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以下プロフィール等は2009年当時のものです。
『凶家』
作=李ヘジェ
翻訳=木村典子
李ヘジェ
1971年、慶尚南道釜山生まれ。釜山南高等学校を卒業し東国大学に進学するが、演劇を志し故郷・釜山のカマゴル小劇場で演劇活動を始める。93年、再びソウルに行き、〈ウリ演劇研究所〉に所属、作家としてカントルの『死の教室』などの再構成に関わるが、94年からフリーとなり本格的な作家活動に入る。95年、初戯曲『曲馬団物語』を発表、その後、『花畑』(96)、『詩劇 凶家(原題・凶家に光よ射せ)』(99)などを経て、00年に同郷の俳優たちと劇団〈蜃気楼万華鏡〉を旗揚げ、活動領域を演出にも広げる。01年~06年は演劇実験室〈恵化洞一番地〉の第三期同人となり、独自の演劇的世界を構築するとともに、『風の国』(01)、『ロミオとジュリエット』(02)、『マジック・カーペット・ライド』(05)など、ミュージカル脚本も手がける。また、02年の〈日韓舞台芸術コラボレーションフェスティバル〉に『水漬く屍』で参加し、『出撃』(作=鐘下辰男、演出=鵜山仁)と競演。08年には三谷幸喜『笑の大学』を演出。00年〈明日を開く作家〉(韓国文化芸術振興院)に選定、05年〈今年の若い芸術家賞〉受賞。他の代表作に、『世紀初期怪奇伝記』(00)、『薛公瓚傳』(03)、『ストーリーキング捜索本部』(04)、『津波』(05)、『六分の戮』(05)、『象とわたし』(07)、『タリフォーン・モダンガール』(07)などがある。
『凶家』あらすじ
ある夜パブクスンは、自身も知らぬ間にふらふらと、三〇年前に住み込み奉公をしていた南長者の家を訪れる。荒れ果て、今は誰も住む者もない凶家となったこの家で、パブクスンはひどい過去を回想し、自殺を試みる。その時、大門鬼神となった南長者があらわれる。南長者はどうして家が没落したのか、その理由をパブクスンに問いただし、二人は賭けをする。賭けは、家神のふりをして家にとりつく雑神たちに、彼らがすでに死んでいることを教えてやること。しかも条件が三つ。言葉で死んだことは教えてはいけない、南長者を巻き込んではいけない、朝まで生きていなければならない。この賭けに負ければ、パブクスンを生きる屍にしてやるというのだ。まもなく、次々にあらわれる雑鬼たち。よく見るとかつて一緒にこの家で暮らした人々だ。三〇年前のある日、その日とまったく同じに行動する彼らを見て、驚くパブクスン。そして、奇妙にもつれ合う事情で死んでいった彼らのあの夜が再び繰り広げられる。
『こんな歌』
作=鄭福根(チョン・ボックン)
翻訳=石川樹里
鄭福根
1946年、忠清北道清州市生まれ。中央大学国文学科四年中退。1974年より劇団架橋の座付作家として本格的に劇作を始め、同劇団の先輩作家であった李康白の勧めで新人劇作家の登竜門である日刊紙の新春文芸に応募し、1976年に東亜日報新春文芸に『キツネ』が当選。以来三十余作の戯曲を執筆し、現在まで創作活動を続けている、韓国を代表する女性劇作家である。主に歴史の荒波に翻弄される人間の苦悩を女性の視点から捉え、過去と現在が混在する濃密な時空間を凝縮された文体で表現している。1994年以降、女性演出家ハン・テスクとコンビを組んで数々の話題作を発表した。
代表作に『台風』(78)、『チッキミ(守り神)』(87)、『毒杯』(88)、『失碑銘』(89)、『隠れた水』(92)、『こんな歌』(94)、『チェロ』(94)、『徳恵翁主』(95) 、『世宗32年』(96)、『私、キム・スイム』(97)、『羅雲奎―夢のアリラン』(99)、『ベ・ジャンファ、べ・ホンリョン』(01)、『荷』(07)などがある。1989年『失碑銘』で韓国百想芸術大賞戯曲賞、1994年『こんな歌』でソウル演劇祭戯曲賞を受賞、1997年ヨンヒ演劇賞、2008年『荷』で大山文学賞戯曲部門を受賞。
