韓国現代戯曲集Vol.7

韓国現代戯曲集7

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掲載作品

木蘭姉さん

作=金垠成(キム・ウンソン)
翻訳=石川樹里

作=金垠成

1977年生。全羅南道、宝城出身。東国大学北朝鮮学科中退、韓国芸術総合学校演劇院演出科卒業。在学中に執筆した『シドン仕立て店』が韓国日報新春文芸(06年)に当選し、新人とは思えぬ確かな筆力で注目を集めた。彼は一貫して社会の底辺で暮らす人々や、韓国の近現代史の暗部をモチーフにした作品を書き続けている。社会に対する作家のストレートな問題意識をユーモアを交え、時に生活感・情感のこもった方言を駆使した台詞で舞台化する作家として定評がある。特に北朝鮮から韓国に渡った女性を主人公に、韓国の現代社会を捉えた『木蘭姉さん』(12年)は、数々の演劇賞を受賞。2011年には演出家ブ・セロムとともに劇団月の国椿の花(タルナラドンベッコ)を旗揚げした。作品に『死ぬほど死ぬほど』(07年)、『スンウ叔父さん』(10年)、『月の国連続ドラマ』(12年)、『干潟』(12年)、『ロ・プンチャン流浪劇場』(12年)、『ぐるぐるぐる』(14年)などがある。。

木蘭姉さん あらすじ

北から来た女、木蘭。平壌で音楽家としてのエリート教育を受けた彼女は、ある日突然事件に巻き込まれて韓国に渡るが、もう一度愛する家族と暮らすために、なんとしても祖国に帰りたい。
そしてもう一人の女、ソウルで水商売を手広く営み女手ひとつで三人の子供を育ててきたチョウ・デジャ。太山、太江、太陽と名付けた息子と娘と、木蘭が出会う時、南と北が出会う時、それぞれの愛と欲が絡み合い、現代の韓国社会の闇が浮き彫りになる。

2012年東亜演劇賞戯曲賞を受賞し、その年の演劇評論家の選ぶ今年のベスト3に選ばれた問題作。混沌とした社会に救いはあるのだろうか……。

 

五重奏

作=金潤美(キム・ユンミ)
翻訳=鬼頭典子

作=金潤美

1967年、慶尚北道奉化に生まれる。小説を書くために入学した中央大学文芸創作学科在学中にベケット、イヨネスコなどの影響を受け、劇作を開始。たちまち1988年、『列車を待ちながら』で東亜日報新春文芸戯曲部門に当選、登壇。卒業後、社報の記者をしながら順調に創作活動を重ね、数々の有名演出家と出会う。1993年、第1回大山文化財団創作支援に選定。延世大学大学院国語国文学科修士課程、博士課程終了。公演戯曲に『五重奏』『メディアファンタジー』『楽園での昼と夜』『結婚した女、結婚しなかった女』『チェア』『椅子』『ナクタプル』他、戯曲集に平民社『キム・ユンミ戯曲集1~4』がある。デビュー以来、自身の経験に基づいた激しく鮮烈な作品を生み出してきたが、近年は作風の幅を広げ、『京城スター』(演戯団コリぺ、イ・ユンテク演出、大学路芸術劇場大劇場)のような、韓国エンターテインメントを意識した作品も見られる。

五重奏 あらすじ

90年代中頃のある夏の日。韓国の田舎町にある古い家に集まった家族。この日、彼らの心の叫びが「五重奏」を奏でる。
一家の父キム・キプンは、利己主義で古い風習に囚われている70代の老男。後継ぎとしての息子を持つことを強く望み、妻以外の女性とも関係を持つが、何の因果か娘ばかりが生まれる。危篤を装い、バラバラに暮らす四人の娘を呼び寄せたキプン。数年ぶりに集まった腹違いの四姉妹。それぞれ人生に苦労と不満を抱える彼女たちは、互いを意識し衝突する。そこへキプンと関わりのあった女性たちの霊も集まってきて、蔓の絡まる古い家は、傾き地面に沈み込んでいく……。
血縁や因習、過去やトラウマ。登場人物は皆、何かに取り憑かれていて自由に歩くことが出来ずにいる。家族のアンビバレンスな思いは互いの人生と運命を浮かび上がらせて、新しい朝を迎える。

 

アリバイ年代記

作=金載曄(キム・ジェヨプ)
翻訳=浮島わたる

作=金載曄

1973年、大邱生まれ。演出家、劇作家。「劇団ドリームプレイ」代表。世宗大学映画芸術学科教授。延世大学国語国文学科を卒業後、漢陽大学大学院演劇学科に進み、博士課程修了。06年から10年まで恵化洞一番地四期同人として活動。1998年『九つの砂時計』で韓国演劇協会の創作劇公募に当選、02年『ペルソナ』が韓国日報の新春文芸戯曲部門に当選。「劇団パーク」の創立メンバーとして02年『チェックメイト』を作・演出し、演出家としてもデビュー。05年「劇団ドリームプレイ」を創立し、その創立公演『幽霊を待ちながら』は居昌演劇祭大賞および演出賞を受賞。「時間」「死」「待つこと」に関する哲学的寓話に土台を置いた才気はつらつとした初期の作品から、同時代の社会問題に対する積極的関与と変化を模索する作品に、関心を広げている。『まほろば』(蓬莱竜太作)、『背水の孤島』(中津留章仁作)など日本の戯曲も演出している。

アリバイ年代記 あらすじ

父の流した涙の理由とは…
2013年に東亜演劇賞(作品賞、戯曲賞)を受賞したこの作品は、作・演出のキム・ジェヨプ本人と父テヨン、兄ジェジンの年代記をドキュメンタリー的に綴った叙事的な物語である。
1930年植民地時代に大阪で生まれ育った父キム・テヨンは1946年、解放の翌年に祖国朝鮮の地へと戻り、その後1955年に定年を迎えるまで大邱中央高校で英語の教師を勤めた。2003年12月、その父が病床で、息子ジェヨプにある秘密を語り始める。
作者・演出のキム・ジェヨプは劇中でもジョエプ本人として登場する。父の背中を見つめながら過去を振り返り、語り、生き方を模索していくジェヨプ。終戦、朝鮮戦争、韓国民主化闘争、大統領選挙……混乱した時代の大きな流れに翻弄されながら生きた父とその二人の息子たちの年代記を、自己告白的にありのまま語ることで、彼らをとりまく社会の闇が暴き出されていく。

 

うぐいす

作=尹朝炳(ユン・ジョビョン)
翻訳=洪明花

尹朝炳

作家、演出家。1939年生れ。忠清南道鳥致院出身。
漢陽女子大学兼任教授、韓国芸術総合学校教授、ソウル芸術大学外来教授を歴任。1967年、『苔むす故郷に帰る』が国立劇場戯曲公募に当選し、劇作家としてデビュー。初期の作品では『すずめと機関車』(71年)など戦後の南北分断を描き、80年代に入ると『農土』(81年)など農村や炭坑の生活をリアリズムで描く。その時代の日の当たらない場所を自らの足で踏みしめ、その臨場感あふれる創作力が評価される。また『うぐいす』(84年)など20余作品を自身が演出し、庶民の喜怒哀楽を美しく溌剌と描く事で評価を得る。2000年代には『世界で一番小さいカエルの王子』(06年)など、子供から大人まで楽しめるファミリー演劇の存在を高める作品に力を注ぐ。
大韓民国演劇祭大賞(81年)、 東亜演劇賞(81年)、百想芸術賞戯曲賞・大賞(82年)、全国演劇祭最優秀賞(90年)、大統領表彰(98年)他、多数受賞。受賞戯曲集1・2』(図書出版演劇と人間、06年)など、七冊を出版。

うぐいす 解説

ある夏の午後、二人の男女が、平野の続く田舎道を彷徨い歩く場面から物語は始まる。結婚式の最中に、新婦を連れて式場を抜け出した新郎。どこに向かうのかもわからないまま、ただついて来るしかなかった若い新婦。きらびやかな結婚式に夢を抱いていた新婦には、新郎の行動が理解できない。新郎の求める地が未来なのか過去なのか最後まで明らかにされないが、文明のない田舎道を進みながら、自然とともに生きる人々に出会い、たった二人きりで、大宇宙の中での自身の小さな存在を再認識していく。
照りつける太陽、花蛇、人を飲み込む渦潮、勢いよく走り去る汽車、夜の雨、ウェディングドレスを利用して作った傘、蛍、ひぐま、かたつむりなど、自然との融合によって、適度な緊張を維持しながら、観客の想像力を刺激する。登場人物が語る謎めいた言葉や象徴的な単語の裏側には、観客自身が自由に解釈できるよう余白が充分に残されており、観客はいつの間にか、物質万能の世俗を離れて童心に返り、それぞれの原風景に誘われていく。また、簡潔な台詞の繰り返しによって、単調にならないよう、音楽や照明を適切に導入し、劇中人物の分身を登場させるなど、詩的で幻想的な空間を創造する。
主人公の二人は綺麗な婚礼衣装に身を包んでいるが、大自然の中では丸裸も同然である。視覚的にも、皮肉で美しいコントラストではないだろうか。生きることの本質に触れた若い新郎新婦は、一夜の経験を経て大きく成熟し、次に向かっていく。
出来事よりも雰囲気、対立や葛藤よりも、昔から伝わる素朴な遊びなど、自然や故郷に対する熱望から生まれる理解と調和に重点を置いたと、作家は語っている。
形式張った結婚式という通過儀礼に疑問を抱いていた作家は、若者たちが、出世と成功への道を走り始めている世の中の虚栄に流されないでほしいという願いを込めて、この作品を『祝祭』というタイトルで発表した。
この作品は、文芸誌からの執筆依頼によって、当初、短編劇として発表されたが、1982年に『ひと夏の夜の祝祭』と題名を変え、音楽劇として、劇団サヌリムによって上演された。その後、仁川劇友会の依頼によって本作は長編化され、題名を『うぐいす』とした。
第二回全国演劇祭では、作家自らの演出で、人間と自然のふれあいの意味を些細な日常から引き出し、想像力を拡大させる作品として評価され、大統領賞を受賞する。
最後に翻訳について付け加えておきたい。本作で新郎新婦以外の登場人物が語る言葉は、作家の故郷である忠清南道の方言である。韓半島の中西部に位置する忠清南道は、旧百済に位置し、百済の古都、扶余がある。山岳地帯の多い北道とは違って全体的に平野部が広がり、温和な気質で、言葉も比較的ゆったりしている。翻訳にあたり、未熟な知識での方言使用を避け、標準語に置き換えた。(洪明花)

