品とも上演時間は1時間40分前後になる予定です。

◆アフタートーク
すべての公演でのアフタートークを予定していましたが、1月27日(水)~29日(金)の公演終了後のアフタートークを中止します。
1月30日(土)・31日(日)の公演後のアフタートークは、観劇した方は観覧可能とし、リモートで会場と、韓国の劇作家をつないで実施します。
アフタートークは、アーカイブとして公演終了後、1週間から10日程度の期間限定で配信します。どなたでもご覧いただけます。

◆チケットなどについて
・客席数は定員の50%になります。
・全席自由のままになります。
・終演後の出演者との面会はご遠慮いただきます。
・自治体からの呼びかけを受け、来場の取りやめを希望されるお客様につきましては、チケット料金の払い戻しを承ります。
・すべての公演に記録映像のためのカメラが入ります。

◆お客様へのお願い
・入場時に消毒、検温など感染症予防対策を実施します。
・会場内では、観劇中を含めマスクのご着用をお願いします。
・咳やくしゃみやの際は、ハンカチ等による飛沫防止にご協力ください。
・体調不良の際は、ご観劇をお控えいただくようお願いします。
・購入時に必ず連絡の取れる連絡先をお聞きいたします。
・出演者へのスタンド花、プレゼントなどはご遠慮いたします。
・公的機関への個人情報の開示をする場合がありますのでご了承ください。
・観劇後に建物前には留まらずに、速やかなご帰宅をお願いいたします。
・終演後の出演者との面会はお控えいただきますようお願いいたします。
・毎公演ごとに本番前に客席の肘掛け、階段等の手摺、トイレの洗面台、ドアノブ、エレベーター内などの消毒いたします。

◆キャスト・スタッフについて
・スタッフは飛沫感染防止の観点から全員マスクを着用いたします。
・稽古期間より、毎日検温して臨んでおります。
・稽古初日および公演直前に全員PCR検査を受けます。

そのほか、お問合せなどは日韓演劇交流センター事務局までお願いいたします。
このような状況下ですが、少しでも多くの皆様にご覧いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


『激情万里』 

(1991年初演) 
作:キム・ミョンゴン
翻訳:石川樹里
演出:南慎介

出演:加藤亮佑 川鍋知記 日下部そう 小林あや 小林咲子 ししどともこ(カムヰヤッセン) 中山朋文(theater 045 syndicate) とみやまあゆみ 永野和宏(劇団新人会) 蒔原朋実 松井壮大 山崎丸光 山森信太郎(髭亀鶴) 吉村公佑 渡邊真砂珠(文学座)

※出演予定だった田崎哲也は都合により中山朋文に変更になりました。

2021年1月27日(水)19:00
2021年1月30日(土)14:00 

30日 アフタートーク 南慎介×キム・ミョンゴン(リモート参加)

今日も新派劇団「北極星一座」開演の銅鑼が鳴り響く。
演目は『長恨夢』。尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案した大衆劇である。
「朝鮮の匂いがする偉大な芸術」を夢見て、ホン・ジョンミンら若手俳優は新派劇団を脱退するが、時代は彼らの理想を許さない。日本への抵抗か、服従か。共産主義か資本主義か。北か、南か。真の芸術を目指す若者たちは残酷なまでの二項対立に巻き込まれていく。
朝鮮半島を駆け抜けていった数々の戯曲、歌、そして俳優たちが描き出す、日帝時代から朝鮮戦争まで20年以上に渡る韓国近代演劇史クロニクル。


『椅子は悪くない』

(2002年初演)
作:ソン・ウッキョン 
翻訳:上野紀子
演出:鄭義信

出演:國崎史人 小飯塚貴世江(キヨエコーポレーション) 酒井和哉 根本大介 矢内文章(アトリエ・センターフォワード)

2021年1月28日(木)19:00
2021年1月30日(土)18:00(19:00から変更)

30日 アフタートーク 鄭義信×ソン・ウッキョン(リモート参加)

ふと通りかかった家具屋の前に置かれてあった椅子に、カン・ミョンギュはたちどころに心奪われた。カン・ミョンギュいわく、「歯を抜いた何年か後に、偶然その歯を見つけた」瞬間だった。すぐさま彼はその椅子を手に入れようとする。けれども店主のムン・ドクスは売るのを渋る。なぜなら、その椅子は息子のソンウがつくったもので、単に店先に飾っていたに過ぎなかった。それでも、ミョンぎゅの椅子への狂おしい思いはとどまるところを知らない。それほどまで椅子を欲しがるカン・ミョンギュに妻のソン・ジエは嫉妬を覚え……
椅子をめぐって、カン・ミョンギュ、ソン・ジエ、ムン・ドクス、ソンウの激しいバトルが展開される。それは恋なのか? 所有欲なのか? それとも……?