『こんな歌』あらすじ
ヨンオクは韓国の伝統衣装であるチマ・チョゴリの仕立て職人である。彼女は作業場で、一人ミシンの前に座り、チマ・チョゴリを仕立てている。彼女は幻聴に苦しめられ、過去を回想する。彼女の家は、代々裕福だった。しかし日本の植民地時代に親日家だった彼女の父親が、北朝鮮の人民軍に殺されて以来、家運が傾いてしまった。俗に言う裕福な暮らしを夢みていたヨンオクは、一流大学出身であるにもかかわらず、田舎で教師生活を送る夫に不満を持つ。彼女は、あらゆる方法を使って、夫のインスを国会議員にしようとする。結局、進歩政党に入党したインスは、でっちあげのスパイ容疑で逮捕される。夫を釈放させるために、ヨンオクは警察の口車に乗せられ、インスをスパイとして密告する。しかし検察は彼女との約束を裏切り、インスは死刑にされる。夫を告発し、死に至らせたヨンオクと息子ギョンフンは村を追われ、苦しい生活を強いられる なんとか大学院を出たギョンフンは、工場に就職し、労働組合に入って賃金闘争をはじめる。息子を労働組合から脱退させるため、ヨンオクは労組のアジトを警察に密告する。ところが、これを知ったギョンフンは、その場所に駆けつけ、焼身自殺をしてしまう。自分の愚かさに気付き、絶望に陥ったヨンオクは、夫と息子の幻影に苦しみ、部屋に火を放つ。
『統一エクスプレス』
作=呉泰栄(オ・テヨン)
翻訳=津川泉
呉泰栄
1948年ソウル生まれ。1974年ソウル芸大演劇科卒業。同年『歩行練習』が中央日報新春文芸戯曲部門当選。1979年韓国戯曲作家協会賞、1980年代は劇団76で活動。1987年戯曲集『風の前に灯をかかげ』出版。同年「戦争」で第32回現代文学戯曲部門受賞。アウトサイダー的視点から数々の社会諷刺劇を発表。88年『売春』は公演倫理委員会の公演不可判定が出たが敢行。公演事前審議制度廃止の端緒となった。以来、10年近く断筆。久々に発表したのが1999年『統一エクスプレス』。2000年『豚の脂身』、01年『燃えるソファ』、02年『きな粉』と立て続けに統一演劇シリーズ4本を発表、作風の大きな転換点となった。03年『車輪』、04年『ホテル フェニクスで眠りたい』、06年『禅』、08年創作戯曲活性化支援事業選定作品『おだやかな埋葬』は、ピンターの初期作品に触発され「従来の劇作法から脱皮、新しい変化を試みた」作品だという。
『統一エクスプレス』あらすじ
舞台は軍事境界線近くにある飲食店。店を偽装経営するウボと北側の行動隊員カプサンは越境する人々を南北往来秘密通路に案内し通行料を取って大金を儲けている。ウボはオッカという娘を利用している。秘密通路を通り、脱北した彼女はこの秘密通路こそ全国統一の道だと信じ、国境守備隊員たちに体を売って、地雷を掘りだし、秘密通路の安全を確保している。
そんなある日、某財閥会長が牛の群れを追い立てて北朝鮮を訪問し、政府がウボの飲食店のそばに公式往来窓口を開設したため、彼らの商売は閑散となる。ところが、分離体制固着を狙う機関員と武器販売業の財閥が、統一を阻止するために潜水艦などを使って局地戦を挑発しようと陰謀をたくらむ。その結果、商売は再び活気を帯び、彼らは喜々として祝杯を上げる。無邪気に「私たちの願いは統一」という歌を歌うオッカ。公式往来を待ち望む失郷民の老人は、夢に描いた故郷を踏むことができずに死ぬ。
『旅立つ家族』
作=金義卿(キム・ウィギョン)
翻訳=李惠貞
金義卿