ぼんくらと凡愚

作=金相烈(キム・サンヨル)
翻訳=津川泉

金相烈

1941年、京畿道開豊郡出身。1966年、中央大学演劇映画科卒。1967年、劇団架橋創立、常任演出と代表。1976年、李根三『流浪劇団』で韓国演劇映画芸術賞演出賞受賞。75年、『カササギ橋の寓話』(文化観光部公募戯曲当選)、77年、『道』(サムスン道義文化著作賞)。劇作家としての地位も確立。脚本家としてTV『捜査班長』を四年間執筆。78年、現代劇場常任演出家。81年、ニューヨーク「ラ・ママ」劇団で一年間研修。82年、『兎唇曲馬団』を発表する一方、ミュージカル演出にも主導的役割を果たした。84年、劇団「マダン」セシールに移籍。88年、劇団神市を創立、ソウルオリンピック開閉会式、大田エキスポなど国際的文化行事の構成台本と総演出担当。百想芸術大賞戯曲賞・演出賞はじめ数々の賞を受賞。98年すい臓癌で死亡。没後、金相烈演劇賞が設けられ、毎年優れた劇作家・演出家を顕彰している。

 

ぼんくらと凡愚 解説

金相烈は1960年代から演劇活動を開始、70年代の軍事政権下では上演が禁止されていたブレヒトに心酔、80年代にはミュージカル『エビータ』をはじめ、『ジーザス・クライスト・スーパースター』の演出で韓国ミュージカル界を主導、90年代末に亡くなるまで、パンソリのオペラともいうべき唱劇の現代化、社会風刺劇、楽劇、マダンノリなどの大衆劇に到るまで、多様なジャンルの開拓と発展に先駆的役割を果たした劇作家・演出家である。
『ぼんくらと凡愚』はブレヒトの叙事劇形式を導入した初期の代表作で80年初演。第4回大韓民国演劇祭文化観光部長官賞、81年百想芸術大賞戯曲賞。最近では2002年、2011年に再演された。この作品の生まれた契機となったのはMBC‐TV捜査実話劇『捜査班長』であった。78年から100本近く執筆にかかわったが、400回特集で『ぼんくらと凡愚』を書きあげ、多くの反響を呼んだ。その時、収集した膨大な資料によって、戯曲化された。
74年当時、新聞社会面トップを飾った希代の連続殺人犯2人の生と死を、事件担当の捜査官が再検証するという実録劇である。当局の捜査・追跡と併行して挿入される、凶悪犯の家族愛、母との再会などのバックストーリーが情感深く活写されている。
初演当初のタイトルは『あなたの言葉でいうならば』。ローマ総督ピラトの「あなたはユダヤの王か?」という審問に対するイエスの答えから来ている。「世の中には二つの言語がある。人の世を営むための日常言語と宇宙の摂理を貫く天の言語、すなわち真理の声である。あなたの言う王の概念と私の言う王の概念は違う」(「作者の言葉」)。審問の結果、イエスは十字架にかかり、極悪人のバラバが赦される。作者はラーゲルクヴィストの『バラバ』のように、極悪人とイエスとの心の交感を描こうとしたのだろうか?
いや、むしろ、作者は極悪人2人を「ドン・キホーテ」と「サンチョ」という滑稽な人物に擬し、キリスト教的倫理劇とは趣の違う「ぼんくらと凡愚」に改題したのだと思われる。

「銃を持って強盗する奴だけが罪人か? この世には、権力と派閥頼みに、合法的に強盗を働いている奴はいくらでもいる」

ぼんくらとは思えぬこのセリフ、個人倫理の堕落だけを問責するより、社会倫理の価値基準を見直すべきだという主張であり、単なる捜査推理劇や犯罪心理劇というより、現代資本主義社会の不合理な構造と矛盾を抉り出す社会風刺劇、告発劇といえよう。
ただ、リアリズムを追究する一方で、捜査官を舞台監督に仕立て、被害者を生き返らせ、犯人と一緒に実況検分させたり、劇中劇を演じさせるなど、卓抜なユーモア感覚を駆使し、おもしろい「メロドラマ」を作ろうという作者の意図も、いかんなく発揮されている。
初演から8年たった89年の公演パンフに、作者はこう記している。

「正義と真実の仮面をかぶった物の怪が白昼から百鬼夜行するこの時代に、野良犬のように生きた李鐘大と文度錫、そのすさまじい絶叫と銃声を聞くことによって『自分は果たしてこの世界と関係がないのか』と、しばらく自問する時間を設けたいだけのことだ」

(津川泉)

 

韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.7

韓国現代戯曲ドラマリーディングVol.7

2015年1月14日~18日
シアタートラム

◯リーディング

木蘭姉さん

作=金垠成(キム・ウンソン)
翻訳=石川樹里
演出=松本祐子

木蘭姉さん 木蘭姉さん

【出演】

俳優1=Kiyoka((株)MAパブリッシング)
チョウ・モンナン (女、26才) アコーディオン奏者

俳優2=寺内よりえ(劇団昴)
チョウ・デジャ(女、55才)ピンクサロン経営者/ナム・グムジャ(女、55才)チョウ・モンナンの母親

俳優3=櫻井麻樹
ホ・テサン(男、36歳)韓国史の博士号取得者、無職、チョウ・デジャの長男

俳優4=谷山知宏(花組芝居)
ホ・テガン (男、33歳)大学教授、チョウ・デジャの次男

俳優5=高畑こと美(エンパシィ)
ホ・テヤン(女、30歳) 小説家、チョウ・デジャの長女であり、末っ子

俳優6=荒川大三郎
キム・ジョンイル(男、 41歳)反北朝鮮団体会員、北朝鮮脱出ブローカー

俳優7=星野愛(株式会社ALBA)
ぺ・ミョンヒ(女、30歳)統一団体会員/民謡歌手/ユク・ソニョン(女、33歳)小学校の教師/チャ・ヨンミ(女、29歳)大学院生/リョ・モンナン ホ・テヨンが書いているシナリオの中の登場人物

俳優8=井上倫宏(演劇集団円)
チョウ・ソンホ(男、55歳)画家、チョウ・モンナンの父/オ・ヨンファン(男、48歳)映画監督/カン・グッシク(男、66歳)事業家、韓国系アメリカ人

俳優9=永野和宏(劇団新人会)
リ・ミョンチョル (男、32歳)再入国脱北者/グッ・サンチョル(男、32歳)国会議員補佐官/ヒョン・ソンウク(男、34歳)大企業秘書室職員/ヤン・ムノ(男、15歳)北朝鮮の男子中学生/チャ・ミニョク ホ・テヤンが書いているシナリオの登場人物

俳優10=永栄正顕(夢工房)
ナ・ヌリ(男、9歳)小学生/チョン・シンギュン(男、34歳)医者/ソ・ヒンドル(男、25歳)大学生/チョン・ウォンサン(男、20歳)ピザ配達員

俳優11=日沖和嘉子(SOMEYA・本舗)
ソン・ホンヨン(女、15歳)北朝鮮の中学生/ホ・セビョル(女、9歳)小学生/ノ・ミレ(女、21歳)ピンクサロン従業員/コン・ドゥソン(女、23歳)大学生

俳優12= 稲松遥
ユウ・モンナン (女、10歳) 脱北児童

作=金垠成

1977年生。全羅南道、宝城出身。東国大学北朝鮮学科中退、韓国芸術総合学校演劇院演出科卒業。在学中に執筆した『シドン仕立て店』が韓国日報新春文芸(06年)に当選し、新人とは思えぬ確かな筆力で注目を集めた。彼は一貫して社会の底辺で暮らす人々や、韓国の近現代史の暗部をモチーフにした作品を書き続けている。社会に対する作家のストレートな問題意識をユーモアを交え、時に生活感・情感のこもった方言を駆使した台詞で舞台化する作家として定評がある。特に北朝鮮から韓国に渡った女性を主人公に、韓国の現代社会を捉えた『木蘭姉さん』(12年)は、数々の演劇賞を受賞。2011年には演出家ブ・セロムとともに劇団月の国椿の花(タルナラドンベッコ)を旗揚げした。作品に『死ぬほど死ぬほど』(07年)、『スンウ叔父さん』(10年)、『月の国連続ドラマ』(12年)、『干潟』(12年)、『ロ・プンチャン流浪劇場』(12年)、『ぐるぐるぐる』(14年)などがある。

演出=松本祐子

文学座所属の演出家。1999年より文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間ロンドンにて研修。主な演出作品に「冬のひまわり」「秋の蛍」「ペンテコスト」「ホームバディ/カブール」「ぬけがら」「大空の虹を見ると私の心は躍る」(以上文学座公演)、「ピーターパン」「ウーマン・イン・ホワイト」(ホリプロ)、「てのひらのこびと」「鳥瞰図」「やけたトタン屋根の上の猫」(新国立劇場)などがある。韓国では2006年に韓国演出者協会のアジア演出家ワークショップで鄭義信の「20世紀少年少女唱歌集」演出。また2009年には劇団美醜で井上ひさし氏の「天保12年のシェイクスピア」をペ・サムシク氏の翻案により「哲鐘13年のシェイクスピア」として演出。2005年「ぬけがら」と「ピーターパン」の演出に対し、毎日芸術賞・千田是也賞を受賞。桜美林大学非常勤講師。

