2005年2月18日発行
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下記プロフィール等は2005年当時のものです。
自転車
作=呉泰錫(オ・テソク)
翻訳=木村典子
作=呉 泰錫(オ・テソク)
1940年生。64年、延世大学哲学科卒業。劇作家として68年『換節記』、73年『草墳』、74年『胎』、80年『山茱萸』、83年『自転車』などを韓国演劇史に残る演出家たちが競って上演。84年に劇団木花を旗揚げして以来、演出家として自身の作品を上演している。代表作に『春風の妻』『父子有情』『白馬河の月の夜に』『コソボ、そして流浪』『I LOVE DMZ』他。現在、ソウル芸術大学劇作科教授を務めながら、専用劇場アルングジで一年の半分以上公演をおこなう。
『自転車』あらすじ
朝鮮戦争の時代に焼き殺された村人127名の命日に、村役場に務めるユン書記は理由もなく意識不明となり、42日間職場を欠勤する。欠勤届けを書こうにもその理由がわからない。彼は同僚のク書記と共に、その日の足取りを追う。……農高の同窓生を無免許医療で告発し、帰宅途中に酒を飲む。自転車を押しながら深夜の帰り道、ガチョウの家と呼ばれるハン家の前で、次女が家出したと主人がうろついている。妹を追い出したのは自分だと長女は言うが、その理由が釈然としない。どうもこの家の子供たちは、ソルメのハンセン病患者の家から養子に出されたらしい。彼はソルメに自転車を向ける。しかしそこでは何もわからない。しばらく行くと水死した祖父の友人の漢方医と会う。この漢方医も焼死した一人だ。石橋の下の蟹捕りの所では、醸造所のファン氏があばれ牛にやられたとやって来る。シントルメのコルチェンイまで来た時、ハン氏の次女が自転車に飛び乗った。墓地に隠れていたという。自転車の前にロウソクを立て、ハン氏の家に連れ帰ろうとした時、女の声が聞こえる。とっさにロウソクの灯りを消す。すると闇の中から牛が突進してくる。そして、意識を失う。……すっぽり記憶から抜けていた事件があった。ソルメの夫婦の家に炎が上がり、その現場に向っていたのだ。そこで彼が見たのは、炎の中のソルメの妻、それに重なるように、かつて死んでいった村人たちの姿だった。
鳥たちは横断歩道を渡らない
作=金明和(キム・ミョンファ)
翻訳=石川樹里
作=金 明和(キム・ミョンファ)
1966年生。88年梨花女子大学教育心理学科卒業。94年、評論家としてデビュー。劇作では97年に『鳥たちは横断歩道を渡らない』で三星文学賞戯曲部門を受賞。00年『オイディプス、それは人間』、01年『チェロとケチャップ』と連続で韓国演劇協会選定のベスト5となる。01年『トルナル(一歳の誕生日)』では韓国演劇評論家協会「今年のベスト3」と東亜演劇賞を受賞。02年、平田オリザとの合作『その河をこえて、五月』で第二回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。
『鳥たちは横断歩道を渡らない』あらすじ
交通事故で怪我をしたスンジェの代わりに演出をしてくれないかと演劇部の後輩に頼まれたジファン。はじめは断るが、結局演出を引き受ける。久しぶりのサークルルームに、仲間たちと過ごした日々が甦る。学生時代を送った80年代は軍事政権下、学生運動が盛んだった。仲間たちもデモや学習会にのめり込み、誰もが未来を信じて戦った。現役の後輩たちは、政治や社会には無関心、個人の欲望や快楽に率直でジファンは戸惑いを覚える。公演の演目は決まったが、反抗的なソンテやゲイのヒスなどはジファンに敵意があり、稽古はうまくいかない。そんなある日、連絡もなく稽古に遅れてきたソンテと衝突し、ソンテは稽古に来なくなる。入院中のスンジェを見舞ったジファンは、ソンテが演劇部の仲間だったギュテの弟だと知る。ジファンの恋人は民主化を訴えるために焼身自殺を計画、知りながら止めなかったギュテをジファンはいまだに許せない。しかし、ギュテ自身も警察の拷問で発狂し、今は精神病院に入院中だ。ギュテの弟であるソンテを見放すなとスンジェは忠告する。ソンテの居場所を突き止めたジファンは、欲望渦巻くいかがわしい酒場に足を踏み入れて連れ戻し稽古を再開する。しかし、ヒスが吃りで、稽古は進展しないし、ソンテは相変らず反抗的だ。朝、ヒスが一人で稽古をしていた。ヒスは、自分が同性愛者であることを父に告白できる日が来るだろうかと打ち明ける。
豚とオートバイ
作=李萬喜(イ・マニ)
翻訳=熊谷対世志
作=李 萬喜(イ・マニ)
1954年生。78年東國大学印度哲学科卒業。光州市内で小劇場を始め、処女戯曲『処女飛行』発表。90年『それは木魚の穴の底の小さな闇でした』で三星文芸賞、ソウル演劇祭大賞、戯曲賞、白想芸術大賞戯曲賞受賞。92年開始の『電気、チョッと消して下さい』は1000回を越えるロングランとなった。96年『治ってから出て行け』で東亜演劇賞戯曲賞。97年発表『辰年の上に戌年』は現在までロングランを続けている。
『豚とオートバイ』あらすじ