『加害者探求‐付録:謝罪文作成ガイド』

(2017年4月初演)
作:ク・ジャヘ
翻訳:洪明花
演出:西尾佳織

出演:石山蓮華 斉藤沙紀 辻村優子 中島愛子(張ち切れパンダ) 中西星羅 堀光太郎 山﨑千里佳

2021年1月29日(金)19:00
2021年1月31日(日)14:00 

31日 アフタートーク 西尾佳織×ク・ジャヘ(リモート参加)

加害に関する歴史を記録するこの書は、全て、自発的参加によって作成され、完成と同時に燃やされるものとする。作成それ自体に意味があると考えるためである。世の中のすべての芸術は詩性を持つ。よってこの書においては、芸術そのものを〈詩〉とし、芸術に携わる者は〈詩人〉、未だ〈詩人〉ではなく志望している者を〈習作生〉とし、芸術界を〈この世界〉と表記する。
この世界を記録するためにここに立つ。生来の狂人として生まれ、この世界で加害者になるしかなかった詩人たちが自ら記録し、自ら罰を下す、最初で最後の唯一の一冊……『加害者探求』。


シンポジウム
『これからの日韓演劇交流』

パネラー 大笹吉雄 シム・ジェチャン シライケイタ イ・ホンイ
2021年1月31日(日)17:00

チケット発売中!!

料金 1500円
通し券4000円(日韓演劇交流センターのみ取扱)
全席自由

チケット取り扱い
座・高円寺チケットボックス
03-3223-7300(10時〜18時・月休)
窓口10時〜19時
https://za-koenji.jp/

日韓演劇交流センター
050-5327-9826(11時〜18時)

第9回現代日本戯曲朗読公演2020(現代日本戯曲リーディング)

2020年2月21日(金)~23日(日・祝)
韓国 ソウル文化財団 南山芸術センター

「Das Orchester」
2020年2月21日(金)19:30~

「この楽器が、武器だった…。」芸術と政治の不協和音に揺れ、これに立ち向かう世界最高レベルのオーケストラ指揮者と団員たちの苦悩を描く。野木萌葱が19歳で執筆した戯曲を、昨年22年ぶりに再演し、埋もれていた傑作と評された。時代を越えた芸術と政治の対決、いまだ古びぬテーマを、劇作家、演出家、評論家としてマルチに活動するチョン・ジンセの演出でおくる。

作:野木萌葱
翻訳:イ・ホンイ
演出:チョン・ジンセ
出演:ソン・サンギュ、チョン・ソヌ、ソ・ジウ、チャンミ、キム・ジュヌ、チャン・ウソン、チャン・セミ、キム・シンノク

アフタートーク
野木萌葱×チョン・ジンセ

***

「その夜と友達」
2020年2月22日(土)15:00~

「俺ら親友だよな?」二人の男と一人の女の友情を描く。他者を理解すること、理解できないこと、理解されたいこと、理解されないこと…。タイ、マレーシア、インドなどアジア諸国やニューヨークなど、海外公演や国際共同制作に積極的に取り組み、他者との関わりを模索する山本卓卓。彼の戯曲が韓国で紹介されるのは今回が初となる。いち早くme too が盛り上がりを見せ、価値観の変化が進む韓国で、「人が大好き」な演出家ミン・セロムが演出を手がける。

作:山本卓卓
翻訳:イ・ジヒョン
演出:ミン・セロム
出演:キム・ジョンフン、チェ・スンジン、ハ・ジウン、イ・ジョンミ

アフタートーク
劇団制作 坂本もも×演出家ミン・セロム

***

「Birth」
2020年2月23日(日・祝)15:00~

「オレだよ、オレ…」母のぬくもりを知らない男たちが受話器の向こうに聞いたのは、母の声だった。シライケイタの初期代表作で、劇団温泉ドラゴンの出世作でもある「Birth」。2014年と2015年に韓国ツアーを行い、密陽演劇祭で戯曲賞を受賞する快挙を遂げた。男優を中心とした骨太のドラマを得意とする作家の原点であり、シライを韓国に強く結びつけ、日韓の歴史に目を向けさせるきっかけともなった。演出を手がけるのは、シライが敬愛する劇団コルモッキルのパク・クニョン。