訳=石川樹里

神奈川県生まれ。和光大学人間関係学科卒。大学在学中より韓国語を学び、韓国演劇に関心を持つ。大学卒業後、渡韓し、延世大学韓国語学堂卒業。89年、劇団木花の来日公演『火の国』(PARCO劇場)で通訳スタッフを務めて以来、日韓の公演スタッフとして活動。韓国芸術総合学校演劇院演劇学科卒業。
現在、ソウル在住。日韓の戯曲翻訳、公演通訳だけでなく、台本脚色、ドラマツルグなどのスタッフとして、韓国演劇に広く関わっている。戯曲翻訳多数。共訳書に『韓国近現代戯曲選』(論創社刊)。2008年『呉将軍の足の爪』(作=朴祚烈)の翻訳により第15回湯浅芳子賞受賞。

木蘭姉さん あらすじ

北から来た女、木蘭。平壌で音楽家としてのエリート教育を受けた彼女は、ある日突然事件に巻き込まれて韓国に渡るが、もう一度愛する家族と暮らすために、なんとしても祖国に帰りたい。
そしてもう一人の女、ソウルで水商売を手広く営み女手ひとつで三人の子供を育ててきたチョウ・デジャ。太山、太江、太陽と名付けた息子と娘と、木蘭が出会う時、南と北が出会う時、それぞれの愛と欲が絡み合い、現代の韓国社会の闇が浮き彫りになる。

2012年東亜演劇賞戯曲賞を受賞し、その年の演劇評論家の選ぶ今年のベスト3に選ばれた問題作。混沌とした社会に救いはあるのだろうか……。

五重奏

作=金潤美(キム・ユンミ)
翻訳=鬼頭典子
演出=保木本佳子

五重奏 五重奏

【出演】

キム・キプン(70代)=山野史人(劇団青年座)
ヨンスン(40代)長女=都築香弥子(オフィス・ミヤモト)
ヨンファ(40代)次女=小山萌子(エンパシィ)
ヨンオク(40代)三女=秦由香里(演劇集団円)
ヨンジン(20代)四女=長尾奈奈
スク(50代)幽霊=藤堂陽子(劇団文学座)
イファ(10代)幽霊=角谷邁
クムスン(50代)幽霊=南谷朝子(青年座映画放送)
サンピル(40代)キム・キプンの従兄弟、アルコール中毒者=岸槌隆至(劇団文学座)
クォン先生(40代)漢方医=青木鉄仁(劇団青年座)
仮面をかぶった幽霊たち 多数
ト書き=町田カナ
劇中歌作曲=南谷朝子

アドバイザー=沈池娟 演出助手=五十嵐大祐

作=金潤美

1967年、慶尚北道奉化に生まれる。小説を書くために入学した中央大学文芸創作学科在学中にベケット、イヨネスコなどの影響を受け、劇作を開始。たちまち1988年、『列車を待ちながら』で東亜日報新春文芸戯曲部門に当選、登壇。卒業後、社報の記者をしながら順調に創作活動を重ね、数々の有名演出家と出会う。1993年、第1回大山文化財団創作支援に選定。延世大学大学院国語国文学科修士課程、博士課程終了。公演戯曲に『五重奏』『メディアファンタジー』『楽園での昼と夜』『結婚した女、結婚しなかった女』『チェア』『椅子』『ナクタプル』他、戯曲集に平民社『キム・ユンミ戯曲集1~4』がある。デビュー以来、自身の経験に基づいた激しく鮮烈な作品を生み出してきたが、近年は作風の幅を広げ、『京城スター』(演戯団コリぺ、イ・ユンテク演出、大学路芸術劇場大劇場)のような、韓国エンターテインメントを意識した作品も見られる。

演出=保木本佳子

脚本家・演出家。大阪芸術大学舞台芸術学科非常勤講師。大阪現代舞台芸術協会(DIVE)理事。
2005年、大阪芸術大学大学院芸術制作研究科修了。同年、処女戯曲「女かくし」で第3回近松門左衛門賞優秀賞受賞。2012年、第2回日韓演劇フェスティバル「小町風伝」に出演。韓国人演出家の李潤澤氏と出会う。李氏の劇団「演戯団ゴリペ」によって戯曲「ふくろのケムリ」が韓国語に翻訳され、ソウル・釜山等、韓国3都市で上演される。これをきっかけに、韓国演劇人との交流が増えていく。韓国現代戯曲ドラマリーディングVol.6では「海霧」にナレーションとして参加。2013年4月、東京で劇団「ケムリノケムリ」を旗揚げ。初公演の主演に韓国人俳優を迎える。2014年「中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス」おけるプロジェクト「いちはら人生劇場」に劇作で参加。韓国人演出家の姜侖秀氏、フィンランド人パフォーマーヘイニ・ヌカリ氏と共に演劇・展示作品を発表した。

訳=鬼頭典子

フェリス女学院大学文学部国文学科卒。本業は文学座所属の女優。2009年3月、韓国現代戯曲ドラマリーディングvol.4『統一エクスプレス』に出演したのを機に韓国演劇に興味を持ち、2010年12月より、文化庁の新進芸術家海外研修制度で一年間ソウルに留学。国立劇団等で演劇、韓国舞踊、パンソリなどの研修を受けながら、高麗大学の語学堂で韓国語の研修も受ける。2011年12月に帰国後、2012年5月の光州平和演劇祭、2013年8月の密陽演劇祭に俳優として参加。翻訳は今回が初挑戦。日韓演劇交流センター専門委員。

五重奏 あらすじ

90年代中頃のある夏の日。韓国の田舎町にある古い家に集まった家族。この日、彼らの心の叫びが「五重奏」を奏でる。
一家の父キム・キプンは、利己主義で古い風習に囚われている70代の老男。後継ぎとしての息子を持つことを強く望み、妻以外の女性とも関係を持つが、何の因果か娘ばかりが生まれる。危篤を装い、バラバラに暮らす四人の娘を呼び寄せたキプン。数年ぶりに集まった腹違いの四姉妹。それぞれ人生に苦労と不満を抱える彼女たちは、互いを意識し衝突する。そこへキプンと関わりのあった女性たちの霊も集まってきて、蔓の絡まる古い家は、傾き地面に沈み込んでいく……。
血縁や因習、過去やトラウマ。登場人物は皆、何かに取り憑かれていて自由に歩くことが出来ずにいる。家族のアンビバレンスな思いは互いの人生と運命を浮かび上がらせて、新しい朝を迎える。

アリバイ年代記

作=金載曄(キム・ジェヨプ)
翻訳=浮島わたる
演出=公家義徳

アリバイ年代記 アリバイ年代記

2013年作品

【出演】

父キム・テヨン=中山一朗

ジェヨプ=石母田史朗(劇団青年座)

少年(テヨン)、少年ジェジン、少年ジェヨプ=津田修平

青年(テヨン)、ジェジン=ハゼヤマ俊介(演劇集団円)

母、おばさん=高村尚枝(劇団文化座)

伯父さん、本屋の主人、刑事の班長、校長、嶺南政治家1、酔客=井ノ口勲

従兄弟の兄さん、少年の父、青年の兄、おじさん、刑事、ヨンヒョン、南総連、国土開発)要員1、嶺南政治家2、宣銅烈=加藤裕(SET)

班長、ソンフン、店員、張り紙職人、新聞売り、応援団長、医師、(国土開発)要員2=廣畑達也

ト書き=日下範子

演出助手=林ちゑ 映像=高橋啓祐

作=金載曄

1973年、大邱生まれ。演出家、劇作家。「劇団ドリームプレイ」代表。世宗大学映画芸術学科教授。延世大学国語国文学科を卒業後、漢陽大学大学院演劇学科に進み、博士課程修了。06年から10年まで恵化洞一番地四期同人として活動。1998年『九つの砂時計』で韓国演劇協会の創作劇公募に当選、02年『ペルソナ』が韓国日報の新春文芸戯曲部門に当選。「劇団パーク」の創立メンバーとして02年『チェックメイト』を作・演出し、演出家としてもデビュー。05年「劇団ドリームプレイ」を創立し、その創立公演『幽霊を待ちながら』は居昌演劇祭大賞および演出賞を受賞。「時間」「死」「待つこと」に関する哲学的寓話に土台を置いた才気はつらつとした初期の作品から、同時代の社会問題に対する積極的関与と変化を模索する作品に、関心を広げている。『まほろば』(蓬莱竜太作)、『背水の孤島』(中津留章仁作)など日本の戯曲も演出している。

演出=公家義徳

東京演劇アンサンブルの俳優・演出家。
俳優としては、故・広渡常敏に見出され1998年頃から劇団の主要作品で主役をつとめてきた。海外公演の実績も多く、7か国11都市での主演公演を経験し高い評価を得ている。
演出家としては、広渡の死後、2007年より積極的に取り組んでいるが、2013年3月にはボートー・シュトラウス『忘却のキス』2014年9月にはデーア・ローアー『無実』と、ドイツ現代演劇を代表する劇作家の難解なテキストにも挑戦。「俳優の身体性の無駄を削ぎ、セリフを抑制し、戯曲のエッセンスを凝縮し、極限まで洗練する」「寸分の迷いもない、大胆かつ的確な演出」などと評された。また、中学・高校生への演劇ワークショップ講師なども定期的に行い指導的な役割を果たしている。

訳=浮島わたる

浮島わたるはペンネーム。劇団所属の俳優。
2007年度文化庁新進芸術家海外派遣制度により、ソウルに1年間留学。留学中、日本の戯曲が数多く翻訳、上演されているのを目の当たりにし、韓国の戯曲が日本でも同じように上演されることに少しでも貢献できればと、翻訳作業を始める。戯曲探しのため、そして、日本と韓国の演劇交流のため、酒が飲めないにもかかわらず、韓国演劇のメッカ、小劇場ひしめく大学路の酒場に夜な夜な現れてはソウルの演劇人たちと親交を深める。本シリーズではⅥに所収の『朝鮮刑事ホン・ユンシク』の翻訳も手がける。