孤児ながら、苦労して英語教師になった黄載奎は結婚して幸せに生活していたが、一つ目で額に口がある奇形児が生まれ、苦悶の末、その子を殺してしまう。やがて下獄した彼を待っていたのは、妻が、病身の母を抱えつつ不倫に走り、その事に耐え切れず自殺したという報せだった。彼女は詩ともつかない走り書きを遺していた。「何日か前に初めて悟りました。始まりというのは、我々が何気なく口にした言葉と行動から始められたという事を。言葉の大切さを思い知って行きました。」
出獄後、予備校講師となった載奎は、かつての教え子である慶淑と暮らしている。高校教師だった載奎に猛烈なアタックを仕掛けた向こう見ずな少女だった慶淑は、今は医大を出て専門医の道を進む立派の大人の女性であり、犯罪者であった載奎を、昔と変わらずに、あるいはそれ以上に愛しており、年の離れた「元犯罪者」との結婚に反対する親と三年も闘い続けている。人生の全てにとまどっている載奎は、慶淑との結婚話にも迷う。それどころかこの結婚話が、彼に自分の来し方を思い巡らせてしまう。観客、或いは死んだ妻に語りかける載奎。それは彼の苦行のような人生を回想させ、それが彼を更に悩ませる。獄中、子殺し、裁判、慶淑との出会いといった様々な回想の中で、載奎はようやく「始めの一歩」を踏み出す覚悟ができてくる。
エビ大王
作=洪元基(ホン・ウォンギ)
翻訳=馬政熙
作=洪元基(ホン・ウォンギ)
1959年生。ソウル芸術専門大学を卒業。84年呉泰錫率いる劇団木花に入団し、俳優兼作家として活躍。89年『アスファルト』で韓国日報新春文芸に当選。02年発表の『エビ大王』でソウル公演芸術祭の戯曲賞・作品賞他を独占。代表作に『本物の新派劇』『高句麗ブルース』『スフィンクス—ソウル版オイディプス—』『イシモチは美味い』等がある。
『エビ大王』あらすじ
時代は古朝鮮のある時、青銅器から鉄器に移ろうとしている時代、神話と歴史が共存していた時期、政治と宗教が分離されていく時期。世継ぎとなる息子を欲していたエビ大王は、女ばかりしか生まれない事に業を煮やし、最後に生まれた娘を川に捨ててしまう。ある日、来世からの二人の使者が現れ、寿命が尽きたことをエビ大王に告げる。しかし大王は息子をもうけるまで死ねないと懇願する。使者たちは猶予の時間を大王に与えるが、そのかわり一日三十人の民を殺さなければならぬ事を彼に告げる。大王は多少の動揺を見せるが承諾する。息子を作るため三千人の宮女たちと産土神宮に籠り、長女の夫と次女の夫に政務を任せるが、派閥を形成して対立していく。使者たちは王にこう告げる。「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられる運命の女があなたの息子を産める」と。早速、娘の捜索を部下に命じる。捨てられた娘・パリデギは無事に成長していたが、育ての母が病気のため、わずか三俵の米で身を売る事になる。売られて嫁にいったパルド(八道)の家は焼かれ、パルドの八番目の息子と結ばれたパリデギは男を産む。予言は成就されるが、パリデギは自分の六番目の姉に夫を奪われ、息子にも去られてしまう。パリデギは産土神宮に招き入れられ、危うく父王と関係を結びそうになる。親子は再会するが、王は自らの罪の重さを悟り、「私を殺せ」と部下に命じる。
真如極楽―こころとかたち―
作=李康白(イ・カンベク)
翻訳=津川泉
作=李康白(イ・ガンベク)
1947年生。71年東亜日報新春文芸に戯曲『五』当選登壇。ヨンヒ演劇賞(75)、東亜演劇賞(82)、ソウル劇評家グループ賞(83)、韓国演劇芸術賞(94)、大山(テサン)文学賞(96)ソウル演劇祭戯曲賞(98)百想芸術大賞戯曲賞(01)等受賞多数。98年~02年韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。現在、ソウル芸術大学劇作科教授。代表作に『野原にて』(中学国定教科書所収)『七山里』『春の日』ほか。
『真如極楽 こころとかたち』あらすじ
名仏師ハム・ミョジンには二人の高弟がいた。仏像の完璧な「かたち」を追究するトンヨン。仏の「こころ」が入らなければ無意味と考えるソヨン。そして二人を兄のように慕って育ったハム・ミョジンの一人娘ハム・イジョン。ソヨンは煩悶の末、「かたち」に懐疑を抱き、仏のこころを探す旅に出る。その間、トンヨンはハム・イジョンの体を奪い結婚する。ハム・ミョジンは老いて体調が悪化、トンヨンを後継者に選ぶ。やがて、息子誕生。たまたま工房に立ち寄ったソヨンは二人の結婚を知り、再び遍歴放浪の旅に出る。十数年後、あれこれ小言を言う車椅子のハム・ミョジンを出入禁止にするトンヨン。ある日、ハム・ミョジンは倒れた仏像の下敷きとなって死ぬ。娘のハム・イジョンは父の幻影を見るほど動揺する。トンヨンは妻に自分の作った仏像に三千回礼拝することを命じる。彼女はそれを途中で投げ出し、ソヨンを探しに家を出る。そして野末で乞食のような姿をしたソヨンに出会う。ソヨンがつくる「かたち」にこだわらない石仏が近隣の人々の信仰を集めているのを知り、彼女も行を共にする。精神的な父ソヨンと実父トンヨンがいつも胸中で争い葛藤していた息子チョ・スンインは、仏師となることを願う父の希望に抗い音楽家となり、二人の「父」の不協和音を音楽で調和させようと決心する。音と沈黙、「かたち」と「こころ」が調和した境地、「極楽」という世界観が明らかにされる。