作:シライケイタ
翻訳:ソン・サンヒ、塚口知
演出:パク・クニョン
出演:ジ・ドンイク、イ・ホヨル、キム・ドックァン

アフタートーク
シライケイタ×パク・クニョン

***

シンポジウム
韓日演劇交流の未来

2/23(日)17:30〜
戦後最悪とも言われる日韓関係悪化の中で、演劇交流の未来を探る。
パネリスト
チャン・ジョン(国民日報記者)
コ・ジュヨン(独立プロデューサー)
太田昭(日韓演劇交流センター事務局長)
シライケイタ(劇作家・演出家)

***

同時刊行の戯曲集に掲載の作品

『百年の秘密』
作=ケラリーノ・サンドロヴィッチ
翻訳=コ・ジュヨン

『浮標』
作=三好十郎
翻訳=シム・ヂヨン

韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.9

韓国現代戯曲ドラマリーディングVol.9

韓国現代戯曲ドラマリーディングVol.9

2019年1月23日〜27日
座・高円寺

助成 現代戯曲上演による日韓文化交流事業

刺客列伝

자객열전

作=朴祥鉉(パク・サンヒョン)
翻訳=木村典子
演出=川口典成

出演
川邊史也(劇団銅鑼)
喜多村千尋(劇団東京ヴォードヴィルショー)
坂本美那(Bellona model agency)
清水優華
秦由香里
辻村優子
原田理央(柿喰う客)
広田豹
前田龍佑(イッツフォーリーズ)

演出助手=脇田美帆(劇団ひまわり)

【あらすじ】
ときは1931年12月、ところは中国の上海フランス租界。ある食堂にて、独立運動家の金九(号は白凡)は、革命家としての心得とテクニックを李奉昌に伝授している。独立運動は順調には進まず、そこに食堂の店員や客人の思惑が交錯していく……。20世紀の朝鮮独立運動をメインストーリーとしながら、その登場人物によって、中国の『史記』、イスラムのアサシン教団、チェチェンの武装集団などの「刺客列伝」が挿入され、そのエピソードは未来の「刺客列伝」へと向かっていく。

朴祥鉉(박상현)

1961年ソウル生まれ。西江大学新聞放送学科に入学し、西江演劇会で活動。卒業後、大宇電子にコピーライターとして入社し、2年で退社。作家を目指し執筆活動に専念する。15歳から新春文芸に小説と詩を応募していたが、30歳の時、最後と思って出した戯曲『四〇五号のおばさんは実に善良だ』も落選。その後、東崇アートセンター、映画社などを転々とし、92年に尹政善「夕暮」を脚色・演出し演劇界デビュー。『最後の手ぶり』『青い墓の息遣い』などを演出後、1998年、『四千日の夜』を作・演出し、作家デビューをはたす。2000年~02年、オハイオ州マイアミ大学院で演劇を専攻。04年、『刺客列伝』で金相烈演劇賞、『四〇五号のおばさんは実に善良だ』で大山文学賞戯曲部門を受賞。2010年には代表作『刺客列伝』『サイコパス』など5作品を収めた「朴祥鉉戯曲集」(チアン出版社)を上梓。現在、韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。

刺客列伝

刺客列伝

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黄色い封筒

노란 봉투

作=李羊九(イ・ヤング)
翻訳=石川樹里
演出=中野志朗(文学座)

出演
長瀬ねん治
宮下泰幸
橘麦(e-factory)
日沖和嘉子
柳生拓哉(演劇集団円)
江澤蛍
田崎哲也(ambrosia)
馬場太史(劇団俳優座)

演出助手=忍久保美佳

【あらすじ】
エスエム器械労働組合事務所。組合は会社に対するストを暴力的に終えさせられた。組合員のビョンノもジホも、ストに参加したことで会社から多額の賠償金を負わされている。ガンホはストに参加せず、心に自責の念と深い後悔を抱える。 ヨンヒは子育てと運動の間で引き裂かれている。会社側は容赦なく労働者たちを分断し、運動は引き裂かれる。そこにセウォル号沈没の知らせが入る。当初は乗客は全員が無事という報告がなされるが、しかし……。
分断を乗り越えるために、労働者たちの団結は可能なのか。

李羊九(이양구)