写真は韓国での公演舞台写真と作家。

アリバイ年代記 あらすじ

父の流した涙の理由とは…
2013年に東亜演劇賞(作品賞、戯曲賞)を受賞したこの作品は、作・演出のキム・ジェヨプ本人と父テヨン、兄ジェジンの年代記をドキュメンタリー的に綴った叙事的な物語である。
1930年植民地時代に大阪で生まれ育った父キム・テヨンは1946年、解放の翌年に祖国朝鮮の地へと戻り、その後1955年に定年を迎えるまで大邱中央高校で英語の教師を勤めた。2003年12月、その父が病床で、息子ジェヨプにある秘密を語り始める。
作者・演出のキム・ジェヨプは劇中でもジョエプ本人として登場する。父の背中を見つめながら過去を振り返り、語り、生き方を模索していくジェヨプ。終戦、朝鮮戦争、韓国民主化闘争、大統領選挙……混乱した時代の大きな流れに翻弄されながら生きた父とその二人の息子たちの年代記を、自己告白的にありのまま語ることで、彼らをとりまく社会の闇が暴き出されていく。

◯シンポジウム

女性が世界を変える

金明和(キム・ミョンファ)/金潤美/永井愛/小林七緒/大笹吉雄

現代日本戯曲リーディング Vol.6

2014年2月21日~23日
明洞芸術劇場

◯リーディング

乱暴と待機

作=本谷有希子/翻訳=イ・ホンイ/演出=キム・ハンネ

偉大なる生活の冒険

作=前田司郎/翻訳=コ・ジュヨン/演出=金載曄(キム・ジェヨプ)

ぬけがら

作=佃典彦/翻訳=明眞淑/演出=リュ・ジュヨン

◯シンポジウム

日本現代演劇の不条理劇のコード

司会=張誠希/西堂行人/山口宏子/佃典彦/ホ・スンジャ/金載曄

◯翻訳

美しきものたちの伝説

作=宮本研/翻訳=イ・ソンゴン

とりあえずの死

作=藤田傳/翻訳=木村典子

大学路1980’s 韓国現代演劇とソウル

大学路1980’s 韓国現代演劇とソウル

会期:2013年3月1日(金)~8月4日(日)
会場:演劇博物館3F 現代演劇コーナー
主催:早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
共催:日韓演劇交流センター
入場無料

現代演劇シリーズ第41弾「大学路 1980’s―韓国現代演劇とソウル」展

韓国ソウル市の街路の一つ「大学路(テハンノ)には現在140あまりの劇場が集まり、世界でも例を見ないユニークな劇場街が形成されています。そこではTV界への進出を狙う若手お笑い芸人のライヴや、一幕ものの軽い恋愛コメディー、少人数のミュージカル、現代劇やダンス公演、近代劇の斬新な演出による上演など、娯楽性の高いものから芸術性を追究したものまで、多種多様な公演活動が、わずか1kmに満たない街路周辺のごく狭い地域の中で日々盛んに行われています。こうした独特の演劇文化が花開くその出発点は1980年代にありました。
本展ではこの大学路に視座を据え、街の変容と共に激しく揺れ動いた1980年代の韓国演劇を紹介します。日韓の演劇交流が益々盛んになる今日、本展が両国の演劇状況を新しい角度から据えなおす契機となれば幸いです。

https://www.waseda.jp/enpaku/ex/907/

大学路1980’s 韓国現代演劇とソウル

韓国現代戯曲集Vol.6

韓国現代戯曲集6

プロフィール等は2013年時点のものです。
戯曲集の入手については日韓演劇交流センターへお問い合わせください。

掲載作品

海霧

作=金旼貞(キム・ミンジョン)
翻訳=宋美幸

金旼貞

1974年、忠清南道唐津(タンジン)生まれ。幼い頃から作家になる夢を抱き、檀国(タングク)大学国語国文学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院にて劇作科(芸術専門士課程)を専攻する。在学時に執筆したデビュー作『家族ワルツ』が、第7回国立劇場新作戯曲フェスティバルで当選。実話を基にして書かれた『海霧』は、2007年に劇団演友舞台で公演され、その年の韓国演劇ベスト7に選ばれる。
他の主な作品に『十年後』(劇団小さな神話戯曲公募当選)、『私、ここにいる!』(ソウル演劇祭新作戯曲公募当選)、『吉三峰伝』(ソウル文化財団公演芸術作品公募創作支援事業選定)、『その道で君に会う』、『ミリネ(天の川)』、『君の左手』など。また、国立劇団『オイディプス』、大田文化芸術の殿堂 『人形の家』の脚色も手掛け、2011年の秋には代表作を収録した戯曲集が発刊された。

『海霧』あらすじ

大海原に浮かぶ、一隻の船。その名は、前進号。サヨリ漁を営む前進号の男たちにとって、今日の決断はとても重要だ。度重なる不漁が、彼らをどん底まで追い込んだのだ。次に失敗すれば、船は廃業となる。最後の望みを抱き、前進号は出航する。
船上という閉ざされた空間の中で、男たちは感情を爆発させる。苦楽を共にしてきた仲間。しかし、彼らが起死回生に狙うのは、大漁の夢ではない。船に朝鮮族を乗せ、韓国まで密航させる裏の仕事だ。深まる乗員たちの対立の溝。窮地から抜け出すためとはいえ、これは危ない橋なのだ。不安と葛藤が、際限なく膨らんでいく。
ひっそりと闇の中を進む船を、いつしか、波と風が囲んでいた。雨足が強くなり、そして、濃い霧。海で出会う濃い霧を海霧という。何よりも怖いのはこの霧だ。波にも道があり、風にも道があるが、霧には道がないからだ。やがて、一つの事件が起こり、それさえも霧の中に飲み込まれていく……

白い桜桃

作=裵三植(ペ・サムシク)
翻訳=木村典子

裵三植

1970年、全羅道全州生まれ。ソウル大学人類学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し学ぶ。98年、演劇院在学中に、ブレヒト作『コーカサスの白墨の輪』を翻案し、劇団美醜によって芸術の殿堂で公演される。これを契機に劇作家の道へと進み、99年、『十一月』(ソウル公演芸術祭招聘作)で本格的にデビュー。作と演出を兼ねる劇作家が多いなか、独歩的な作家の道を歩んでいる。07年、大山文学賞戯曲部門、東亜演劇賞戯曲賞(『熱河日記漫歩』)、09年、東亜演劇賞戯曲賞(『白い桜桃』)を受賞。近年の代表作として『銀世界』(10)、『蜂』(11)、『三月の雪』(11)などがある。この他、マダン劇、野田秀樹『赤鬼』、福田善之『壁の中の妖精』、井上ひさし『天保十二年のシェイクスピア』を脚色。現在、同徳女子大学文芸創作科教授。

『白い桜桃』あらすじ

ソウルから東南に150キロ離れた町、ヨンウォル。静かな山里に住み始めた三人の家族と犬。庭園住宅の庭は、土壌を均したばかり。隅っこにレンギョウの古木がひっそりと佇んでいる。世間から忘れられた小説家アサンは大病後、何も書けずにいる。妻であり舞台俳優のヨンランは、ソウルの稽古で忙しい。高校生の娘ジヨンは、林檎ばかり齧っている。秋のある日、寝てばかりの老犬ウォンベクがいなくなってしまう。死の近い老犬がとった行動を契機に、死んだように生きていた人たちの魂に色が灯り始める。
劇作家のペ・サムシクは、十人の登場人物のひとりひとりを花に例えている。私も花好きなので、彼がこの舞台にどんな花を咲かせたいのか、想像することができる。大陸の更地にすっくと立てる俳優たちが集まった。
どうにもならないことに人々が地団駄を踏めば踏む程、地は固まってゆく。
そうして実りは、花を愛でる間もなく訪れようとしていた。

朝鮮刑事ホン・ユンシク

作=成耆雄
翻訳=浮島わたる

成耆雄

劇団「第12言語演劇スタジオ」代表。演出家、劇作家。
1974年、大邱生まれ。延世大学国語国文学科在学中、東京外国語大学に交換留学生として来日。延世大学卒業後、韓国芸術総合学校演劇院演出科に進学、2006年芸術専門士(M・F・A)課程卒業。
2004年『三等兵』(作・演出)を水原・華城演劇祭などで上演して以降、劇作家兼演出家として劇団「第12言語演劇スタジオ」を主宰する。作、演出のかたわら、多数の日本の戯曲を翻訳、演出し、日本の演出家との共同演出による合同公演を行うなど、日本の演劇界との交流にも精力的である。また、日本支配時代を素材とした戯曲も数多く手がけ、人気を博している。
2010年『カガクするココロ―森の奥編』(平田オリザ原作)の脚色、演出にて第四回大韓民国演劇大賞作品賞受賞。

『朝鮮刑事ホン・ユンシク』あらすじ

日本支配下の京城(現ソウル)で実際に起こった事件に着想を得て書かれた戯曲。韓国人と日本人、韓国語と日本語、科学と迷信、現実と幻想が入り乱れて展開される奇怪な事件の顛末記。昭和8年、京城の西大門警察署管内で前代未聞の奇怪極まりない乳児切断頭部遺棄事件が発生した。内地から新たに赴任してきたホン・ユンシクを加え、西大門警察の面々は事件解決に向け動き出す。いったい犯人は誰なのか? 赤ん坊の首を切り落とした目的は何なのか? 上層部の方針で失踪児童を当たっていくが、解決に向かうどころか、事件は連続殺人の様相まで呈してくる。容疑者たちは皆、それぞれに怪しいが決め手を欠き、捜査線上にはついにトッカビ(韓国の妖怪)まで浮かぶ始末……。やがて捜査方法を巡って警察内部の対立は頂点を極め、ついに二手に分かれて赤ん坊の体を探しに墓を暴きに出かけることになる。そして、事件は驚きの終結を迎える……。

無衣島紀行

作=咸世徳(ハム・セドク)
翻訳=石川樹里

咸世徳

1915年、西海岸に面した港町・仁川に生まれ、父親の転勤に伴い、幼少時をやはり港町である木浦で過ごす。仁川商業高等学校在学中から演劇をはじめ、卒業後はソウルの書店で働きながら、劇作家柳致真に師事し、劇作を学ぶ。1936年、「朝鮮文学」誌に『サンホグリ』を発表し登壇。初期は叙情豊かな写実主義戯曲『海燕』、『童僧』、『舞衣島紀行』などを執筆したが、日本の殖民統治下で次第に親日的な作品を書くようになり、日本のアジア侵略を美化した『酋長イザベラ』などを発表した。解放後は一変して社会主義に傾倒し、朝鮮文学家同盟のメンバーとして活動するとともに、『三月一日』、『太白山脈』など、社会主義思想を反映した作品を執筆した。その後、北朝鮮に渡り、朝鮮戦争の際に北朝鮮人民軍の従軍記者として南下、1950年にソウルで戦死したと伝えられる。短い生涯に、翻案・脚色を含め二十余作の戯曲を執筆した。北に渡った作家として韓国では長らく出版が禁止されていたが、1988年に全作品が解禁され、戯曲の完成度の高さが注目を集めるようになった。代表作として『童僧』、『舞衣島紀行』、『太白山脈』などがある。