1936年生まれ。1960年ソウル大学文理学部哲学科卒業後、同年劇団「実験劇場」創立メンバーとして演劇活動を始め、1968年より1970年までアメリカのBrandeis大学院演劇学科修士課程にて演劇学を研究、修了。その後1976年、 劇団「現代劇場」を創立し、代表を務め、現在に至る。韓国演劇協会理事長(1986~88年)、ITI韓国本部会長(1994~99年)韓国BeSeTo 委員会の初代委員長(1994~2000年)を務めた。1962年戯曲『新兵候補生』で劇作家としてデビュー。主な戯曲に、『南漢山城』(74)、『植民地から来たアナーキスト』(84)、『失われた歴史を探して』(85)、『大韓国人安重根』(98)、『八萬大蔵経』(99)、および本作品『旅立つ家族』があり、このうち『南漢山城』は第11回百想芸術賞戯曲賞(1975年)、『失われた歴史を探して』は第22回百想芸術賞戯曲賞(1986年)、『旅立つ家族』は第15回ソウル演劇祭戯曲賞(1991年)、大韓民国文化芸術賞(2001年)を受賞した。戯曲以外に、翻訳書『鈴木演技論』(1993年)、『演劇経営』(2002年)、『二〇世紀の日本演劇』(2005年、共訳)などがある。
『旅立つ家族』あらすじ
この戯曲は韓国現代美術界を代表する国民的画家、李仲變(イ・ジュンソプ)(1915~1956)の半生を描いた作品である。李仲變は主に牛や子供の絵を描いた、韓国人なら誰でも知っている画家である。李仲變は、絵画を勉強するため、日本の文化学院に留学中に、後に妻となる山本方子と運命的に出会う。しかし、その後の彼の生涯は、常に時代に翻弄されることになる。動乱のため、故郷を離れ、母、兄弟とも別れて南方に逃れる。済洲島そして釜山で避難生活を送るが、度重なる生活苦と方子の病気のため、 仲變は韓国に、方子と二人の子供は日本に離れ離れに住むことになる。その後、仲變は妻と子供たちに会いに日本に行くが、自らの芸術を追究するため、絵を描く場を故郷韓国に定めて戻ってくる。一時は個展を開くほどの成功を収めるが、やがて貧困のうちに精神を病み、40歳の若さでこの世を去る。
『自鳴鼓』
作=柳致眞(ユ・チヂン)
翻訳=山野内扶
柳致眞(ユ・チジン)
1905年~1974年。慶尚南道統営生まれ。号・東朗。統営公立普通学校を卒業後、釜山郵便局付属の通信技員養成所に通い統営郵便局に一時勤務するが、20年に日本に渡り、立教大学英文科に入学。31年、卒業と同時に帰国し、築地小劇場で活動していた洪海星らと〈演劇映画同好会〉を結成。その後、この団体を発展させ〈劇芸術研究会〉を旗揚げし、初期作『土幕』(33)、『牛』(34)などを発表。劇団解散後、39年に〈劇研座〉を旗揚げするが内部問題と日帝の強制解散命令によって再び解散。41年、朝鮮演劇協会傘下の劇団〈現代劇場〉を旗揚げ。この活動が親日派問題として後々柳致眞への評価についてまわる。50年に開館した国立中央劇場の設立に大きな役割をはたし国立劇場館長に就任、『元述郎』を公演。62年、ロックフェラー財産の支援を受けて、ドラマセンターを南山に建設。64年には演劇学校を併設し、突出した現代演劇の人材を多数輩出する実験的な空間となった。現在はソウル芸術大学と改められ、韓国を代表する演劇学校として高い評価を受けている。他の代表作に『柳の立つ村の風景』(33)、『貧民街』(34)、『麻衣太子』(34)、『自鳴鼓』(47)、『處容の歌』(53)、『青春は祖国とともに』(55)、『論介』(57)、『漢江は流れる』(58)など。また、百作品以上の演出を手がけた韓国を代表する演出家でもある。
『自鳴鼓』あらすじ
三国時代の朝鮮半島。弱小国の楽浪は中国・漢の力を借り、他国の脅威から身を守っていた。ある日、山深い国境に石碑を立てるために出向いた王たち一行の前に、高句麗の暴れ王子ホドンが現れる。彼の目的は楽浪の至宝「自鳴鼓」の破壊。この太鼓は、わずかにでも他国の侵攻があると勝手に鳴り出し、危機を知らせるという神器であった。大立ち回りのすえ、漢の若き将軍チャンチョと楽浪兵たちに捕らえられるホドン。「漢の力など借りず、朝鮮民族は一つになり、誇りをもって独立するべきだ」という彼の言葉に胸を打たれた楽浪の王女は、処刑からホドンを救い出し、自鳴鼓の破壊を決意する。