劇作家、演出家、劇団海印主宰。演劇実験室恵化洞一番地五期同人。1975年、江原道寧越生まれ、忠南大学法学部中退、中央大学演劇映画学部演出科、同大学院卒業。幼少期を山深い集落で過ごす。この時、多目的ダムの建設により、数年にわたり村人が強制移住させられ、集落が水没する過程を目撃する。後に、これが一種の国家暴力であることに気付き、創作の原点となったという。学生時代には学生運動、労働問題にも深くかかわった。2008年、水没した故郷の集落を舞台にした『ビョルバン』が新春文芸に当選して劇作家・演出家として活動をはじめる。米軍基地の町で働く売春女性たちを描いた『七軒峠』(ソウル演劇祭優秀作品賞、2013韓国演劇ベスト7選定)、高校生たちの不安な心理を描いた『廊下で』(2014評論家協会が選ぶベスト3選定)、労働問題を扱った『黄色い封筒』(レッドアワード受賞、2015韓国演劇ベスト7選定)など、社会や歴史の中の弱者に焦点をあてた作品や、人と人の絆について問いかける作品が観客の共感を呼ぶ。2017年第4回ユン・ヨンソン演劇賞受賞。執筆・演出活動だけでなく、パク・クネ政権における文化芸術界ブラックリスト事件を調査する「真相調査および制度改善委員会」の一員として、真相調査とブラックリスト白書編纂に積極的に取り組んだ。

黄色い封筒 黄色い封筒

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少年Bが住む家

소년B가 사는 집

作=李ボラム(イ・ボラム)
翻訳=沈池娟(シム・ヂヨン)
演出=大澤遊

出演
内藤栄一
円地晶子(無名塾)
中島大介(太田プロダクション)
荒巻まりの(テアトル・エコー放送映画部)
遊貴まひろ
峰﨑亮介
牛尾茉由(演劇集団円)
川瀬遼太(ナノスクエア)
渡部みなみ

演出助手=村瀬千佳子

【あらすじ】
冬の寒い日、家族での朝食。そこに近所に引っ越してきたひとりの女が挨拶にやって来る。この家には父と母、そして息子のデファンが住んでいる。父と母はデファンを女の前から隠す。デファンは一四歳の時に殺人を犯し、七年の実刑判決を受けることになった。模範因だったデファンは保護観察処分になり自宅に戻っていた。自立を促す父、息子を外に出すことを恐れる母、デファンにだけ見える少年Bの存在。この朝から家族の日常が変化し始める。「僕が普通の人のように生きていけると思いますか?」午後から雪が降り始める。

李ボラム(이보람)

1986年韓国江原道東海生まれ。大学で心理学を専攻。卒業後、韓国芸術綜合学校演劇院劇作科の専門士学位を取得。カウンセリング、会社員または作家、それぞれの経験を活かして作品を書いている。2012年、再開発地域の強制撤去問題を取り扱った『皇帝漫画喫茶』がデビュー作。主な作品として、殺人事件の加害者とその家族を描いた『少年Bが住む家』(2013年度CJ文化財団CREATIVE MINDSに選定)、性的暴行の被害女性の生き方を描く『女性は泣かない』、性的少数者の少年の自殺とその後に触れる『きみがいた景色』(2015年度ソウル市劇団の創作プラットフォームに選定)、強制移住させられていた朝鮮人の跡が残るカザフスタン・ウシュトベを背景とした『記憶の跡』(2017年度ソウル演劇センターニュー・ステージに選定)、民主化運動家の夫が不審死した後の妻の生き方を描いた『二度目の時間』等。社会問題をベースとした斬新なストーリーで注目されている若手劇作家の一人。

少年Bが住む家 少年Bが住む家

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少年Bが住む家 写真

少年Bが住む家
소년B가 사는 집

作=李ボラム(イ・ボラム)
翻訳=沈池娟(シム・ヂヨン)
演出=大澤遊

出演
内藤栄一
円地晶子(無名塾)
中島大介(太田プロダクション)
荒巻まりの(テアトル・エコー放送映画部)
遊貴まひろ
峰﨑亮介
牛尾茉由(演劇集団円)
川瀬遼太(ナノスクエア)
渡部みなみ

演出助手=村瀬千佳子

少年Bが住む家

少年Bが住む家

少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 少年Bが住む家 (撮影=奥秋圭)

黄色い封筒 写真

黄色い封筒
노란 봉투

作=李羊九(イ・ヤング)
翻訳=石川樹里
演出=中野志朗(文学座)