『舞衣島紀行』解説
石川樹里

日本の植民統治の真っ只中に生まれ、そして朝鮮戦争で北の従軍記者として戦死した劇作家咸世德は、1930年代中盤から1940年代中盤まで、わずか十年余りの活動期間に、柳致真らとともに韓国近代演劇史に大きな足跡を残した。初期は柳致真の影響を受け、リアリズムを基盤とした現実告発劇を執筆した。それらは主に自身の故郷である海辺の町や島を舞台とし、貧しさ故に常に死と直面しなければならない漁民の暮らしを生き生きとした言葉で捉え、浪漫主義的リアリズムの土台を築いたと評価されている。
1940年代に入ると、次第に朝鮮半島の芸術は厳しい検閲と弾圧のもとに置かれるようになり、演劇界では日本の植民政策を美化する作品が盛んに奨励されるようになった。この時期を境に彼の作風は次第に現実描写から、ある意味でセンチメンタルな叙情的リアリズムの色彩を濃くしていく。『海燕』(1940)、『落花岩』(1940)、『エミレエの鐘』(1942)などの作品がこれに属す。また、この時期に書かれた作品の多くが親日的な内容を含み、後日、親日文学人として厳しく糾弾された。
『舞衣島紀行』は咸世德の初期の代表作の一つである。これは1940年9月に文芸誌『朝光』に未完の状態で一幕のみが掲載された『冬漁の終わり』を改題し、翌年四月、『人文評論』誌に掲載された。西海岸に浮かぶ小島の貧しい漁村を舞台に、漁師になって海に出ることを拒む聡明な少年と、息子を漁に出さざるを得ない逼迫した家庭の状況、少年の聡明さを見込んで婿養子にしようとする韓方医の葛藤が描かれる。
この作品の題名には「紀行」とあるが、劇は第三者の目を通して描かれてはおらず、これが「紀行」であると分かるのは、以前、少年の担任であった小学校の教師が久しぶりに舞衣島を訪れ、少年の母に再会し、少年が漁に出て亡くなったことを知ったという内容が語られる幕切れのナレーションによってである。このように荒削りな面も見られるが、登場人物たちの個性や心理が繊細に造形されているだけでなく、近代化を余儀なくされる漁業、日朝修好条規によって1883年に開港した仁川港の様子や日本人が経営する蒲鉾商店、西洋医学の普及により伝統医学が次第に廃れはじめた状況など、植民統治下の当時の世相が垣間見える一方、近海漁業の黄金期だったこの時代の漁場の活気、漁の安全を祈願する巫女の儀式や、神木の前の祠に水を供えて息子の無事を祈る母親の素朴な土着信仰などが描かれているところも興味深い。
執筆当時、この作品が上演されたという記録はなく、1942年から約一年間、日本の前進座に留学していた咸世德は、帰国直後に『舞衣島紀行』を『黄海』という題名で改作し、1943年11月に京城の府民館で開催された第2回国民演劇競演大会に参加した。ここでいう国民演劇とは、内鮮一体のスローガンに基づき、大日本帝国の臣民としてお国のために己を犠牲にする国民意識を植え付けることを目的とした演劇のことである。
二幕劇である『舞衣島紀行』は、天命が船に乗ることを決意するところで終わり、ナレーションによって天命の死が明かされるのに対し、四幕で構成された『黄海』では、天命が実際に船に乗り、嵐に遭遇する場面も登場する。が、死なずに島に戻った天命は、日本海軍に志願兵として入隊することを決意し、彼の決意を称える万歳三唱で劇は幕を閉じるのである。しかもこれが海軍特別志願兵制度が導入された1943年に上演されたのだから、まさしく「国民演劇」である。記録では柳致真の演出となっているが、実際に演出したのは咸世德本人らしい。『舞衣島紀行』から改作された『黄海』を読むと、作家に自分の作品をここまで改作させてしまう日本の植民政策の凄まじさと、そういう時代にめぐり合わせた芸術家の不遇を思わずにはいられない。
そして1945年に第二次世界大戦が終結し、朝鮮半島が植民地統治から解放されると、彼は朝鮮演劇同盟に加入し、社会主義を標榜する作品を書きはじめた。1947年に出版された戯曲集『童僧』の前書きで、彼は「この戯曲集は作家咸世徳の前時代の遺物として保存することにのみ意味がある。私は8月15日を境にこれらの作品世界から完全に脱皮した」と宣言している。この時期の代表作と言われる『古木』(1947年)は、悪徳地主の没落を通して、封建制の残存勢力、日本帝国主義の残存勢力を打破し、新たな民族国家の建設を謳う代表的な社会主義リアリズム劇である。
急速に社会主義に傾倒した咸世徳は、1947年後半に演劇仲間と共に北に渡り、李承晩大統領を米帝国主義の傀儡として批判した『大統領』(1949年)、済州島四・三事件を人民に対する反動的な大弾圧として描いた『山の人々』(1949年)などを発表した。だが、1950年に朝鮮戦争が勃発し人民軍が南下した際、従軍記者として同行し、手榴弾の爆発によって死亡したと伝えられている。
咸世徳は北に渡った社会主義作家という理由で、韓国内では研究・出版が禁止され、長らく評価されなかった。しかし1988年に越北作家たちに対する研究・出版が解禁され、劇団演友舞台が1991年に「韓国演劇の再発見シリーズ」と銘打ち『童僧』が上演されたのを機に、戯曲の完成度の高さに関心が高まった。特に『舞衣島紀行』は1999年6月、越北作家の戯曲として初めて国立劇団によって上演(金錫満=演出)された。      (石川樹里)

昔々フォーイフォイ

作=崔仁勳(チェ・イヌン)
翻訳=李應壽(イ・ウンス)

崔仁勳

1936年、咸鏡北道會寧生まれ。朝鮮戦争が勃発した50年に家族全員で越南。木浦高校からソウル大学法学部に入学するが4年で中退し、軍隊に入隊。軍服務中の59年に『自由文学』誌に『グレー倶楽部顛末記』を発表し文壇に登場。李承晩政権の倒れた60年に、それまでタブーとされていた南北分断問題を扱った長編『広場』を発表し脚光を浴びる。その後、『灰色人』、『九雲夢』、『小説家仇甫氏の一日』などの独歩的な作品を発表し、「戦後最大の作家」と評された。70年代後半以降は『昔々フォーイフォイ』(76)、『春が来れば、山に野に』(77)、『どんどん、楽浪どん』(78)、『月よ月よ、明るい月よ』(78)、『ハンスとグレーテル』(81)など、主に説話や伝説に題材をとった戯曲の創作に専念し、「劇詩人」とも称された。その後20年近く創作活動を中断していたが、長い沈黙を破って94年に自伝的小説『話題』を発表し、現在も小説家として活動している。2011年には第1回朴景利文学賞を受賞。ソウル芸術大学文芸創作学科名誉教授。

『昔々フォーイフォイ』解説
李應壽

この作品は、1976年の『世界の文学』創刊号に発表された。初演は、劇団「山河」が、ソウルのセシール劇場で、1976年11月5日から11日まで、第35回公演として上演した。当時としては珍しく1819名もの観客を集めたので、作者の崔仁勳(1936〜)には、翌年、韓国日報戯曲賞が授与された。
加えて、この作品は、韓国の全国に広く伝わる子供将軍説話の中で、平安北道のものを参照して書かれている。作者のドラマツルギーを検討するうえで貴重な資料なので、原話を、『平安北道道誌』から引用しておく。

「将帥を亡くした龍馬のいななき」
—博川「元帥峰・馬嘶岩」の故事—

昔々、博川の元帥峰の麓にあばら屋が一軒あった。ある日、この家のかみさんが玉のような男の子を産んだ。貧しいばかりではなく、近所に人家もなかったので、かみさんは自ら臍の緒を切り、お産の後の飯の仕度も自ら用意する有様であった。
お産の翌日のこと、かみさんが台所の仕事をしていると、部屋から赤ん坊の泣き声ではない、片言を話す声が聞こえてきた。かみさんは不思議に思って隙間から部屋を覗いてみた。ぎょっ! 生まれたばかりの子供が一人で壁をつたってよちよち歩きをしながら何かをしゃべっているではないか。かみさんはびっくりして部屋に飛び込み、子供を抱いて体のあちこちを調べてみた。そして再度驚いた。脇の下に翼が生えつつあるではないか。将帥である。
平凡な人間ではないことを悟った瞬間、上さんの脳裏には喜びより不安が先立った。万が一、役所にこのことが知られたら、家中皆殺しにあうのではないか。かみさんは考えたあげく、人に知れる前にこの子を殺そうと決心し、子供の腹の上に小豆袋をのせておいた。すぐ死ぬだろうと思っていた小豆袋の下の子供は、三日経っても死ななかった。小豆袋をもう一つのせて押えつけた。子供は堪えきれず、やがて息を止めた。
その日の夜から暫くの間、元帥峰の絶壁のうえから、ゆえなき馬のいななきが悲しげに聞こえてきて村人たちを驚かせた。これはほかならぬ将帥を亡くした龍馬の鳴き声であった。その後、村人たちはこの岩を馬嘶岩と名づけたと言われる。

 最後に、この作品は、両国の演劇史から考えるに、木下順二の一連の民話劇、なかでも『夕鶴』と類似していることが指摘できる。それは、説話から素材を取っている点、科白がいわば詩的言語でできている点などが、敗戦後の日本人の、そして韓国戦争(Korean War)後の韓国人のやりきれない気持ちにある種の郷愁を与え、心を癒す役割を果たしていたからである。

韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.6

韓国現代戯曲ドラマリーディング6

2013年2月20日~24日
シアタートラム

◯リーディング

海霧

作=金旼貞(キム・ミンジョン)
翻訳=宋美幸
演出=鈴木アツト

金旼貞

1974年、忠清南道唐津(タンジン)生まれ。幼い頃から作家になる夢を抱き、檀国(タングク)大学国語国文学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院にて劇作科(芸術専門士課程)を専攻する。在学時に執筆したデビュー作『家族ワルツ』が、第7回国立劇場新作戯曲フェスティバルで当選。実話を基にして書かれた『海霧』は、2007年に劇団演友舞台で公演され、その年の韓国演劇ベスト7に選ばれる。
他の主な作品に『十年後』(劇団小さな神話戯曲公募当選)、『私、ここにいる!』(ソウル演劇祭新作戯曲公募当選)、『吉三峰伝』(ソウル文化財団公演芸術作品公募創作支援事業選定)、『その道で君に会う』、『ミリネ(天の川)』、『君の左手』など。また、国立劇団『オイディプス』、大田文化芸術の殿堂 『人形の家』の脚色も手掛け、2011年の秋には代表作を収録した戯曲集が発刊された。

『海霧』あらすじ

大海原に浮かぶ、一隻の船。その名は、前進号。サヨリ漁を営む前進号の男たちにとって、今日の決断はとても重要だ。度重なる不漁が、彼らをどん底まで追い込んだのだ。次に失敗すれば、船は廃業となる。最後の望みを抱き、前進号は出航する。
船上という閉ざされた空間の中で、男たちは感情を爆発させる。苦楽を共にしてきた仲間。しかし、彼らが起死回生に狙うのは、大漁の夢ではない。船に朝鮮族を乗せ、韓国まで密航させる裏の仕事だ。深まる乗員たちの対立の溝。窮地から抜け出すためとはいえ、これは危ない橋なのだ。不安と葛藤が、際限なく膨らんでいく。
ひっそりと闇の中を進む船を、いつしか、波と風が囲んでいた。雨足が強くなり、そして、濃い霧。海で出会う濃い霧を海霧という。何よりも怖いのはこの霧だ。波にも道があり、風にも道があるが、霧には道がないからだ。やがて、一つの事件が起こり、それさえも霧の中に飲み込まれていく……

海霧

白い桜桃

作=裵三植(ペ・サムシク)
翻訳=木村典子
演出=明神慈

裵三植

1970年、全羅道全州生まれ。ソウル大学人類学科を卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し学ぶ。98年、演劇院在学中に、ブレヒト作『コーカサスの白墨の輪』を翻案し、劇団美醜によって芸術の殿堂で公演される。これを契機に劇作家の道へと進み、99年、『十一月』(ソウル公演芸術祭招聘作)で本格的にデビュー。作と演出を兼ねる劇作家が多いなか、独歩的な作家の道を歩んでいる。07年、大山文学賞戯曲部門、東亜演劇賞戯曲賞(『熱河日記漫歩』)、09年、東亜演劇賞戯曲賞(『白い桜桃』)を受賞。近年の代表作として『銀世界』(10)、『蜂』(11)、『三月の雪』(11)などがある。この他、マダン劇、野田秀樹『赤鬼』、福田善之『壁の中の妖精』、井上ひさし『天保十二年のシェイクスピア』を脚色。現在、同徳女子大学文芸創作科教授。

『白い桜桃』あらすじ

ソウルから東南に150キロ離れた町、ヨンウォル。静かな山里に住み始めた三人の家族と犬。庭園住宅の庭は、土壌を均したばかり。隅っこにレンギョウの古木がひっそりと佇んでいる。世間から忘れられた小説家アサンは大病後、何も書けずにいる。妻であり舞台俳優のヨンランは、ソウルの稽古で忙しい。高校生の娘ジヨンは、林檎ばかり齧っている。秋のある日、寝てばかりの老犬ウォンベクがいなくなってしまう。死の近い老犬がとった行動を契機に、死んだように生きていた人たちの魂に色が灯り始める。
劇作家のペ・サムシクは、十人の登場人物のひとりひとりを花に例えている。私も花好きなので、彼がこの舞台にどんな花を咲かせたいのか、想像することができる。大陸の更地にすっくと立てる俳優たちが集まった。
どうにもならないことに人々が地団駄を踏めば踏む程、地は固まってゆく。
そうして実りは、花を愛でる間もなく訪れようとしていた。

白い桜桃

朝鮮刑事ホン・ユンシク

作=成耆雄(ソン・ギウン)
翻訳=浮島わたる
演出=広田淳一

成耆雄

劇団「第12言語演劇スタジオ」代表。演出家、劇作家。
1974年、大邱生まれ。延世大学国語国文学科在学中、東京外国語大学に交換留学生として来日。延世大学卒業後、韓国芸術総合学校演劇院演出科に進学、2006年芸術専門士(M・F・A)課程卒業。
2004年『三等兵』(作・演出)を水原・華城演劇祭などで上演して以降、劇作家兼演出家として劇団「第12言語演劇スタジオ」を主宰する。作、演出のかたわら、多数の日本の戯曲を翻訳、演出し、日本の演出家との共同演出による合同公演を行うなど、日本の演劇界との交流にも精力的である。また、日本支配時代を素材とした戯曲も数多く手がけ、人気を博している。
2010年『カガクするココロ―森の奥編』(平田オリザ原作)の脚色、演出にて第四回大韓民国演劇大賞作品賞受賞。

『朝鮮刑事ホン・ユンシク』あらすじ

日本支配下の京城(現ソウル)で実際に起こった事件に着想を得て書かれた戯曲。韓国人と日本人、韓国語と日本語、科学と迷信、現実と幻想が入り乱れて展開される奇怪な事件の顛末記。昭和8年、京城の西大門警察署管内で前代未聞の奇怪極まりない乳児切断頭部遺棄事件が発生した。内地から新たに赴任してきたホン・ユンシクを加え、西大門警察の面々は事件解決に向け動き出す。いったい犯人は誰なのか? 赤ん坊の首を切り落とした目的は何なのか? 上層部の方針で失踪児童を当たっていくが、解決に向かうどころか、事件は連続殺人の様相まで呈してくる。容疑者たちは皆、それぞれに怪しいが決め手を欠き、捜査線上にはついにトッカビ(韓国の妖怪)まで浮かぶ始末……。やがて捜査方法を巡って警察内部の対立は頂点を極め、ついに二手に分かれて赤ん坊の体を探しに墓を暴きに出かけることになる。そして、事件は驚きの終結を迎える……。

朝鮮刑事ホン・ユンシク

◯シンポジウム

日韓演劇交流の現在

金洸甫/成耆雄/松本祐子/坂手洋二

 

現代日本戯曲リーディング Vol.5

2012年1月27日~29日
明洞芸術劇場

◯リーディング

作=蓬莱竜太/翻訳=李惠貞/演出=アン・ギョンモ

プランクトンの踊り場

作=前川知大/翻訳=石川樹里/演出=ホン・ヨンウン

親の顔がみたい

作=畑澤聖悟/翻訳=木村典子&イ・ソンゴン/演出=金洸甫(キム・カンボ)

◯シンポジウム

2000年代以降の韓日演劇界の
新たな傾向と展望

ホ・スンジャ/西堂行人/前川知大/キム・バンオク(評論家)/成耆雄

◯翻訳

古い玩具

作=岸田國士/翻訳=馬政熙

ゲゲゲのげ

作=渡辺えり/翻訳=イ・ホンイ

韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.5

韓国現代戯曲ドラマリーディング5

2011年2月25日~27日
シアタートラム

◯リーディング

道の上の家族

作=張誠希(チャン・ソンヒ)
翻訳=石川樹里
演出=智春

作=張誠希

張誠希

1965年、江原道寧越生まれ。中央大学文芸創作科卒業、同大学院演劇学科修士。劇作家、演劇評論家。ソウル芸術大学兼任教授。1992年より演劇評論家として活動し、1996年に『青山に暮らさん』で国立劇場脚本公募創作部門受賞、さらに1997年には『パンドラの箱』が韓国日報新春文芸戯曲部門に当選し、劇作家としてデビュー。現在まで演劇評論と劇作活動を並行している。1998年大山文化財団文学人創作支援対象者選定。2001年文芸振興院新進文学人支援対象者選定。2007年文化芸術委員会芸術創作および表現活動支援戯曲部門選定。2008年『夢の中の夢』でソウル演劇祭大賞、戯曲賞受賞。
主な作品に、『夢の中の夢』(08)、『柊擬の森の思い出』(08)、『アンチ・アンティゴーネ』(07)、『水の中の家』(07)、『転生区域』(01)、『月光の中に進む』(00)、『A.D.2031、第三の日々』(99)、『この俗世の歌』(98)などがある。最新作は2010年秋に上演された『三人姉妹山荘』。1960年代に実際にあったスパイ団摘発事件をチェーホフの『三人姉妹』を下敷きにして劇化した作品。戯曲集に『張誠希戯曲集』(99)、『夢の中の夢』(09)がある。

『道の上の家族』あらすじ

舞台は晩秋のキャンプ場。妙に大きな荷物を抱えて一組の家族がやってくる。
一家は父母、老父母、少年の五人。痴呆症の老母、反抗的な少年…。
それなりに問題は抱えているようだが、何年ぶりかの家族旅行で幸福そうに振舞う一家。
だが幼い次男の不在が、不安の影のように家族に付きまとう。
劇が進行するにつれ、父親の失職と生活苦、一家の足手まといになっている老父母の存在が浮かび上がってくる。
一家の肩の荷を減らそうと、老妻とともに心中を計ろうとするが、そのタイミングさえ逃してしまう老父。
リフトから飛び降りるが、安全ネットにひっかかり、キャンプ場の管理人に連れ戻される少年。
裕福な家庭に養子にやったと家族を偽り、実は幼い次男を地下鉄の駅に置き去りにしてきた父もまた自殺を計るが失敗する。
死ぬことすらできず、希望のない明日を生きていかなければならない家族が闇に包まれていく。

道の上の家族

爾―王の男

作=金泰雄(キム・テウン)
翻訳=木村典子
演出=青井陽治

金泰雄

1965年、京畿道南楊州生まれ。劇作家、演出家。現在、劇団「優人」代表、韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。
ソウル大学哲学科在学中から俳優として演劇サークルで活動。卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し、 M.F.A(Master of Fine Arts)過程を終了。1997年、劇団「演友舞台」20周年新鋭作家発掘シリーズで『蠅たちの曲芸』を作・演出し、本格的なデビューをはたす。99年、東亜日報の新春文芸戯曲部門に『月光遊戯』が当選。2000年、劇団「演友舞台」で『爾』を公演し、東亜演劇賞など数々の賞を受賞し、代表作となる。この作品は05年に公開された映画『王の男』(イ・ジュニク監督)の原作としても話題となった。『門』(00)、『風船交響曲』(01)、『プルティナ』(01)を発表後、02年に『花をもつ男』で劇団「優人」を旗揚げ。『楽しい人生』(04)、『反省』(07)、『リンリンリンリン』(09)などを上演している。現在、『爾』(05年初版、10年再版/平民社)、『反省』(06/平民社)、『リンリンリンリン』(10/平民社)の四冊の戯曲集が出版されている。

『爾 王の男』あらすじ

俺の名は長生。孔吉とは無二の親友だ。二人で一座を率いて、旅回り。どこでも大人気だった。大道芸だよ、そんな上等なものじゃない。権力を笑い飛ばし、卑猥な話で客をわかせる。下ネタ満載だよ。しかも、歌舞音曲もにぎやかに、体を張った空中曲芸をやりながら!
そんな俺たちが、今や、王様お抱えの宮廷芸人だ。「戯楽院」直属の「京中優人」様だ。笑っちゃうね。孔吉の奴が、ふとしたはずみで、王様のご寵愛を受けて大出世。今や大臣。その幸運のお裾分けだってさ!
王様ってのは、燕山だよ、あの! 知らないのか?! とんでもないろくでなしだよ。いずれ、李氏朝鮮最悪の暴君なんて呼ばれるのさ。間違いないね!
しかも、べったりくっついてる愛人が、これまたとんでもない性悪女だ。元は妓生……売春婦。
俺は、王には多少は同情する。性格が捻じ曲ったのも無理ないかって思える。だけど、緑水は虫が好かない。いつか俺たちの命取りになる。
孔吉、調子に乗るな。芸人が権力なんか欲しがってどうする??!
だけど、孔吉は、王の寵愛は絶対だと信じてる。緑水と張合って、宮廷を、好き勝手に玩具にする気だ。
孔吉、俺は宮廷を出る。
王の悪政を覆す同志を集める。
革命だ。反乱軍を組織する。
気をつけろ。緑水は何でもするぞ、王の愛を、お前から奪い返すためならば! 孔吉、目をさませ。王は普通じゃない。母親の恨みを晴らす、仇を討つ。それだけで凝り固まって、目が見えない。
怪しい儀式で、母を苦しめた奴らを呪う。ふん。呪われているのはお前だ、燕山!!(青井陽治作成)

※〈爾〉とは、李氏朝鮮時代に王が臣下を敬い呼んだ呼称。劇中では燕山が孔吉を呼ぶ呼称。孔吉は賤民の身でありながら、王から〈爾〉と呼ばれた実在の人物。

王の男

月の家 タルチプ

作=盧炅植(ノ・ギョンシク)
翻訳=宋美幸
演出=矢内文章

盧炅植

1938年、全羅北道南原生まれ。南原農業高校から慶煕大学経済学部に進学、在学中に書いた随筆が国文科の教授の目に留まり、文章を書くことを勧められる。卒業後、ドラマセンター演劇アカデミーを修了。1965年に『渡り鳥』でソウル新聞新春文芸戯曲に当選。その後、出版社に勤めながら執筆活動を続ける。
代表作に『月の家(タルチプ)』(71)、『懲毖録』(75)、『小作地』(79)、『塔』(79)、『鼓』(81)、『井邑詩』(82)、『空ほど遠い国』(85)、『踊るミツバチ』(92)、『ソウルへ行く道』(95)、『千年の風』(99)、『燦爛たる悲しみ』(02)、『反民特委(ソウルの霧)』(05)、『二人の英雄』(07)、『圃隱 鄭夢周』(08)などがある。
2003年には大邱で「盧炅植演劇祭」が開催された。また、「盧炅植戯曲集」も刊行されている。南北問題に関心を持ち、「ソウル平壌演劇祭」推進委員長を務める。著書として歴史小説も書いている。
受賞歴は「百想芸術大賞」戯曲賞(71、82、86)、「韓国演劇芸術賞」(83)、「ソウル演劇祭」大賞(85)、「東亜演劇賞」作品賞(89)、「大山文学賞」(99)、「行願文化賞」(00)、「東朗・柳致眞演劇賞」(03)、「韓国戯曲文学賞」大賞(05)、「ソウル特別市文化賞」(06)、「韓国芸総芸術文化賞」大賞(09)など多数。

『月の家 タルチプ』あらすじ

1951年、小正月の二日前。山里のとある村。ここでは老婆、ソン・ガンナンが次男のチャンボと、孫嫁のスンドク、曾孫の少年と一緒に暮らしている。ガンナンは、軍隊に行った孫のウォンシク(スンドクの夫)が、無事に家へ帰って来ることと、アカになり山に入ってしまったウォンシクの弟、マンシクが早く戻って来ることを願い待っている。しかしチャンボは村長から、甥っ子のマンシクがパルチザンと共に隣村を襲い、警察隊から追撃されたかも知れないという事実を知らされる。
小正月の夕暮れ。ガンナンが二人の孫の健康を祈っている。チャンボはマンシクの亡骸を確認していたが、このことは隠し通そうと心に決める。その夜、ガンナンの家もパルチザンに襲われ、家畜と食糧を奪われた上、チャンボとスンドクは山に連れて行かれる。翌日の明け方、二人は帰って来るが、スンドクは辱めを受けていた。ガンナンは彼女に家を出ることを命ずるが、チャンボはこれを頑なに反対し大喧嘩する。そして堪えきれずに三·一事件の時、ガンナンが侮辱を受けた秘密を暴露し、家を飛び出す。
それから数時間後、ウォンシクが除隊して家に帰って来るが、彼の目は見えなくなっていた。翌朝、打ち明けられるはずのないスンドクは、木の枝に首を吊って自殺する。ガンナンは何があっても揺るがず、急がなくてはならない畑仕事のことを思い、その日に限って朝寝坊した曾孫の名前を、ただ闇雲に呼び続ける。

月の家

 

◯シンポジウム

『日韓演劇交流の歴史』

金正鈺(キム・ジョンオク)/杉本了三

韓国現代戯曲集Vol.5

韓国現代戯曲集5

プロフィール等は2011年時点のものです。
戯曲集の入手については日韓演劇交流センターへお問い合わせください。

『道の上の家族』

作=張誠希(チャン・ソンヒ)
翻訳=石川樹里

張誠希

1965年、江原道寧越生まれ。中央大学文芸創作科卒業、同大学院演劇学科修士。劇作家、演劇評論家。ソウル芸術大学兼任教授。1992年より演劇評論家として活動し、1996年に『青山に暮らさん』で国立劇場脚本公募創作部門受賞、さらに1997年には『パンドラの箱』が韓国日報新春文芸戯曲部門に当選し、劇作家としてデビュー。現在まで演劇評論と劇作活動を並行している。1998年大山文化財団文学人創作支援対象者選定。2001年文芸振興院新進文学人支援対象者選定。2007年文化芸術委員会芸術創作および表現活動支援戯曲部門選定。2008年『夢の中の夢』でソウル演劇祭大賞、戯曲賞受賞。
主な作品に、『夢の中の夢』(08)、『柊擬の森の思い出』(08)、『アンチ・アンティゴーネ』(07)、『水の中の家』(07)、『転生区域』(01)、『月光の中に進む』(00)、『A.D.2031、第三の日々』(99)、『この俗世の歌』(98)などがある。最新作は2010年秋に上演された『三人姉妹山荘』。1960年代に実際にあったスパイ団摘発事件をチェーホフの『三人姉妹』を下敷きにして劇化した作品。戯曲集に『張誠希戯曲集』(99)、『夢の中の夢』(09)がある。

『道の上の家族』あらすじ

舞台は晩秋のキャンプ場。妙に大きな荷物を抱えて一組の家族がやってくる。
一家は父母、老父母、少年の五人。痴呆症の老母、反抗的な少年…。
それなりに問題は抱えているようだが、何年ぶりかの家族旅行で幸福そうに振舞う一家。
だが幼い次男の不在が、不安の影のように家族に付きまとう。
劇が進行するにつれ、父親の失職と生活苦、一家の足手まといになっている老父母の存在が浮かび上がってくる。
一家の肩の荷を減らそうと、老妻とともに心中を計ろうとするが、そのタイミングさえ逃してしまう老父。
リフトから飛び降りるが、安全ネットにひっかかり、キャンプ場の管理人に連れ戻される少年。
裕福な家庭に養子にやったと家族を偽り、実は幼い次男を地下鉄の駅に置き去りにしてきた父もまた自殺を計るが失敗する。
死ぬことすらできず、希望のない明日を生きていかなければならない家族が闇に包まれていく。

『爾―王の男』

作/金泰雄(キム・テウン)
翻訳=木村典子

金泰雄

1965年、京畿道南楊州生まれ。劇作家、演出家。現在、劇団「優人」代表、韓国芸術総合学校演劇院劇作科教授。
ソウル大学哲学科在学中から俳優として演劇サークルで活動。卒業後、韓国芸術総合学校演劇院劇作科に入学し、 M.F.A(Master of Fine Arts)過程を終了。1997年、劇団「演友舞台」20周年新鋭作家発掘シリーズで『蠅たちの曲芸』を作・演出し、本格的なデビューをはたす。99年、東亜日報の新春文芸戯曲部門に『月光遊戯』が当選。2000年、劇団「演友舞台」で『爾』を公演し、東亜演劇賞など数々の賞を受賞し、代表作となる。この作品は05年に公開された映画『王の男』(イ・ジュニク監督)の原作としても話題となった。『門』(00)、『風船交響曲』(01)、『プルティナ』(01)を発表後、02年に『花をもつ男』で劇団「優人」を旗揚げ。『楽しい人生』(04)、『反省』(07)、『リンリンリンリン』(09)などを上演している。現在、『爾』(05年初版、10年再版/平民社)、『反省』(06/平民社)、『リンリンリンリン』(10/平民社)の四冊の戯曲集が出版されている。