出演
長瀬ねん治
宮下泰幸
橘麦(e-factory)
日沖和嘉子
柳生拓哉(演劇集団円)
江澤蛍
田崎哲也(ambrosia)
馬場太史(劇団俳優座)

演出助手=忍久保美佳

黄色い封筒

黄色い封筒

黄色い封筒 黄色い封筒 黄色い封筒 黄色い封筒 黄色い封筒

黄色い封筒

黄色い封筒

(撮影=奥秋圭)

刺客列伝 写真

刺客列伝
자객열전

作=朴祥鉉(パク・サンヒョン)
翻訳=木村典子
演出=川口典成

出演
川邊史也(劇団銅鑼)
喜多村千尋(劇団東京ヴォードヴィルショー)
坂本美那(Bellona model agency)
清水優華
秦由香里
辻村優子
原田理央(柿喰う客)
広田豹
前田龍佑(イッツフォーリーズ)

刺客列伝刺客列伝

刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝 刺客列伝

(撮影=奥秋圭)

韓国現代戯曲ドラマリーディング
エクストラエディション

韓国現代戯曲ドラマリーディング
エクストラエディション

シアタートラム
2018年3月23日〜25日

(公演終了)

ぼんくらと凡愚/クミの五月ちらし裏面

ぼんくらと凡愚

3月23日金19:00/3月25日日13:00

クミの五月

3月24日土14:00/3月25日日17:00

シンポジウム『光州事件』その後の民主化運動

3月24日土16:00
パネリスト
イ・サンウ (『ジマンジ韓国戯曲選集100』編集委員・高麗大学国文科教授・演劇評論家)
キム・ソヨン (演劇評論家・韓日演劇交流協議会副会長)
真鍋祐子 (『増補 光州事件で読む現代韓国』著者・東京大学東洋文化研究所教授)
河野孝 (演劇評論家・日韓演劇交流センター委員)
司会 西堂行人(演劇評論家・日韓演劇交流センター委員)

リーディング・スタッフ 
舞台監督=辰巳次郎
照明=篠木一吉
音響=大場神
舞台監督助手=堀光太郎
照明オペレーター=伊藤翔大
制作=太田昭(東京演劇アンサンブル)/高橋俊也(THEATRE THEATER)

ぼんくらと 凡愚

銃を持って強盗する奴だけが罪人か? この世には、権力と派閥頼みに、 合法的に強盗を働いている奴はいくらでもいる

ぼんくらと凡愚

七〇年代初頭、韓国の新聞一面を飾った二人組の連続殺人犯。獄中で意気投合、出獄後、四回の犯行に及ぶ野良犬のような人生。事件担当の捜査官が、ある時は舞台監督として、被害者を生き返らせ、犯人と共に実況見分、劇中劇を演じるなど笑いを交えつつ辿り直す。 被害者の、凶悪犯の崖っぷちのすさまじい「いのちの声」。愛する者に容赦なく発せられる銃声……。現代社会の不合理な構造と矛盾を抉り出す社会風刺劇であり、告発劇である。

作者
金相烈 キム・サンヨル 1941-1998
1941年、京畿道開豊郡出身。1966年、中央大学演劇映画科卒。1967年、劇団架橋創立、常任演出と代表。1976年、李根三『流浪劇団』で韓国演劇映画芸術賞演出賞受賞。75年、『カササギ橋の寓話』(文化観光部公募戯曲当選)、77年、『道』(サムスン道義文化著作賞)。劇作家としての地位も確立。脚本家としてTV『捜査班長』を四年間執筆。78年、現代劇場常任演出家。81年、ニューヨーク「ラ・ママ」劇団で一年間研修。82年、『兎唇曲馬団』を発表する一方、ミュージカル演出にも主導的役割を果たした。84年、劇団「マダン」セシールに移籍。88年、劇団神市を創立、ソウルオリンピック開閉会式、大田エキスポなど国際的文化行事の構成台本と総演出担当。百想芸術大賞戯曲賞・演出賞はじめ数々の賞を受賞。98年すい臓癌で死亡。没後、金相烈演劇賞が設けられ、毎年優れた劇作家・演出家を顕彰している。