『爾 王の男』あらすじ

俺の名は長生。孔吉とは無二の親友だ。二人で一座を率いて、旅回り。どこでも大人気だった。大道芸だよ、そんな上等なものじゃない。権力を笑い飛ばし、卑猥な話で客をわかせる。下ネタ満載だよ。しかも、歌舞音曲もにぎやかに、体を張った空中曲芸をやりながら!
そんな俺たちが、今や、王様お抱えの宮廷芸人だ。「戯楽院」直属の「京中優人」様だ。笑っちゃうね。孔吉の奴が、ふとしたはずみで、王様のご寵愛を受けて大出世。今や大臣。その幸運のお裾分けだってさ!
王様ってのは、燕山だよ、あの! 知らないのか?! とんでもないろくでなしだよ。いずれ、李氏朝鮮最悪の暴君なんて呼ばれるのさ。間違いないね!
しかも、べったりくっついてる愛人が、これまたとんでもない性悪女だ。元は妓生……売春婦。
俺は、王には多少は同情する。性格が捻じ曲ったのも無理ないかって思える。だけど、緑水は虫が好かない。いつか俺たちの命取りになる。
孔吉、調子に乗るな。芸人が権力なんか欲しがってどうする??!
だけど、孔吉は、王の寵愛は絶対だと信じてる。緑水と張合って、宮廷を、好き勝手に玩具にする気だ。
孔吉、俺は宮廷を出る。
王の悪政を覆す同志を集める。
革命だ。反乱軍を組織する。
気をつけろ。緑水は何でもするぞ、王の愛を、お前から奪い返すためならば! 孔吉、目をさませ。王は普通じゃない。母親の恨みを晴らす、仇を討つ。それだけで凝り固まって、目が見えない。
怪しい儀式で、母を苦しめた奴らを呪う。ふん。呪われているのはお前だ、燕山!!(青井陽治作成)

※〈爾〉とは、李氏朝鮮時代に王が臣下を敬い呼んだ呼称。劇中では燕山が孔吉を呼ぶ呼称。孔吉は賤民の身でありながら、王から〈爾〉と呼ばれた実在の人物。

『月の家 タルチプ』

作=盧炅植(ノ・ギョンシク)
翻訳=宋美幸

盧炅植

1938年、全羅北道南原生まれ。南原農業高校から慶煕大学経済学部に進学、在学中に書いた随筆が国文科の教授の目に留まり、文章を書くことを勧められる。卒業後、ドラマセンター演劇アカデミーを修了。1965年に『渡り鳥』でソウル新聞新春文芸戯曲に当選。その後、出版社に勤めながら執筆活動を続ける。
代表作に『月の家(タルチプ)』(71)、『懲毖録』(75)、『小作地』(79)、『塔』(79)、『鼓』(81)、『井邑詩』(82)、『空ほど遠い国』(85)、『踊るミツバチ』(92)、『ソウルへ行く道』(95)、『千年の風』(99)、『燦爛たる悲しみ』(02)、『反民特委(ソウルの霧)』(05)、『二人の英雄』(07)、『圃隱 鄭夢周』(08)などがある。
2003年には大邱で「盧炅植演劇祭」が開催された。また、「盧炅植戯曲集」も刊行されている。南北問題に関心を持ち、「ソウル平壌演劇祭」推進委員長を務める。著書として歴史小説も書いている。
受賞歴は「百想芸術大賞」戯曲賞(71、82、86)、「韓国演劇芸術賞」(83)、「ソウル演劇祭」大賞(85)、「東亜演劇賞」作品賞(89)、「大山文学賞」(99)、「行願文化賞」(00)、「東朗・柳致眞演劇賞」(03)、「韓国戯曲文学賞」大賞(05)、「ソウル特別市文化賞」(06)、「韓国芸総芸術文化賞」大賞(09)など多数。

『月の家 タルチプ』あらすじ

1951年、小正月の二日前。山里のとある村。ここでは老婆、ソン・ガンナンが次男のチャンボと、孫嫁のスンドク、曾孫の少年と一緒に暮らしている。ガンナンは、軍隊に行った孫のウォンシク(スンドクの夫)が、無事に家へ帰って来ることと、アカになり山に入ってしまったウォンシクの弟、マンシクが早く戻って来ることを願い待っている。しかしチャンボは村長から、甥っ子のマンシクがパルチザンと共に隣村を襲い、警察隊から追撃されたかも知れないという事実を知らされる。
小正月の夕暮れ。ガンナンが二人の孫の健康を祈っている。チャンボはマンシクの亡骸を確認していたが、このことは隠し通そうと心に決める。その夜、ガンナンの家もパルチザンに襲われ、家畜と食糧を奪われた上、チャンボとスンドクは山に連れて行かれる。翌日の明け方、二人は帰って来るが、スンドクは辱めを受けていた。ガンナンは彼女に家を出ることを命ずるが、チャンボはこれを頑なに反対し大喧嘩する。そして堪えきれずに三·一事件の時、ガンナンが侮辱を受けた秘密を暴露し、家を飛び出す。
それから数時間後、ウォンシクが除隊して家に帰って来るが、彼の目は見えなくなっていた。翌朝、打ち明けられるはずのないスンドクは、木の枝に首を吊って自殺する。ガンナンは何があっても揺るがず、急がなくてはならない畑仕事のことを思い、その日に限って朝寝坊した曾孫の名前を、ただ闇雲に呼び続ける。

『旅路』

作=尹泳先(ユン・ヨンソン)
翻訳=津川泉

尹泳先

1954年全羅南道、海南生まれ。檀国大学校英語英文学科を出て、米国ニューヨーク州立大演劇学科卒業。1993年帰国。翌年『斜視の人禅問答』で演劇界に新しい活力を吹き込む。劇団演友舞台で公演活動。97年プロジェクト・グループ「パーティー」を結成し、10編余りの戯曲を発表。日常的な事件や人物に取材し、詩的言語を駆使した劇世界を構築。韓国芸術総合学校演劇院演出科教授として、多くの弟子を育てた。06年『賃借人』演出を最後に、07年8月24日肝臓癌で亡くなった。
代表作
『旅路』06年韓国評論家協会今年の演劇ベスト3、『キス』97年韓国評論家協会ベスト3受賞

著書
『俳優の存在』(ジョセフ・チェイキン著・翻訳)95年現代美学社
『尹泳先戯曲集1』01年平民社
『尹泳先戯曲集』08年チアン出版社

『旅路』あらすじ

ソウル駅から列車で小学校同窓だった友の葬儀へ向かう五人の中年男。列車内で互いの消息を話す内に、社会的地位の差もあり、ぎこちない雰囲気に。話は失踪したキテクに移る。彼は家具工場を火事で焼失、海で行方不明になっていた。
友の葬式場所は馴染みのない土地。しめやかな通夜、突然、失踪したキテクが現れる。キテクのふてぶてしい態度に、仲間の一人が腹をたてる。
一夜明け、火葬場。火葬せず故郷に埋めてやりたかったとヤンフン。しかし、故郷はリゾート開発に収奪されている。故郷も友人も変わった。望郷の思いがそれぞれの胸によぎる。ヤンフンは故人の遺灰を触りたいと焼場に突入して騒ぎを起こす。
火葬を終えて帰るバスの中、憂さを晴らすかのようにどんちゃん騒ぎする。ソウル高速バスのターミナルでそれぞれの日常に戻ろうとする中で、ヤンフンは「また今夜、おれが死ぬかも」と動こうとしない d。久しぶりの再会がもたらした望郷の想いや追憶……。それぞれの心に生じた微妙な亀裂を縫うように、孤独な魂が寄り添う。

『流浪劇団』

作=李根三(イ・グンサム)
翻訳=洪明花

李根三

1929年、平壌生まれ。平壌師範学校、東国大学英文科、ノースカロライナ大学院卒業後、1966年ニューヨーク大学大学院修了。東国大学専任講師、中央大学副教授を経て、国際ペン倶楽部・韓国本部副会長、西江大学社会科学大学長、大韓民国芸術院会員を歴任。1958年、アメリカ・カロライナ劇会で英文戯曲『果てしなき糸口』で劇作家として登壇、1960年、『原稿用紙』で韓国デビュー。61年『大王は死を拒否した』、63年『偉大なる失踪』、65年『第十八共和国』、71年『流浪劇団』、93年『李成桂の不動産』、98年『老優の最後の演技』、01年『華麗なる家出』等、40作以上の戯曲を執筆。シェイクスピアやオニールの翻訳、西洋演劇史や演劇論の出版など、英米演劇の紹介に尽力。大韓民国芸術院賞(92)、玉冠文化勲章(94)、国民勲章牡丹章(94)、大山文学賞・戯曲部門(01) など、数々の賞を受賞。

『流浪劇団』あらすじ

日本の植民地政策が強化される中、ある劇場が閉館となる。劇団員たちは劇場からも、宿泊していた旅館からも追い出され、流浪の生活が始まる。そこで、愛を主題にした新派劇を公演するが、この公演が思想劇であるとして、団長は日本の警察に逮捕され、作家は拷問を受け、大黒柱を失った劇団は解散の危機を迎える。しかし、それぞれの思惑を抱えながらも残った劇団員たちは再び心を一つにし、新団長を中心に全国津々浦々をまわり、公演を続ける。そんな中、作家のオ・ソゴンは、村の農楽隊から新たな演劇のアイディアを得てマダン劇を行う。マダン劇の成功は劇団に活力をもたらしたが、拷問で持病を患っていたオ・ソゴンは死を迎え、劇団は再び解散の危機に。それぞれがバラバラになっていく中、後から劇団に入団した二人の若者、マンサクとセシルによって、劇団の命脈は引き継がれていく……