翻訳
津川泉 つがわ・いずみ
1949年水戸生まれ。75・76年創作ラジオドラマ懸賞公募佳作。76年より作家活動開始。89年芸術選奨文部大臣新人賞、第三回ゴールデンアンテナ国際テレビ祭グランプリ受賞。著書『JODK消えたコールサイン』(白水社)。90年から韓国語を学び、01~03年韓国西江大学語学留学。共著『韓国現代戯曲集』(日韓演劇交流センター)『読んで演じたくなるゲキの本』(幻冬舎)。編集・共訳『韓日対訳創作シナリオ選集』金志軒(集文堂・韓国)。『在朝日本人情報事典』高麗大学校グローバル日本研究院・執筆参加。柳敏榮『韓国演劇運動史』訳了。日本脚本家連盟員。共立女子大学「劇芸術コース」非常勤講師。日韓演劇交流センター専門委員。

上演データ
演出=シライケイタ(温泉ドラゴン)
作曲=星野志門
演出助手=市川洋平/斉藤千夏(S.A.Bカンパニー)

出演
李鐘大(イ・ジョンデ) 東谷英人(DULL-COLORED POP)
文度錫(ムン・ドソク) 寺本一樹(スタッフ・ワン)
捜査官 井上倫宏(演劇集団円)
ファン・ウンギョン(李鐘大の妻) 沖田愛(高岡事務所)
アヨン(ホステス) 山崎薫(ワタナベエンターテインメント)
女性警官(ミス・ ヒョン) 北澤小枝子(ジンギーザップエンタープライズ)
老婆(李鐘大の母親) 秦由香里
パク・ヨンス 阿岐之将一(ワタナベエンターテインメント)
李正洙(イ・ジョンス) 柏木俊彦(第0楽章)
妻(パク・ヨンスの妻) 喜多村千尋(劇団東京ヴォードヴィルショー)
中年紳士(ファン・ウンギョンの父) 米山実(劇団文化座)

 

クミの 五月

愛する兄さん、一握りの土と、木の葉、草に集く蟲の音も、 この地では、すべて兄さんとひとつです

クミの五月

1980年五月光州抗争で戒厳軍との銃撃戦により道庁で射殺された大学生李正然(イ・ジョンヨン)の妹クミの手記をもとに劇化。市場のおばあさんが軍に殺されたのを機にデモに合流した兄。市民軍と戒厳軍の攻防、市民軍の内部分裂まで描き切った臨場感あふれるマダン劇。一連の「五月劇」の出発点であり、頂点に立った傑作である。抗争に身を投じ、仲間を捨て、逃亡した作者だからこそ、書くことができた比類なき切迫感……!

作者
朴暁善 パク・ヒョソン 1954-1998
1954年忠清南道大田出身。全南大学国文科卒業。78年、「行動する作家」黄晳暎らと「民衆文化運動」に参加。労働者や貧しい市民のための「野火夜学」教師をしながら『咸平(ハムピョン)さつまいも』作・演出。79年、大学演劇部後輩達と劇会「広大」を創立。80年、黄晳暎『韓氏年代記』稽古中の5月、光州抗争勃発。劇団員と市民軍の広報活動に従事。最終決戦前夜26~27日深更、道庁付近から離脱。1年7ヶ月間の逃亡生活の末に自首。釈放後、83年劇団「トバギ(生粋・土地っ子)」創立。88年『クミの五月』、92年『彼らは潜水艦に乗った』、93年『牡丹花』、97年『青い糸赤い糸』など一連の五月劇を発表、「永遠の五月広大」、「五月光州の伝導師」の愛称を得る。94年、創作戯曲集『クミの五月』出版。97年第2回光州ビエンナーレ開幕祭・閉幕祭総演出。98年9月10日午後3時、肝臓癌で死亡(満四四歳)。「野火夜学」に関わった光州抗争の犠牲者と共に「野火七烈士」の一人として追悼されている。

上演データ
演出=鈴木アツト(劇団印象-indian elephant-)
演出助手=有川義孝(ヘアピン倶楽部)/相原雪月花
出演
ジョンヨン(李正然、八〇年抗争時、全南大二年生) 岡田篤弥(劇団 球)
クミ(ジョンヨンの妹・高校生) 村山かおり(劇団東演)
父(ジョンヨンの父) 広田豹
母(ジョンヨンの母) 今井美佐穂(第0楽章)
羅州おっ母(羅州出身の市場の女) 小飯塚貴世江(クリオネ)
咸平おっ母(咸平出身の市場のハルモニ) 中村万里
務安おっ母(務安出身の市場の女) 清水ひろみ
長城おっ母(長城出身の市場の女) 橘 麦(e-factory)
宝城おっ母(宝城出身の市場の女) 成澤布美子
チェ氏(ジョンヨンの父の弟) 吉武大地(東宝芸能)
カン氏 根本大介
ト書き 西井裕美